甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宣長さんは多武峰(とうのみね)!

2019年03月10日 05時11分56秒 | 大和路を歩く

 ちょうど先週、いやいやながらクルマで談山神社に行きました。いやいやなのは花粉症のせいです。談山神社には行きたかったんです。

 行きたい理由は、宣長さんがこちらに来ていたからでした。

 改めて「菅笠日記」を見てみると、「談山神社」とは書かれていなくて、「多武峰」と書かれています。お寺と神社と鎌足さんのお墓と、いろいろなものが集まった霊場だったので、いろんな人たちがお参りに来たり、修行に来たりしていたのかもしれません。

 そこの橋をわたれば。すなはち茶屋あり。こゝははや多武の峯の口也とぞいふ。さて二三町がほど。家たちつゞきて。又うるはしき橋あるを渡り。すこしゆきて。惣門にいる。左右に僧坊(そうぼう)共こゝらなみたてり。



 私は、東の惣門のところから、車道を走って第一駐車場まで上り詰めたんですが、以前に来た時には、歩いて東の惣門まで行き、そこからバスに乗りました。

 それで、たぶんなんだけど、道の左右に僧房があった記憶がありません。それらはみんな取り壊されたのではないかと思われます。現地でもらった観光地図にも、記述はありません。

 どんな霊場・聖地も、そこを支持する人々がいなくなれば、次第に衰えていくのは当たり前のことで、世の中のすべてのお寺を廃棄せよという命令が出たのであれば、地元からの支持のないお寺などは、無くなってしまったのかもしれません。

 いや、お上の命令であれば、真面目に取り組まねばならないと、しっかりと跡形もなく壊したこともあったのでしょう。それが残念でなりません。そういうことを人間って、してしまうことがあります。



 今は神社となっている拝殿は南向きになっています。

 御廟(ごびょう)の御前(ごぜん)は。やゝうちはれて。山のはらに。南むきにたち給へる。いといかめしく。きらきらしくつくりみがゝれたる有様。めもかゞやくばかりなり。

 この拝殿の奥に本殿があって、こんな立派な形になっています。



 本殿は、拝殿から拝ませてもらうようになっている。



 拝殿のまわりには、奈良の春日大社と同じように、釣り灯籠が下がっていて、夕方や祭礼の時には灯りがともされるはずで、そういう時に行けたらいいんだけど、そんなに簡単に行けるものではありません。

 十三重の塔。又惣社など申すも。西の方に立ち給へり。すべて此の所。みあらかのあたりはさらにもいはず。僧坊のかたはら。道のくまぐままで。さる山中に。おち葉のひとつだになく。いといときらゝかに。はききよめたる事。又たぐひあらじと見ゆ。


 こちらが十三重塔です。


 権殿(ごんでん)から十三重塔とその向こうに拝殿とかがあります。


 というところで、止めてしまってました。

 改めて見てみると、宣長さんは「談山神社にお参りした」とは書いていないのです。

 延暦寺を「比叡山」と呼び、金剛峯寺を「高野山」と呼ぶ。鹿苑寺を「金閣」と呼び、慈照寺を「銀閣」と呼ぶ。人々から信仰されているお寺は、所在する山や建物で代表されてしまう。

 妙楽寺というお寺があり、中臣鎌足公の分骨されたお墓があり、たぶん、たくさんの土地も持っていたお寺があった。たくさんの修行をするお坊さんたちがいて、この谷で仏教に身を捧げていた。

 あのスッポンポンで何もかも捨ててしまった増賀上人さんのお墓だって、この山々の上の方にあるそうです。花粉症の私はとても行けないけれど、ネットで検索してみると、いろんな人たちが増賀上人さんのお墓にお参りに行っているようです。

 それくらいコテコテのお寺だったのに、明治の初めの嵐によって、千年以上続いてきたお寺は壊され、神社に模様替えをさせられてしまった。

 お参りするのは結局同じなんだから、どっちだっていいのに、変に真面目な人たちが、仲良くやっていた神と仏を分離してしまった。または、仏さまを敷地の中から抹殺した。

 そりゃ、仏さまだって、こんな日本は住み飽きたと、海外に出たくなったのは当たり前です。

 海外で大事にしてくれる人がいたら、それはまだましな方で、ひどい時は、ズタズタにされる、ということもあったでしょう。

 そういうことをしてしまえるのが日本人なんです。偉い人が命令した、というのもあるかもしれないけど、それに乗って、猛然と突き進む人たちが必ずいるわけです。

 そして、現在の談山神社ができた。

 ……鎌足さん、切手になってたんですね! さすが!

 それなりに雰囲気はあるけれど、話しかけられる仏さまはもういません。ありがたい神殿があって、そこを遠くから拝ませてもらうだけです。

 私みたいに、ちゃんと見える形で目の前にいてくれないと、信仰心が起きにくいというのか、何だか親しみが持てない人間だっているんです。

 そうした空白を埋めるために、伊勢神宮にニワトリがいたり、二見の夫婦岩の神社には無事カエルがたくさん奉納されたり、いろいろなキャラクターが作られたと思うんだけど、残念ながら、今の談山神社には、親しみの持てるキャラクターはいないんです。

 怖い顔をした鎌足さんの絵はあるみたいだけど、親しみ持てないなあ。



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