黄昏ではないと思うんです。でも、朝ではありません。おそらく、昼下がり。
私は、午後の光の中にいる。人生はそんなに長くはない。いや、何十年という歳月だって、あっという間に過ぎていくものです。
いつかたそがれて、やがては真っ暗な闇の中に取り込まれていく。まあ、それは分かっているけれど、でも、今はまだだと思いたい。
昔から秋の夕暮れは心ときめくものがありましたが、最近は特に昼下がりの光に包まれていると安心してしまう。それが私たちの今だから、なのかなとふと思いました。
長岳寺の中をぐるっと回らせてもらって、さて、先ほどこの門をくぐってきた時には感じなかった光が西から差していました。まだ15時にはなっていなかったけれど、もう夕暮れの気配もしていたようです。
長岳寺はネコたちが歩き回るお寺になっていた。大門(おおもん)のクロネコ、地蔵院の陽だまりで寝ていたサビネコ、どこかのお姉さんにエサをもらっていたクロシマ・シロクロカップル、ミカン箱の横で黙々とエサを食べていたシマトラ、他にも何匹か見かけました。
写真を撮ろうと追いかけたりもしたけど、あまりいいものは撮れなかった。急にネコのファンになっても、ネコはすべてお見通しで、私はただの興味本位の人間であって、まともに相手にしてやる人間ではないと見破られていました。
古墳の横を通り、集落を抜けていきました。ところどころに花が植えられていたり、置物が置かれていたり、英語の案内板があったりする、古くさい道ではあるのに、外国のお客さんにも視線を向けた道にもなっていた。
国際的な感覚の、古い道になっているようです。ただの散策ではなくて、すれ違うだけで国際交流ができる道があった。
沿道には、地図で確認すると、古墳・古い集落・神社・お寺の跡、そうした歴史の場所を縫うように道は続いている。でも、実際に歩いてみたら、一つの道というよりも、ところどころ東西に抜ける車道・生活道路を歩かねばならなくて、そういうところをくぐって古い道にまた戻るという、現代と古代と平安・鎌倉・江戸みたいなのがごちゃ混ぜになりながら、とりあえずつながっているのだというのが感じられました。
パッチワークになっている印象でした。昔ここを歩いた時は、ただのハイキングコースとしてつながっている道だったのに、今はバラバラなものをつなぎ合わせてあるような感じがした。
ひとりで歩いているので、たまに開けたところに出ると、自分の位置が少しだけ確認できます。かなり歩いたような気分なのに、すぐ北の方に天理の巨大建造物が見えるし、山の中だとわからなかった、私の歩いた道のりのわずかさを思い知る。
どれだけ頑張ったつもりでいても、私のやってきたことなんて大したことはない。確かにその通り。でも、それで卑下するのではなくて、それを自覚して目先の目的地をめざすしかない。私にドローンの翼はないし、愚直に道を探って歩くしかないのだから。
世界は広くて、私は小さい。何となく、くたびれていて、今はたまたまひとりで歩いている。誰かと一緒に歩く時もあるはずなんだけど、思い付きで動いているから、今はひとり。
ネコににらまれたり、
光と影の、人々の暮らしの横を通りながら、私は自分の高校時代を探していた。この道は、高校1年の時の最初の遠足で歩いた道でした。それからずっと歩いていなくて、本当に遥かな昔をしのぶ気持ちを抱えていました。
何度も、「山の辺の道」の情報にはそれからもふれる機会はあったと思われます。テレビ、地図、大和路観光情報、中高年の旅話、「山の辺の道」はそこにあるし、私たちはかつてここを歩いたことがあった。しばらくは行っていない。
そのウカツさで、数十年が過ぎていた。何という浦島太郎なんだろう。小さいころ、玉手箱はおバカな話だと信じられなかったけれど、今となっては、みんなが玉手箱を抱えながら生きているんだというのが分かってきました。
本人にはものすごく長い歳月なのに、他人からしたら、なあんだ、コイツ、こんなになってるんだ、こんなジイサンなんだと、切り捨てられてしまうのです。
落胆はしていないのです。みんながみんな玉手箱を持っていて、それぞれ好きな時に開いている。
私は、自分の中では、半開きで生活しているつもりなんだけど、人から見たらどう見えたことか。
長岳寺をめざし、念願のお寺の拝観も果たしました。たぶん、初めてのお参りでした。地獄絵のお話を住職さんがされていて、一日に二回しかないそのお話が終わったところに、私は本堂にたどり着きました。
地獄のお話は、聞けたとしても、何となく想像がつきます。チラッと地獄絵を見せてもらえたので、もう満足でした。あまり地獄を強く印象付けなくても、もうそれはいいや、ということにしました。
門を出たら、あとは家に向かってまっしぐらです。桜井まで歩いていたら、真っ暗になってしまうし、体力も時間もありませんでした。南下は諦めました。
だから、まっすぐ西に坂を下っていき、JR柳本駅まで行きました。ここにも、たくさんの中高年グループが次から次とやってきました。
みんな駅で最後のセレモニーがあるようで、散策の終わりをみんなそれぞれかみしめているようでした。みんな私と同い年くらい。もう母の世代の人たちは、あちらこちら出歩かないようになりつつあるみたい。
やがて、私たちの世代の人たちも、そんなに出歩かなくなっていくでしょう。
今そこにある光の中を、歩けるなら歩くしかありません。
誰かを誘って、ブツクサ言いながら、オッチャングループでもいいし、男女混合でもいいから、みんなで歩いて行けたらなあと、駅で見知らぬ女性にアメチャンもらって、そんなことを考えていました。