きのう3月12日は、自分にとっての上京記念日である。
21年前のきのう、群馬の片田舎で映画と自慰に明け暮れていた小僧が東京の地を踏んだと。
館林駅で見送ってくれたのは、とーちゃんとかーちゃん。
まだハーフパンツ信仰もなく、しかし似合わないという自覚を持ちながらジーンズを穿き、アスレッチックスの野球帽を被っていた、、、と記憶する。
館林→北千住→秋葉原、徒歩で岩本町駅、都営新宿線に乗り調布へ―という、約170分のルート。
調布駅を降りると、一直線にマクドナルドへ。
これは一ヶ月前に決めていたことで、この日は上京記念日でもあり、初マックの日でもあった。
東京とともに、ファストフードへの幻想も抱いていたということ。
芥川の『芋粥』ではないが、ポテトを腹いっぱい食べてみたいと夢見ていたのである。
そう、幻想。
憧憬というより、幻想といったほうが正しい。
東京に行けばなんとかなる・・・いや、もうちょっとうしろ向きで、自分の居場所は東京にしかないんじゃないかと。
こうした幻想が通用するのは昭和までで、自分の世代がギリギリだと思っていた。
平成のアンちゃんネーちゃんにとっては「古いよ」な感覚だろう、、、と。
『とんぼ』は名曲だけれど、♪ 花の都・大東京 ♪ という歌詞が現代ではピンとこないんじゃないかとか。
『ファイト!』だってそうだ、♪ 滲んだ文字、東京行き ♪ これにグッとくる世代というのは、自分より上だけなんじゃないかとか。
何遍も読み返したい業田良家の傑作漫画『自虐の詩』では、「あなたのようなひとが生きるべき場所がある」といって、不幸なヒロインに東京行きを勧めるシーンがあった。
これら全部、古いのではないかと。
しかし芸人さんの東京進出は未だターニングポイントのように語られるし、
先日の『徹子の部屋』で大好きなPerfumeも「とにかく東京へ、東京へ」と発していて、あぁまだ通用するのだな、幻想は残っているのだなと。
そんなわけで東京が好きだ。大好きだ。
べつに故郷の館林が大嫌いというわけではないのだが、イマサラ帰郷しても自分の無力を思い知るだけで、なにも出来ずにくたばっていくほかないんじゃないか・・・なんて。
ひととひとのつながりが希薄だとか、アスファルトジャングル(死語?)だとかいわれるけれど、自分にとってこれほど生き易い場所はない―と、海外で暮らしたこともないクセにいってみたくなる。そのくらい、自分にとって東京は相性がいい。
故郷と東京、その最大のちがいは「時間の流れ」だと思う。
たまに帰省する―5月に帰省予定―のだが、カエルの大合唱や星の輝きに感動するのは1~2日程度で、3日目には東京が恋しくなる。
そう思っちゃうのだから仕方がない、これはもう体質の問題なのだろう。
50歳を超えて同じように思えるのかは、まだ分からないけれど。
中学3年生あたりで、映画あるいは文章の世界で生きていきたいな、生きていくのだろうな・・・と、漠然と考えるようになる。
高校1年時には「東京に行くんだ」と決めて、進路も「にっかつ」か「日本映画学校」かの二択に絞り込んだ。
日大芸術学部も「一瞬だけ」候補に上がったが、天から「身の丈を考えろ」という声が聞こえてきたので辞退? した。
決めてしまったら、もうそれを実行に移したくて残りの高校生活が無駄に思えてくる。
寝ても覚めても東京―そんな風にして、大都会への幻想だけが極端に大きくなっていくのだった。
つづく。
※やっぱり名曲なんだな
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(36)』
21年前のきのう、群馬の片田舎で映画と自慰に明け暮れていた小僧が東京の地を踏んだと。
館林駅で見送ってくれたのは、とーちゃんとかーちゃん。
まだハーフパンツ信仰もなく、しかし似合わないという自覚を持ちながらジーンズを穿き、アスレッチックスの野球帽を被っていた、、、と記憶する。
館林→北千住→秋葉原、徒歩で岩本町駅、都営新宿線に乗り調布へ―という、約170分のルート。
調布駅を降りると、一直線にマクドナルドへ。
これは一ヶ月前に決めていたことで、この日は上京記念日でもあり、初マックの日でもあった。
東京とともに、ファストフードへの幻想も抱いていたということ。
芥川の『芋粥』ではないが、ポテトを腹いっぱい食べてみたいと夢見ていたのである。
そう、幻想。
憧憬というより、幻想といったほうが正しい。
東京に行けばなんとかなる・・・いや、もうちょっとうしろ向きで、自分の居場所は東京にしかないんじゃないかと。
こうした幻想が通用するのは昭和までで、自分の世代がギリギリだと思っていた。
平成のアンちゃんネーちゃんにとっては「古いよ」な感覚だろう、、、と。
『とんぼ』は名曲だけれど、♪ 花の都・大東京 ♪ という歌詞が現代ではピンとこないんじゃないかとか。
『ファイト!』だってそうだ、♪ 滲んだ文字、東京行き ♪ これにグッとくる世代というのは、自分より上だけなんじゃないかとか。
何遍も読み返したい業田良家の傑作漫画『自虐の詩』では、「あなたのようなひとが生きるべき場所がある」といって、不幸なヒロインに東京行きを勧めるシーンがあった。
これら全部、古いのではないかと。
しかし芸人さんの東京進出は未だターニングポイントのように語られるし、
先日の『徹子の部屋』で大好きなPerfumeも「とにかく東京へ、東京へ」と発していて、あぁまだ通用するのだな、幻想は残っているのだなと。
そんなわけで東京が好きだ。大好きだ。
べつに故郷の館林が大嫌いというわけではないのだが、イマサラ帰郷しても自分の無力を思い知るだけで、なにも出来ずにくたばっていくほかないんじゃないか・・・なんて。
ひととひとのつながりが希薄だとか、アスファルトジャングル(死語?)だとかいわれるけれど、自分にとってこれほど生き易い場所はない―と、海外で暮らしたこともないクセにいってみたくなる。そのくらい、自分にとって東京は相性がいい。
故郷と東京、その最大のちがいは「時間の流れ」だと思う。
たまに帰省する―5月に帰省予定―のだが、カエルの大合唱や星の輝きに感動するのは1~2日程度で、3日目には東京が恋しくなる。
そう思っちゃうのだから仕方がない、これはもう体質の問題なのだろう。
50歳を超えて同じように思えるのかは、まだ分からないけれど。
中学3年生あたりで、映画あるいは文章の世界で生きていきたいな、生きていくのだろうな・・・と、漠然と考えるようになる。
高校1年時には「東京に行くんだ」と決めて、進路も「にっかつ」か「日本映画学校」かの二択に絞り込んだ。
日大芸術学部も「一瞬だけ」候補に上がったが、天から「身の丈を考えろ」という声が聞こえてきたので辞退? した。
決めてしまったら、もうそれを実行に移したくて残りの高校生活が無駄に思えてくる。
寝ても覚めても東京―そんな風にして、大都会への幻想だけが極端に大きくなっていくのだった。
つづく。
※やっぱり名曲なんだな
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『初体験 リッジモント・ハイ(36)』