Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

にっかつへの愛憎―いや「憎」は、ほぼなしかな。

2013-03-07 00:15:00 | コラム
いちど聞いたり見たりしただけでは把握出来ないニュースはとても多いが、最近絶句したのは、

「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」

という遺書を残して自死してしまった、小学5年生男子のニュース。

少年のころ、「学校なんて・・・」と思っていた自分なんかからすると「そんなことで!?」と突っ込みたくもなるが、この子にとって世界といえば学校であり、それがすべてだったのかもしれない。

とはいえイジメを苦に―というケースとはちがい、痛ましさよりも違和感が残るというのが本音である。
ただ伊丹十三の例を出すまでもなく、自死するものの闇の深さは、当事者でないものには分からない。だから安易に是非なんていえないが、それにしても、、、と、頭のなかでぐるぐる。


この話からスライドさせて母校の閉校について語るのも気が引けるが、強引にそうしてみることにする。

自分が通っていたころは『にっかつ芸術学院』だった『日活芸術学院』が、今月9日で閉校となる。

自分が映画を学ぶ学生だったのは92~94年。
映画史的にいえば、QTタランティーノが出現したころ。ミニシアターのブームが隆盛期を迎えたころ。いまをときめく園子温がパンクな自主制作を撮っていたころ。CG技術が注目され始めたころである。

在学中に「にっかつ」は事実上の倒産、ナムコ傘下となる。
日本映画は現在のように好調とはいえず、倒産という大激震もあって中退していく同級生も多かった。

あれから約20年―率直にいえば、よく持ち堪えたなぁ、、、と。

ライバル校とされていた日本映画学校(現・日本映画大学)は阿部和重や三池崇史を輩出したが、
わが母校はカメラや編集などの技術マンの卵を業界に送り込んではいるものの、いわゆるクリエイターで大成したものは居ない。
ここにはもちろん自分も含まれるのだから、面目ないごめんなさいとしかいえないのだけれども・・・。

9日は、最後の生徒たちの卒業式と全卒業生・講師による閉校式、そのあとに大同窓会が開かれる。
みんなに会いたいから連絡のつく同級生にメールを送り続けていたが、
学院事務局から「参加者が400人を超えたため、本日で参加申し込みを締め切る」という連絡が入った。

400人、かぁ。
卒業まで在籍する「どうかしている」ものは俳優科で30人弱、映像科でも70人前後。連絡つかないものも多いはずで、そう考えると、なかなかの参加率かと。

当日は20度ちかくの陽気になるようで、珍しくお洒落をしていこうと張り切っている自分は洋服選びに迷うが、ひじょーに楽しみである。
元々が同窓会好き? というか単に呑み会好きなだけだが、と同時に、集いの機会が閉校というのは、やっぱり寂しい。

当時は(思想信条的に)無敵だった。
いや無敵なわけはないのだが、そう信じていた。

恥ずかしいほどの無知だったなぁと思うが、無敵と信じることは若者の特権みたいなところがあって。

べつに学園紛争などを経験したわけではないのだから、圧倒的な敗北感を味わったというわけでもない。
ないが、日常を送るうちに自分が無敵ではないことを悟っていくもので。

で、いまのような救いようのないヤツになったと汗

でも、あのころの自分が好きだ。大好きだ。
同級生も、みんな好きだ。もちろん嫌いな、大嫌いなヤツも居たが、9日に会えるのだったら、ソイツのことも抱きしめてあげられる。
向こうが拒否するだろうけれどね!!

自分の所為でそうなったというのもあるが、小学生~高校生のころは、映画に触れている瞬間以外の人生を楽しいと思えなかった。
上京して「にっかつ」の学生となり、映画漬けの日々が楽しくて楽しくてしょうがなかった。

だから9日は、きっちり撮影所にお礼をしてこようと思う。





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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『映画でプロファイリング』

コメント (1)
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