ついに(というかとうとう)私は川越での業務を離れることになりました。転勤です。
長いようで短い月日でして、まるで夢の中のようでした。
2006年の9月21日あたりに赴任しまして、2011年の4月15日まで。
年齢的にも38歳3ヶ月から42歳10ヶ月までを過ごしました。
沢山の人に助けてもらいました。
沢山の人の頑張る姿を見ました。
沢山の人の笑顔を見ました。
私は、川越のいいところを沢山知っています。
私は、埼玉のいいところを沢山知ることができました。
その埼玉、川越を離れます。
今度の勤務地は、神奈川県川崎です。東海道線の通る川崎駅が新しい勤務地です。
この前、挨拶に伺いました。
とても若く、活気溢れる職場です。
私はその中ではかなり高齢に属します。
こういう部署を作りたい。こういう会社にしていきたい。こういう気持ちで仕事に関わっていきたい。
ここ川越では果たせなかったことも沢山あります。それは仕方がない部分もありました。
私は数字を扱っています。これからもそれを扱うことになりました。
でも。。。数字が全てではないことにも気付きました。
数字に全て従うという気分はもう失せました。というか翻弄されたくない。
ただ、、、医師や薬剤師のように、数字という処方箋を会社の体内に埋め込むことはしなければならないときがある。それは事実。
時には、社員の下あごを押さえてでも強行に数字という薬を飲み込ませることもしなければならない。
時にはやさしくシロップで、または糖衣で包んで(くるんで)で飲んでもらうこともする。
何を求められているかを都度考えて、そのときのベストチョイスを摘み上げることもしていきたい。その対応は一遍通りのものでなくしていきたい。
できれば、、、
シロップと下あご押さえを取り混ぜるくらい変幻自在に。
誤解もありました。数値を扱っている人間は何でも知っているという誤解です。私は法律家でもないし、税務署の人間でもない。
ただ決裁を押しながら、首を傾げればその部署に飛んでいくこともしました。
納得できるまで話込んだことも何度もあります。
全ての自分自身の希望と役割への理解(偏向してたとしたって)を基に、次の仕事に向かいます。
ここ数年、新しい職場に来て、多くの人に出会って、色々と考えて自分自身もここまで変われた。これから先だってまた変わっていく。根本は変わらないかもしれないけれど、柔軟に対応していきたい。
川越時代を振返って、今はそういう気分です。
みなさん、大変お世話になりました。お蔭様で自分ではそうですね。。。。
多くの人とお話ができて嬉しかったです。
特に思いがとっても強い人達。
色々な考え方をぶつけ合えることは楽しかったです。
思いは本音となり、言霊となってその部署の行動を変えていっています。
触発されることもかなりありました。
正しいと思う気持ちと気持ちがあれば理解はすんなり早く打ち解けあうことも理解しました。
そう、思い出すのはまだ若いころから、川越の出身者の人たちによく「事業所合ってると思いますよ」と云われ続けたことです。自分ではどこがどう合っているのかは当時はよく分からなかったですけど。今では何もかもが「合っていた」んだろうと思えるようになりました。
何日かかけて事業所を隈なく廻りました。多くの人にご挨拶をと思って、頭を下げに廻りました。
「お世話になりました」と云っただけの人は多分余りいなかったです。。大半の人には「楽しかったです、また遊んで下さい!」と自分でもなんだか不思議な挨拶をして廻りました。
中には話し込むことになった人も多数。
なんだか仕事をしていたというよりも遊んでいたつもりもなかったけど「楽しんでいた」まさにそんな感じの4年半でした。
「またね!」とか「またいつか!」というのが多分合っていると思うんだけど。。。
それでは、このへんで。
またね!川越のみんな!
心の底から「本当にお世話になりました!」ペコッ!
長いようで短い月日でして、まるで夢の中のようでした。
2006年の9月21日あたりに赴任しまして、2011年の4月15日まで。
年齢的にも38歳3ヶ月から42歳10ヶ月までを過ごしました。
沢山の人に助けてもらいました。
沢山の人の頑張る姿を見ました。
沢山の人の笑顔を見ました。
私は、川越のいいところを沢山知っています。
私は、埼玉のいいところを沢山知ることができました。
その埼玉、川越を離れます。
今度の勤務地は、神奈川県川崎です。東海道線の通る川崎駅が新しい勤務地です。
この前、挨拶に伺いました。
とても若く、活気溢れる職場です。
私はその中ではかなり高齢に属します。
こういう部署を作りたい。こういう会社にしていきたい。こういう気持ちで仕事に関わっていきたい。
ここ川越では果たせなかったことも沢山あります。それは仕方がない部分もありました。
私は数字を扱っています。これからもそれを扱うことになりました。
でも。。。数字が全てではないことにも気付きました。
数字に全て従うという気分はもう失せました。というか翻弄されたくない。
ただ、、、医師や薬剤師のように、数字という処方箋を会社の体内に埋め込むことはしなければならないときがある。それは事実。
時には、社員の下あごを押さえてでも強行に数字という薬を飲み込ませることもしなければならない。
時にはやさしくシロップで、または糖衣で包んで(くるんで)で飲んでもらうこともする。
何を求められているかを都度考えて、そのときのベストチョイスを摘み上げることもしていきたい。その対応は一遍通りのものでなくしていきたい。
できれば、、、
シロップと下あご押さえを取り混ぜるくらい変幻自在に。
誤解もありました。数値を扱っている人間は何でも知っているという誤解です。私は法律家でもないし、税務署の人間でもない。
ただ決裁を押しながら、首を傾げればその部署に飛んでいくこともしました。
納得できるまで話込んだことも何度もあります。
全ての自分自身の希望と役割への理解(偏向してたとしたって)を基に、次の仕事に向かいます。
ここ数年、新しい職場に来て、多くの人に出会って、色々と考えて自分自身もここまで変われた。これから先だってまた変わっていく。根本は変わらないかもしれないけれど、柔軟に対応していきたい。
川越時代を振返って、今はそういう気分です。
みなさん、大変お世話になりました。お蔭様で自分ではそうですね。。。。
多くの人とお話ができて嬉しかったです。
特に思いがとっても強い人達。
色々な考え方をぶつけ合えることは楽しかったです。
思いは本音となり、言霊となってその部署の行動を変えていっています。
触発されることもかなりありました。
正しいと思う気持ちと気持ちがあれば理解はすんなり早く打ち解けあうことも理解しました。
そう、思い出すのはまだ若いころから、川越の出身者の人たちによく「事業所合ってると思いますよ」と云われ続けたことです。自分ではどこがどう合っているのかは当時はよく分からなかったですけど。今では何もかもが「合っていた」んだろうと思えるようになりました。
何日かかけて事業所を隈なく廻りました。多くの人にご挨拶をと思って、頭を下げに廻りました。
「お世話になりました」と云っただけの人は多分余りいなかったです。。大半の人には「楽しかったです、また遊んで下さい!」と自分でもなんだか不思議な挨拶をして廻りました。
中には話し込むことになった人も多数。
なんだか仕事をしていたというよりも遊んでいたつもりもなかったけど「楽しんでいた」まさにそんな感じの4年半でした。
「またね!」とか「またいつか!」というのが多分合っていると思うんだけど。。。
それでは、このへんで。
またね!川越のみんな!
心の底から「本当にお世話になりました!」ペコッ!