萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

唄は詩を求め、詩は歌なしでは成立しなくなった と思った話

2012-04-06 04:50:33 | No Music, maybe, No my Life!
詩人はいない。
今の時代に詩人という
職業だけでは生きていけないなと思う。
どうしてもその詩を、
その詩を音楽に乗せて謳い上げる素養がないと
この時代には残っていかない。
いけない。
もし詩人と名乗る人がいるならば、
どうか、その作品を音に乗せてみて欲しい!

音だ。
そうだ、音。
音を見つけて、自分の言葉を噛み締めてほしい。
そこで零れてしまうのなら、再考してほしい!
音の方がその言葉を求めていないなら、
逆に言葉の方を探すんだ!
もう戻れない。多分戻れないんだ。


元々音楽にはその毒性が仕掛けてあって、
ボブ・ディランあたりで「詩の独歩」をぶち壊し、
吉田拓郎あたりのフォーク世代がそれを踏み固めてしまって
きっと殺してしまったに違いない!
そしてその世界で色々な唄声が産声を上げ、
手を空に翳し、飛び立って覆い尽くしてしまった。

仕方がないことだけど、、、、


言葉と音を合わせるって、
まるで彫刻のように言葉と音を掘り出す感じかな?

間奏が邪魔なら間奏なんか要らない。
イントロが要らないなら
イントロなんて考えなくてもいい。
いつまでも終わりたくないなら、
それでもいいんじゃないか?とさえ思う
D.C.(ダ・カーポ)で延々と曲の頭に
戻しちゃえばいいさ。
Fineを書かなければその曲は終わらない。
聴く人の方が適当なところでFade outをしてくれる。
歌い疲れたら、止めればいいさ。
二度と同じメロディを繰り返さなくてもいい。
全ての縛りはなくなったんだとも思う。

でも唄う必要はあるんだ!
必要はあるはずだと強く思う。

もちろん孤高の詩人さんが居たら、
会ってみたい!

本当だ。

いや...読んでみたいの間違いか。




End

とここまでボブ・ディランの詩みたいに記事を書いてみました。^^v

下につけた動画たちに触発されて。


Kiyoshiro & Chabo - 君が僕を知ってる


[今までしてきた、悪いことだけで
僕が明日有名になっても
どうってことないぜ
まるで気にしない
君が僕を知ってる]・・・・か。

すごい賛美だ。こんな信頼関係がどこかに残っているんだと知ったら、、、
そう思えただけできっと涙が溢れ出てくるに違いない。


my back pages 2009

[Good and bad , I define these terms
Quite clear , no doubt , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.]

[善と悪を、しっかり定義できて、
それもかなりクリアに、、、、もう何の疑いも無く!

ああ、そんときの俺は今よりも大分老けていて、
今はあんときよりずっとずっと若いのさ・・・・・・か。。。。]



人生の境地を知るにはまだまだだと気付かされる。

真心ブラザーズ マイ・バック・ページ

真心がいい感じで意訳(ある意味完全に別の歌詞で真心が考えるボブディランが云いそうなこと?)して謳い上げてくれています。



詩人、、、、誰?杜甫?李白?高村光太郎、、、、

あぁ、吉本隆明だ、、、、そうだ読んでみるか。

詩には世界を凍りつかせる力が単体でもあることを証明してくれるかも知れないから。
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