
いつも見ているNHK-BSの「こころ旅」、今週は神奈川県を走っていて、金曜日は小田原の跨線橋が目的地でした。といっても、鉄道が下を走っていて、その上に町があるようでした。跨線橋は階段を上がるんじゃなくて、鉄道で分断された東西の町をつなげるための役割があるようでした。
橋の名前は「青橋」というそうで、90歳の方が10代初めのころ、家庭でとても苦しくて、橋の上から飛び込みたいと思い詰めていた時のことが手紙で書かれていました。80年前のその時にタイムスリップしてあげるため、火野正平さんたちはこちらまで走っていきました。
この橋を確認するために、小田原城にも行っていました。
私は、何度か小田原城は新幹線から見ていますが、今もってここを訪れたことはなくて、いつか18キップで行こうと思っているんですが、そこで観光ボランティアの人たちに、この跨線橋のことを教えてもらっていました。
踏み切りはあるけれど、跨線橋というと、ここしかなかったのかな。
あれ、表紙は今朝いたずら描きしたものですが、80年代の初め、大阪と東京で離れ離れになっていた彼女と、湯河原駅で待ち合わせて、海水浴に行き、二人で波でプカプカして、何だかしあわせな気分に浸り(手をつないで無邪気に波と戯れましたなあ。若かったですなあ)、それから箱根に行き、芦ノ湖で遊覧船に乗りました。それを描きました。
ただの昔話で、ちっとも小田原と関係ないですね。そんなイチャついている暇があったら、お城の見学をしろ! というふうに今なら言えるんだけど、当時は、二人で海に行くというのが大事だったんですね。まあ、仕方がない。当時も今も、うちの奥さんたら、お城には興味ないだろうしな、仕方がありません。

さて、こちらは東海道の金谷を描いたものです。24番目の宿場です。23番目の島田も遠景で川渡りをしている様子を広重さんは描いています。
小さいころの私は、こういう遠景・風景・川が画面を横切る姿が好きでした。右から左に大井川が流れているんですけど、今見てみると、私でも描けそうで何だかつまらないなと思ってしまいます。

そして、小田原も金谷と同じような絵になっていて、なおさらつまらないと思ってしまいます。
箱根の大山塊が描かれているし、その下にはお城も描かれているようです。よおく見ないとわかりません。私は何十年も知りませんでした。
ただ、これが小田原の絵だ、というのは十代にインプットしたから、現在でもテレビでチラッと見ただけで、小田原の風景だと判断できる気がします。
これも右から左に酒匂川(さかわがわ)が流れています。そうですね、すべて東京視線で描かれているわけです。江戸から京をめざして行くと、平塚、大磯と宿場町があって、9番目の宿場町が小田原で、そこに着く前に相模平野を抜けてきた酒匂川を渡らなくてはならない。お城も見える。箱根の山も見える。
そうした風景のネタをすべて抑えてあるのが、この絵だったんです。
観光案内としてはOKなんだけど、それが人間を描いているかというと、何だかつまらない。もっと画面が街に近づいて、人々の姿を描かなきゃ! そういう反省を踏まえ、名作の蒲原(かんばら 15番目)、庄野(しょうの 45番目)が生まれたんでしょう。
53次シリーズは、遠景と近景、アップを使い分けながら、観光ガイドと人情絵巻として人々に親しまれていったものなんでしょう。そして、今も私たちの心のどこかに引っかかっていて、川を渡ったり、風が吹いてたり、雪景色につつまれたり、いろんな場面で自分を重ね合わせているんです、きっと。
「こころ旅」では、小田原に行く前、スタート地点として旧東海道の畑宿というところからスタートしていました。そのまま標高400mから旧道を自転車で下って行ってましたけど、あれも新鮮でした。
箱根というと、これまた私の道のイメージは「箱根駅伝」に洗脳されていて、東海道もあのランナーたちが走る道を上り下りをしたんだろうと思っていました。でも、実はあのランナーたちが走る道とは別の古い道があったなんて!
あまり歩いていないけど、街道歩きファンである私は、びっくりしました。いつか歩いてみたいなとか、できもしないくせに思ってしまった。