甘い生活 since2013

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苦情の電話って何?

2017年05月23日 21時49分32秒 | 私たちの社会・世界
★ 苦情の電話ってなんだろう。

 今の世の中にクレームや苦情の電話ほど恐ろしいものはない。

 本当に恐ろしいのか? いや、クレームをしている人自身が恐怖を感じているから、何かに訴えたくて、自分の不甲斐なさが情けなくて、その不甲斐なさを晴らすために、だれかに自らの怖さや怒りをぶつけたくて、特に会社組織・公務員・学校・メディアなど、公の存在をこきおろすことはよくやってしまうのだと思われる。

 そして、苦情をした者は、相手から謝罪の言葉を引っ張り出して、それで安心した気分でいるのかもしれない。でも、それはどうにもならないことではある。自分はそれで満足かもしれないが、何も解決したことにはならない。新たなクレームをつける存在を見つけて、すぐまたそれをはき出すだけになってしまう。そんなことではどうにもならないのだ。



 東北の方で、悲しいことに中学生が自殺をした。背景・原因として「いじめ」がクローズアップされる。保護者としては、せめて自分の子が通う学校では「いじめ」が存在してほしくないと思い、教員の取り組みに期待を寄せてしまう。保護者集会では、教員がいじめに立ち向かう姿勢、秘密を隠さず表面化させ、真剣な姿勢を見せてほしいと願う。

 けれども、まじめに教員が「いじめ」を調べていけば、そこに「いじめ」をした子どもらが浮かび上がり、この子らを野放しにしていたのは、実は親たちであったという厳しい事実に向き合わねばならなくなるのである。親たちも教員も、学校も、みんなが責任を感じなくてはならないと思う。でも、そうなったあとでは遅いのだ。もうどうにもならない。

 だから、学校なんかあてにしない、自分で自分を守れる強い子どもを育てたいと思う。言うのは簡単だが、行うのはとてもムズカシイと心から思う。



 一生懸命にみんなが事件解明に取り組めば取り組むほど、そこに犯罪者であり、イジメの実行者である子どもたちの存在が浮かび上がる。その子たちの罪は問われることなく、通り一遍の注意がなされ、一人の生命をそこまで追い詰めた自分たちの罪を共有することにはなると思うが、そこまでとなる。そして、みんなに精神的な暗い影を残して時間は過ぎていくのである。

 時間が来れば、私たちはそうした事実も忘れ、また新たな問題を抱えながら生きていくことだろう。かくも私たちはいい加減に人の生死を受け流し、何も考えないで生きていくことだろう。でも、それでいいと思っているのか。心の中では引っかかっているだろうけれど、あまり深く考え込まないようにして過ごしていくことだろう。

 おそらく、仕方がなく、そのように流されていくのだと思われる。



 何も解決していないし、死んでしまった子どもこそ哀れだ。これから先に、ずっといいことがあったとしても、それをもう味わえなくなってしまった。

 けれども、その子には、今が死んでもいいくらいに耐えがたいものではあった。今の苦痛と自死がそれほど変わらないものであったのだ。とても痛切なできごとではあるが、そういう状態であった。そして、その子は亡くなってしまった。



 まわりにいる人間は、はけ口が欲しくて、学校や社会にクレームやら、何か働きかけをすることだろう。でも、それよりも、もっと私たち大人は、子どもたちに目を向けて、その子らと向き合わねばならないのだと思う。

 そして、私は? ちゃんと向き合っていないという反省だけがある。

 どうしたら、もっといろんな人に向き合えるのだろう。時間? 金銭的余裕? どうしたら、私たちは若い人たちや、自分たち自身のまわりの人にちゃんと向き合えるのか?

 少なくとも、クレームの電話1本、苦情のメール、そんなことで何も解決にならないのは確かだ。

 不平を鳴らしても、何も解決にはなりません。せめて自分自身、いろんな人にちゃんと向き合いたいです。でも、私はまだちゃんとできていない。いったいいつになったら、他人にちゃんと向き合えるのか、とにかく明日から、頑張ろうと思います。 


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