その昔―。
「スティーブン・キングの小説、パッと思い浮かぶものを挙げてみて」と友人にいわれ、
「えっとね、『クジョー』に『クリスティーン』、『デッドゾーン』と『ニードルフ・シングス』・・・」などと返したら、
「わー! いかにも“俺は通”って感じでイヤだねー」
「なにがさ?」
「最初に『シャイニング』とか『スタンド・バイ・ミー』を挙げないところが」
「当たり前過ぎるでしょ、だって」
「ほら、そうやって、ある質問に対して答えを発する前に、自分がどう思われるかまで考えているわけでしょ」
「まぁそれはそうだよ」
「だから、まっき~はプライド高いんだよ」
「否定はしないよ、でも、なに、その質問は? キングについてではなくて、心理分析かなにかなの?」
「いや、そういうつもりはなかったんだけれど、みんな『シャイニング』と答えたのに、まっき~だけ変化球だったから」
というわけで。
映画から考える心理分析というかプロファイリングというか。
好きな映画を三つ挙げてもらうだけで、そのひとの「ひとと、なり」が分かる―というのが持論だが、
それはべつに映画にかぎった話ではなく、文学でも音楽でも絵画でもそうだと思う。
去年あたりからメディアでよく見かける「映画」心理分析官? に、コトブキツカサというひとが居る。
作家で清涼院流水というひとが居て笑ったことがあったが、「寿司」と書いてコトブキツカサと読ませるのも面白い。
こんなひとで、
まぁ、映画の数だけ答えかたがあると思うので、この攻めかたは新しいっちゃあ、新しいのかもしれない。
しょっちゅう我流のベストテンなどを展開する自分、そのリストはほぼ不動ではあるが、
「好きなもの三つ」とか「ベストスリー」とか「ひとに薦めたくなる三本」とか「宝物三つ」とか、聞きかたによって答えは微妙に変わってくるものだし、日によって順位がアベコベになり、ふだんなら入るものがその日にかぎって漏れてしまうことだってある。
たとえば「ベストワン」と聞かれたらスコセッシの『レイジング・ブル』(80)と答えるが、
「いちばん好きな映画」と聞かれたら、スコセッシは一緒でも『タクシードライバー』(76)と答える。
日常会話としての「好きな三つ」であれば『タクシードライバー』、『アマデウス』(84)、『ゆきゆきて、神軍』(87)と答えるが、
最初から心理分析をおこなうのが分かっていれば、『アマデウス』を同じミロシュ・フォアマンの『カッコーの巣の上で』(75…トップ画像)に置き換えるかもしれない。
なぜ? と問われても「うっ」と詰まってしまうが、両隣が鬼畜系? の映画だから、ちがいますよ、自分はヒューマニストですよと主張するため、、、なのかもしれない。
そういう心理さえ読んでくれるのであればコトブキ氏はホンモノだと思うが、どうなんだろうか。
というか。
こういう問いって、映画キチガイには無効であったりする。
(自分も含めて)こういう連中は常に自分のベストを考えている傾向にあるため、事前に候補作が絞られているから。
答えが準備されていないものに対する質問でないと、心理分析なんか出来ないと思うのだ。
だから自分は「そこそこ映画が好きなひと」にこの問いをぶつけてみることが多いのだが、相手は自分が映画小僧だと分かっているために身構えてしまい、
「うーーん、なかなか思い浮かばないね」と逃げられることが多い。
結論。
自分は、問うほうにも答えるほうにも向いていないと。
なんて不器用なヤツなんだ!!
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』
「スティーブン・キングの小説、パッと思い浮かぶものを挙げてみて」と友人にいわれ、
「えっとね、『クジョー』に『クリスティーン』、『デッドゾーン』と『ニードルフ・シングス』・・・」などと返したら、
「わー! いかにも“俺は通”って感じでイヤだねー」
「なにがさ?」
「最初に『シャイニング』とか『スタンド・バイ・ミー』を挙げないところが」
「当たり前過ぎるでしょ、だって」
「ほら、そうやって、ある質問に対して答えを発する前に、自分がどう思われるかまで考えているわけでしょ」
「まぁそれはそうだよ」
「だから、まっき~はプライド高いんだよ」
「否定はしないよ、でも、なに、その質問は? キングについてではなくて、心理分析かなにかなの?」
「いや、そういうつもりはなかったんだけれど、みんな『シャイニング』と答えたのに、まっき~だけ変化球だったから」
というわけで。
映画から考える心理分析というかプロファイリングというか。
好きな映画を三つ挙げてもらうだけで、そのひとの「ひとと、なり」が分かる―というのが持論だが、
それはべつに映画にかぎった話ではなく、文学でも音楽でも絵画でもそうだと思う。
去年あたりからメディアでよく見かける「映画」心理分析官? に、コトブキツカサというひとが居る。
作家で清涼院流水というひとが居て笑ったことがあったが、「寿司」と書いてコトブキツカサと読ませるのも面白い。
こんなひとで、
まぁ、映画の数だけ答えかたがあると思うので、この攻めかたは新しいっちゃあ、新しいのかもしれない。
しょっちゅう我流のベストテンなどを展開する自分、そのリストはほぼ不動ではあるが、
「好きなもの三つ」とか「ベストスリー」とか「ひとに薦めたくなる三本」とか「宝物三つ」とか、聞きかたによって答えは微妙に変わってくるものだし、日によって順位がアベコベになり、ふだんなら入るものがその日にかぎって漏れてしまうことだってある。
たとえば「ベストワン」と聞かれたらスコセッシの『レイジング・ブル』(80)と答えるが、
「いちばん好きな映画」と聞かれたら、スコセッシは一緒でも『タクシードライバー』(76)と答える。
日常会話としての「好きな三つ」であれば『タクシードライバー』、『アマデウス』(84)、『ゆきゆきて、神軍』(87)と答えるが、
最初から心理分析をおこなうのが分かっていれば、『アマデウス』を同じミロシュ・フォアマンの『カッコーの巣の上で』(75…トップ画像)に置き換えるかもしれない。
なぜ? と問われても「うっ」と詰まってしまうが、両隣が鬼畜系? の映画だから、ちがいますよ、自分はヒューマニストですよと主張するため、、、なのかもしれない。
そういう心理さえ読んでくれるのであればコトブキ氏はホンモノだと思うが、どうなんだろうか。
というか。
こういう問いって、映画キチガイには無効であったりする。
(自分も含めて)こういう連中は常に自分のベストを考えている傾向にあるため、事前に候補作が絞られているから。
答えが準備されていないものに対する質問でないと、心理分析なんか出来ないと思うのだ。
だから自分は「そこそこ映画が好きなひと」にこの問いをぶつけてみることが多いのだが、相手は自分が映画小僧だと分かっているために身構えてしまい、
「うーーん、なかなか思い浮かばないね」と逃げられることが多い。
結論。
自分は、問うほうにも答えるほうにも向いていないと。
なんて不器用なヤツなんだ!!
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『怒れる牡牛の物語』