朝、玄関を出てみたら、西の空が火事みたいになっていました。雲がたくさん重なっていて、その雲がみんな夕映えというのか、朝だから朝映えというのか、ボ-ッと真っ赤に浮かび上がっていました。西の空全体が真っ赤だから、火事ではありませんでした。火事だったら、もっと限定的な赤い空だったでしょう。
東の空は、快晴でした。朝の光が差すようにシルエットを浮かび上がらせていた。
信号では真正面からの朝日でまぶしかった。しばらくして西に向かって走り出したら、西の空は雲が先ほどのようにびっしりで、薄暗かったのです。
市街地をしばらく走ると、山が見えました。その山のふもとの方から大きなアーチが空にできていました。
それは冬の虹でした。市街地を出たら、何にもない田んぼがいくつかあります。その一端からこの光の半円が出ているようです。
走りながら、「あっ、あそこから虹が出ている。あそこを掘り出すと、宝物が出てくる、そういう伝説を聞いたことがあったな……」などと思っていました。
虹の出てくるところ、そこには虹の壺があって、そこから虹が出るとか、どこで仕入れたウソなんだろう。
信号待ちしていると、すぐそこの田んぼのところから虹は出ているようです。だったら、だれかそこを掘ってくれたらいいのに! ちょうど冬だから、農作業もしていないし、何も植えてないんじゃないだろうか。
麦が出ている田んぼもあるみたいだけど、そこは何だか掘れそうでした。
もちろん、虹の出どころを掘ったとしても、何も出てこないでしょう。第一、そこだと私が思っても、私がそこだと認識している場所に誰かがスコップを持っていたとしても、その人には自分の足元から虹が出ているようには見えないのです。
私には見えているのに、そこにいる本人には見えない。
そこにいる人は、「自分よりもっと後方の人たちの方が虹の壺を掘り出すことができる。私じゃなくて、向こうに見える人こそが虹の壺を見つけ出さなきゃ!」と、別の人に権利を放棄するはずです。
なかなか象徴的な話だと、虹を追いかけながら思っていました。
虹は、ただの光線の見え具合によるのであり、虹が現れているところでは虹そのものをつかむことはできないのです。虹はただの光線だから、太陽光線が弱くなれば見えないし、太陽が斜めに差し込まないとダメなわけです。
それを勝手に人間たちが騒いでいるだけです。
けれども、私たち人間は、食い物も必要だし、子孫を残すというのも大事な作業なんだけど、希望を抱いてやみくもに動き回ることも使命として与えられています。
だから、虹を見つけたら、いくら追いかけても、虹は逃げていくだけだし、すぐそこにある虹の元には私たちはたどりつけないことになっている、そういうことを理解しながらも、あえてその先を求めていかなくてはいけないんだ、と教訓的に思いました。
虹と遊んだのは十五分くらい。すぐに薄暗い雲の下にたどりつき、いつもの通勤路は大渋滞で、トロトロと走って、すぐに虹のことは忘れてしまったのでした。