高校の時、へんてこな数え歌がありました。普段はそんなことは気にしないのに、文化祭とか体育祭、そういうイベントが近づいてくると、歌詞が書かれた紙が出回っていました。それをみんなで歌い、へんてこな学校に自分たちはいるのだというアイデンティティを育てていました。かくして私は、少し変てこな高校生になれたんでしょうか。変てこは望むところです!
ファイアーストームという打ち上げ行事もあって、学校のグラウンドの真ん中でたき火をして、そのまわりをフォークダンスしたり、歌ったり、何か大声を出したい気分になりました。
どうしてそんなことがしたかったのか、よくわからないけれど、それが70年代的気分だったのだと思います。他の時代ではもうやらなかったでしょう。
若者たちは、変わらないようでいて、ウネウネと変わっていくような気がします。今の若者たちはとても礼儀正しいというのか、人との関係にものすごく気を使わねばならなくて、その方面では疲れてしまうところがあるみたいです。というのを感じるけど、どうなんでしょう。
数え歌の三番にこんなのがありました。
三つとせ、見たか聞いたか三番街、…………びしょ濡れだ
だったかな。とにかく、当時の若者の人気スポット、阪急三番街というところで、先生がずっこけたか何かでびしょ濡れになった、それを目撃していた生徒がいて(先生自らが武勇伝として語った?)、そのまま歌になったものでした。
先生は、1年の時の現代国語の担当で、そういうこともあったのかと感心したものでした。他にも先生ネタの歌が続いていきます。
それで、こういう起伏のないメロディというのはどこから来たのか、日本人は昔から自分たちのまわりにある物語を、この歌とも言えないようなメロディに乗せてきたのだとふと思ったんです。そこがまあ、日本の人々の歌というものだったでしょうか。
トンヤレ節というのを最近思い出したんです。どこかのテレビで見たというのではなくて、日本の歴史の一コマとしての歌が、どこかで刷り込まれていて、ひょっこり出てきたというものなのかどうか。
ただのボケなのかもしれません。
宮さん、宮さん、お馬の前でチラチラするもんなんじゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは、朝敵征伐せよとの錦のみ旗じゃ、知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ
あとは知りません。とにかくこのフレーズだけが私の頭に刷り込まれていて、高校の時の数え歌と、トンヤレ節と、似ているようで似ていない2つの歌のメロデイが混然一体となって、出たり入ったりします。
ね、なかなかボケた頭でしょ!
トンヤレ節は、長州の武士団の間で歌われた作品なのか、長州の品川弥次郎作詞、大村益次郎作曲という、本当にそうなのかと思われるコンビによって作られた日本最初の軍歌なんだそうです。
本当にこの二人が作ったのか、関東征伐の連合軍がこんな歌をうたったのか、わからないことだらけだけれど、いかにもそれらしく伝えられたものではありました。
軍歌というカテゴリーなら、わたしには必要ありません。小さい頃はよく聞かされたけれど、ずっと避けてきた世界だし、私には軍歌に何の郷愁もないのだから、みだりに近づいてはいけないなと思っています。
それに、軍歌といっても、明治維新直前のほんの一瞬のことではなかったのかなあ。そんな短期間のことなのに、歌になったのかどうか。
ちゃんとした歌の歴史はあると思うのですが、ネットの世界では真相はわかりません。
ただ、わたしたちのまわりには、いつの間にかいろんな歌が入っては消え、消えたと思ったらまた入りしているんだなと思うんです。
古い歌だけれど、古典的だから耳には残りますね。