英国のバンドCORNERSHOPの代表曲に『BRIMFUL OF ASHA』(ブリムフル・オブ・アーシャ)というのがあって、サビの部分で延々と、
♪ ひとは眠るために、ふたつのおっぱいが必要なんだ ♪
といっていて、笑えると同時に、ロックでこれほど真理に近づいた曲もないかもしれない・・・などと感動したことがある。
いわゆる「おっぱい星人」ではないが、ヒトナミに、いやそれ以上におっぱいが好きだ。
「おっぱい」というと可愛げがあるが、「チチ」というと途端に下品になる。
なるが漢字で「乳」と記せば、そうでもなくなったりする。『乳と卵』が文学であるように。
「パイオツ」は業界用語? とされているが、そんな風にいう業界人に会ったことがない。
「バスト」というと専門的な感じがするが、これもまた日常会話っぽくない。
やっぱり「おっぱい」というのがいちばんしっくりくる。
だから映画で『おっぱいバレー』(2009)というのがあっても、どこからも抗議されない。
『ちんちんバレー』だったらお蔵入りになった可能性が高く、これは男女差別なんじゃないかと声高に叫びたくもなるが、誰もマトモに取り合ってくれないだろう。
くそっ。
って、なにがくそっ、、、なのか。
今年の米オスカーで総合司会を務めた才人、セス・マクファーレン。
自分と同年というのが驚きだが、
あの晩のスピーチというか芸で最も面白かったのが、「有名女優がどんな映画でおっぱいを見せているのか」を歌ったパロディである。
ジョディ・フォスターも皮肉られていたが、最後にケイト・ウィンスレットの名を挙げ「このひとは、いろんな映画で脱いでいるので挙げ切れない」と結ぶ。
わははっ。
映画はエロスと暴力だから、AVの次にハダカと密接な関係にある映像表現だと思う。
デヴィッド・リンチによる傑作『ツイン・ピークス』(89~91)は、テレビドラマだからおっぱいまで映すことが出来なかった。
その代わり映画版ではポルノといっていいくらい「出しまくり」であったのだが、このタイトル「ふたつの山」は隠語としてのおっぱいにあたるという説がある。
たぶん、そのとおりだと思う。
いかにもリンチらしいじゃないか。
よく女優さんが「ドラマにおいて“必要性”が感じられれば、脱ぐ」といっているが、
はっきりいってしまえば受け手にとってそんなことはどうでもよく、おっぱいが見られれば「得した♪」となり、
見えそうで見えない、結局最後まで背中のみ―という展開だったりすると、「なんだよ、くそっ!」と憤りを覚えたりするだけで。
脱ぎっぷりがよければ、それだけでその女優さんのことが好きになり。
逆に出し惜しみされると、「なんなんだよ!」なんて。
というわけで。
おっぱいを見せてくれたから好きになった―というと語弊がありまくりになるのだが、
おっぱいが映されたことによって「明らかに☆の数が増えた」映画をセレクトしてみた。
(1)小島聖、『完全なる飼育』(99)
すっげ柔らかそう。
(2)石田えり+高樹沙耶、『チ・ン・ピ・ラ』(84)
つまり、四つのおっぱいだ。
(3)ニコール・キッドマン、『アイズ ワイド シャット』(99)
キューブリック、脱がせてくれてサンクス。
(4)ジュリアン・ムーア、『ショート・カッツ』(93)
さりげなく、しかし大胆に脱いでいた。
(5)沢尻エリカ、『ヘルタースケルター』(2012)
抜群のタイミングだった。
(6)高岡早紀、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)
パイナップルみたいだった。いや、褒めことばだからね。
(7)星野真里、『さよならみどりちゃん』(2004)
実際、脱いでいると聞いて劇場に足を運んだ。
(8)ペ・ドゥナ、『空気人形』(2009…トップ画像)
こういう役を演じ切る日本の女優が居ないからと、是枝さんは韓国の女優にオファーをした。
(9)ナオミ・ワッツ、『21グラム』(2003)
下世話だが、乳首が立っていたことに感動した。
(10)吉本多香美+荻野目慶子、『皆月』(99)
これまた、四つのおっぱい。
※冒頭に記した『BRIMFUL OF ASHA』
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『小僧ズ、ドント・クライ』
♪ ひとは眠るために、ふたつのおっぱいが必要なんだ ♪
といっていて、笑えると同時に、ロックでこれほど真理に近づいた曲もないかもしれない・・・などと感動したことがある。
いわゆる「おっぱい星人」ではないが、ヒトナミに、いやそれ以上におっぱいが好きだ。
「おっぱい」というと可愛げがあるが、「チチ」というと途端に下品になる。
なるが漢字で「乳」と記せば、そうでもなくなったりする。『乳と卵』が文学であるように。
「パイオツ」は業界用語? とされているが、そんな風にいう業界人に会ったことがない。
「バスト」というと専門的な感じがするが、これもまた日常会話っぽくない。
やっぱり「おっぱい」というのがいちばんしっくりくる。
だから映画で『おっぱいバレー』(2009)というのがあっても、どこからも抗議されない。
『ちんちんバレー』だったらお蔵入りになった可能性が高く、これは男女差別なんじゃないかと声高に叫びたくもなるが、誰もマトモに取り合ってくれないだろう。
くそっ。
って、なにがくそっ、、、なのか。
今年の米オスカーで総合司会を務めた才人、セス・マクファーレン。
自分と同年というのが驚きだが、
あの晩のスピーチというか芸で最も面白かったのが、「有名女優がどんな映画でおっぱいを見せているのか」を歌ったパロディである。
ジョディ・フォスターも皮肉られていたが、最後にケイト・ウィンスレットの名を挙げ「このひとは、いろんな映画で脱いでいるので挙げ切れない」と結ぶ。
わははっ。
映画はエロスと暴力だから、AVの次にハダカと密接な関係にある映像表現だと思う。
デヴィッド・リンチによる傑作『ツイン・ピークス』(89~91)は、テレビドラマだからおっぱいまで映すことが出来なかった。
その代わり映画版ではポルノといっていいくらい「出しまくり」であったのだが、このタイトル「ふたつの山」は隠語としてのおっぱいにあたるという説がある。
たぶん、そのとおりだと思う。
いかにもリンチらしいじゃないか。
よく女優さんが「ドラマにおいて“必要性”が感じられれば、脱ぐ」といっているが、
はっきりいってしまえば受け手にとってそんなことはどうでもよく、おっぱいが見られれば「得した♪」となり、
見えそうで見えない、結局最後まで背中のみ―という展開だったりすると、「なんだよ、くそっ!」と憤りを覚えたりするだけで。
脱ぎっぷりがよければ、それだけでその女優さんのことが好きになり。
逆に出し惜しみされると、「なんなんだよ!」なんて。
というわけで。
おっぱいを見せてくれたから好きになった―というと語弊がありまくりになるのだが、
おっぱいが映されたことによって「明らかに☆の数が増えた」映画をセレクトしてみた。
(1)小島聖、『完全なる飼育』(99)
すっげ柔らかそう。
(2)石田えり+高樹沙耶、『チ・ン・ピ・ラ』(84)
つまり、四つのおっぱいだ。
(3)ニコール・キッドマン、『アイズ ワイド シャット』(99)
キューブリック、脱がせてくれてサンクス。
(4)ジュリアン・ムーア、『ショート・カッツ』(93)
さりげなく、しかし大胆に脱いでいた。
(5)沢尻エリカ、『ヘルタースケルター』(2012)
抜群のタイミングだった。
(6)高岡早紀、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)
パイナップルみたいだった。いや、褒めことばだからね。
(7)星野真里、『さよならみどりちゃん』(2004)
実際、脱いでいると聞いて劇場に足を運んだ。
(8)ペ・ドゥナ、『空気人形』(2009…トップ画像)
こういう役を演じ切る日本の女優が居ないからと、是枝さんは韓国の女優にオファーをした。
(9)ナオミ・ワッツ、『21グラム』(2003)
下世話だが、乳首が立っていたことに感動した。
(10)吉本多香美+荻野目慶子、『皆月』(99)
これまた、四つのおっぱい。
※冒頭に記した『BRIMFUL OF ASHA』
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