甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

菅笠日記16 龍門の滝には行けず

2019年03月09日 06時12分58秒 | 宣長さんの旅


 三月に入りました。旧暦の二月入りました。あと二週間でサクラも咲いてしまいます。早く吉野までたどりつかなくては!

 はるかに山路をのぼりゆきて。手向(たむけ 峠のこと)に茶屋あり。やまとの国中(クニナカ)見えわたる所なり。

 なほ同じやうなる山路を。ゆきゆきて。又たむけ(峠)にいたる。こゝよりぞよしのゝ山々。雲ゐはるかにみやられて。あけくれ心にかゝりし花の白雲。かつがつみつけたる。いとうれし。

 多武峰から、南の道をたどり、ずっと山道を歩いていきますと、峠があって、お茶屋さんがあり、奈良盆地が見渡せました。

 それから山また山で、上ったり下りたりしながら、また峠がやってきました。そこからは、もう奈良盆地は見えなくて、私たちのめざす吉野の山々が、雲の下に見えて、ずっと気にかかっていたサクラの花の上にかかる白い雲を見つけました。とても、うれしかった。

 そういえば、うちの奥さんがBSで「東北の桜」というのを録画していて、私も見てしまいましたが、サクラと私たちって、どうしてこう人生と重ね合わせてみてしまうんでしょうね。花の時期がとっても華やかだから、その数日間に向かって人々がたくさんの思い入れをしてしまうから、思いのたけが注ぎ込まれているから、そう見えてしまうし、ものすごいインパクトをもらってしまいます。

 宣長さん、吉野で何を見つけられますか?


 さてくだりゆく谷かげ。いはゞしる山川のけしき。世ばなれていさぎよし。たむのみねより一里半といふに。瀧の畑(ハタ)といふ山里あり。まことに瀧川のほとりなり。又山ひとつこえての谷陰(たにかげ)にて。岡より上市へこゆる道とゆきあふ。

 けふは吉野までいきつくべく思ひまうけしかど。とかくせしほどに。春の日もいととく暮ぬれば。千俣(ちまた)といふ山ぶところなる里にとまりぬ。こよひは。
   ふる里に通ふ夢路やたどらましちまたの里に旅寝しつれば。

 下り道では、山から下りてくる谷川の景色が見られます。そういう山よりの水の流れとともに歩いていくという経験もないので、通常の街中の生活からすると、世離れのしたステキなものに感じ取れました。

 多武峰から六キロほどのところで、滝の畑という山里に着きました。まさに山から下りてくる谷川のほとりの集落でした。もう一つ山を越えると、岡から大和上市につながる道と交差していました。

 山の中の道は、閉ざされているようで、いろいろなところとつながる道が交差しているのです。

 今日、ぜひ吉野まで行きたいと思っていましたが、春の日は暮れてしまい、千股という山ぶところの里で泊まることにします。

  ふるさとにつながる夢の道をたどりましょう、いろんな道につながる千股の里に旅寝するんですから。

 千股という集落の名前にインスパイアされて作った短歌ですね。そういう切り返しができないと、短歌は作れないもんです。


 この宿(やど)にて。龍門(りゅうもん)のたきのあないたづねしに。あるじのかたりけるは。こゝより上市へたゞにゆけば。一里なるを。かしこへめぐりては。二里あまりぞ侍(はべら)ん。そはまづ此(この)さとより。かしこへ一里あまり有りて。又上市へは一里侍ればといふ。

  この瀧かねて見まほしく思ひしゆゑ。けふの多武の峯より物せんと思ひしを。道しるべせし者の。さてはいたく遠くて。道もけはしきよしいひしかば。えまからざりしを。今きくが如くは。かしこより物せんには。ましてさばかりとほくもあらじ物をと。いとくちをし。

 宿では、龍門の滝が近くにあるのではないのかと訊ねてみますと、
「ここから上市に行くには四キロ、龍門の滝を経由すると八キロくらいになります。吉野に行くには遠回りにはなりますね。」ということでした。

 龍門の滝とは、龍門山の方にある名高い滝で、一度見たかったので、多武峰からこちらに行ってみようと思っていたのに、案内をしてくれた人が、「とても遠くて、道も厳しく、大変なところです。」というのを聞いて行けませんでしたが、今、こちらでこのような話を聞くと、いっそのこと行っておけばよかったと反省したのでした。


 されどよしのの花。さかり過ぎぬなどいふをきくに。いとゞ心のいそがるれば。明日(あす)ゆきて見んといふ人もなし。

  そもこのりう門といふところは。いせより高見山こえて。吉野へも木(き)の国へも物する道なる。瀧は道より八丁ばかり入るところに有りとなん。

 いくら反省したとて、吉野の花のことが気になっています。もう満開は過ぎたかもしれない、などという話を聞くと、居ても立ってもいられない心境で、明日ぜひ龍門の滝を見に行きましょう、という人は誰もいませんでした。

 そもそもこの龍門の滝というのは、伊勢から高見山を越えて、吉野を経て紀伊の国へ通じる和歌山街道の道沿いにあるそうです。滝は道から八百メートルほど入ったところにあるというそうです。


 いとあやしきたきにて。日のいみしうてるをり。雨をこふわざするに。かならずしるし有りて。むなぎ(鰻)ののぼれば。やがて雨はふるなりとぞ。
   立よらでよそにきゝつゝ過る哉(かな)心にかけし瀧の白糸。 

 この滝は、とても霊験あらたかな滝だそうで、日照りが続いたので、滝に願掛けのお祭りをすると、必ず雨が降るそうで、お祭りの後に、鰻たちが滝を上るのが見え、やがて雨は降るということでした。

 そんな不思議な滝を見ることができないなんて、少し残念です。ということで、

  立ち寄ることができず、うわさだけを聞いて過ぎてしまいます、ずっと気にかけていた滝の白糸さんです。ああ、ザンネン。

 わりとそのまま短歌で、私でもできそうな短歌です。こういうのを作って旅日記を書くといいですね。



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