重松 清(著)
震災によってもたらされた喪失の悲しみと再生への祈りを描く、7つの小さな物語。
私は山口県に住んでいます。
その日、私は職場の休憩室でテレビによって震災を知らされました。
「何?何なの?」
同じ日本なのに、とても小さな狭い国土なのに、
遠い遠い国の出来事のよう・・・
ごめんなさい。
何もできずに、何も知らずにのうのうと生きている私。
ごめんなさい。
どんなに言葉を連ねても、どんなに涙を流しても、どんなに心を痛めていたと叫んでも、
私は当事者じゃなかったのです。
私は、どの話にも涙しましたが、
とりわけ、カレンダーのお話の「記念日」、写真を探す「五百羅漢」に大泣きでした。
何があっても何が起ころうとも、
「また次の春」がやってくる。
そう思えるまでに時間は必要かも知れないけれど、
これまでの「春」とは違っていても、
きっと「春」はやってくる。
震災によってもたらされた喪失の悲しみと再生への祈りを描く、7つの小さな物語。
私は山口県に住んでいます。
その日、私は職場の休憩室でテレビによって震災を知らされました。
「何?何なの?」
同じ日本なのに、とても小さな狭い国土なのに、
遠い遠い国の出来事のよう・・・
ごめんなさい。
何もできずに、何も知らずにのうのうと生きている私。
ごめんなさい。
どんなに言葉を連ねても、どんなに涙を流しても、どんなに心を痛めていたと叫んでも、
私は当事者じゃなかったのです。
私は、どの話にも涙しましたが、
とりわけ、カレンダーのお話の「記念日」、写真を探す「五百羅漢」に大泣きでした。
何があっても何が起ころうとも、
「また次の春」がやってくる。
そう思えるまでに時間は必要かも知れないけれど、
これまでの「春」とは違っていても、
きっと「春」はやってくる。