佳子内親王の美しさが止まらない。
いや、やっぱりこの呼び名は距離感があり過ぎる、
佳子さんはイヤなので、佳子ちゃんと呼ばせてくれ。
きっと本人だって「ちゃん付け」されたほうがうれしいにちがいない・・・と、下層階級のザーメン野郎のクセして、上の階級の麗しき女子のこころを分かった風に分析? してみる。
そうなんだ、皇室についてなにか書いたりいったりするとき、厄介なのが「階級、のようなもの」が邪魔をして、くだけた感じに出来なかったり、ジョークをいえなかったりすること。
・・・って、昔なら不敬罪にあたるのだろうし、無理をしてジョークにしなくていい気もするが、
『ゆきゆきて、神軍』(87)がベストワン映画だからって奥崎さんのように危険思想を持っているわけでもなく、
『ゴーマニズム宣言』の『カバ焼きの日』―雅子妃についてのアレコレをギャグ漫画にした―を熟読した自分は、どちらかというと皇室には「いろいろ気の毒だな~」という感情を抱いていて、
茶化すつもりも覚悟もなく、
単に美少女好きとして、佳子ちゃんは少なくとも柏木由紀あたりよりかは可愛いんじゃないか、どんな男と一緒になるんだべか、、、と気になっているというだけなんだって。
・・・と考えているキッタネー下層男子は自分以外にも沢山居て、画像検索すると佳子ちゃん美麗ショットは山ほど出てくる。
それを特製「kako」フォルダに、せっせと保存する自分。
美少女画像集めはパソコンを持って以降の自分の趣味としているが、特製フォルダを作っているのはごくわずか。
かしゆか、まゆゆ、つぼみ、
まいまい
・・・と、なぜか平仮名がつづくが、そして佳子ちゃんのフォルダがあると。
皇室とメディア、その急先鋒といえば『週刊文春』だろう。
最新号では「秋篠宮佳子さま、美人すぎる皇族の奔放な学園生活」なんていう記事を載せている。
で、その煽り広告にまんまとのせられ、二部も購入した馬鹿は自分である。
思うのは、週刊誌は「そこそこ自由に」皇室を取り上げられるのに、「日本」映画では、まーず見ないなと。
外国映画『クィーン』(2006)のように真正面から描くのは無理だとしても、
女王陛下がちょっとだけ登場する映画は沢山あるわけだし、
そんな風に、もう少し我々にちかい存在として描くことで、奇妙な距離感? というものが縮まっていく気がするんだけれど。
いや分かるよ、戦争というものが邪魔をしているということは。
だから『明治天皇と日露大戦争』(57)という戦争映画は制作することが出来ても、昭和天皇と「あの戦争」については描けない、
それをすっ飛ばして平成天皇も描くことは出来ない、、、のだろうし。
分かるけど。
分かるんだけれど、さ。
「日本」映画と強調したように、外国映画であれば、ひとつだけ昭和天皇を真正面から描いた作品がある。
ロシアのアレクサンドル・ソクーロフによる、『太陽』(2005)。
イッセー尾形が昭和天皇を演じているが、すっげ面白かった。
外国人だから描けたということか、
そういうのもあるかもしれないけれど、
なんかちょっと、悔しくないか。
そういうことを描けるほど日本は成熟していない―と捉えられることがさ。
それと佳子ちゃんがどうつながるのかって話だが、この際、つながらなくてもいい。
だからいいたいのは、
『皇室アルバム』じゃ満足出来ないひとっていうのも多いはずでね、
映画っていうのは基本的には「なんでもあり」なはずである、
少しでも皇室と我々の距離が縮まるような冒険をしてもいいのではないか、
もう21世紀なのだから、少しくらいの茶目っ気は許される、宮内庁だって多少のことではアアダコウダいってこないだろうと。
検閲のある国でもあるまいし。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『油ギッシュ演技対決 + 3月コラムの目次』
いや、やっぱりこの呼び名は距離感があり過ぎる、
佳子さんはイヤなので、佳子ちゃんと呼ばせてくれ。
きっと本人だって「ちゃん付け」されたほうがうれしいにちがいない・・・と、下層階級のザーメン野郎のクセして、上の階級の麗しき女子のこころを分かった風に分析? してみる。
そうなんだ、皇室についてなにか書いたりいったりするとき、厄介なのが「階級、のようなもの」が邪魔をして、くだけた感じに出来なかったり、ジョークをいえなかったりすること。
・・・って、昔なら不敬罪にあたるのだろうし、無理をしてジョークにしなくていい気もするが、
『ゆきゆきて、神軍』(87)がベストワン映画だからって奥崎さんのように危険思想を持っているわけでもなく、
『ゴーマニズム宣言』の『カバ焼きの日』―雅子妃についてのアレコレをギャグ漫画にした―を熟読した自分は、どちらかというと皇室には「いろいろ気の毒だな~」という感情を抱いていて、
茶化すつもりも覚悟もなく、
単に美少女好きとして、佳子ちゃんは少なくとも柏木由紀あたりよりかは可愛いんじゃないか、どんな男と一緒になるんだべか、、、と気になっているというだけなんだって。
・・・と考えているキッタネー下層男子は自分以外にも沢山居て、画像検索すると佳子ちゃん美麗ショットは山ほど出てくる。
それを特製「kako」フォルダに、せっせと保存する自分。
美少女画像集めはパソコンを持って以降の自分の趣味としているが、特製フォルダを作っているのはごくわずか。
かしゆか、まゆゆ、つぼみ、
まいまい
・・・と、なぜか平仮名がつづくが、そして佳子ちゃんのフォルダがあると。
皇室とメディア、その急先鋒といえば『週刊文春』だろう。
最新号では「秋篠宮佳子さま、美人すぎる皇族の奔放な学園生活」なんていう記事を載せている。
で、その煽り広告にまんまとのせられ、二部も購入した馬鹿は自分である。
思うのは、週刊誌は「そこそこ自由に」皇室を取り上げられるのに、「日本」映画では、まーず見ないなと。
外国映画『クィーン』(2006)のように真正面から描くのは無理だとしても、
女王陛下がちょっとだけ登場する映画は沢山あるわけだし、
そんな風に、もう少し我々にちかい存在として描くことで、奇妙な距離感? というものが縮まっていく気がするんだけれど。
いや分かるよ、戦争というものが邪魔をしているということは。
だから『明治天皇と日露大戦争』(57)という戦争映画は制作することが出来ても、昭和天皇と「あの戦争」については描けない、
それをすっ飛ばして平成天皇も描くことは出来ない、、、のだろうし。
分かるけど。
分かるんだけれど、さ。
「日本」映画と強調したように、外国映画であれば、ひとつだけ昭和天皇を真正面から描いた作品がある。
ロシアのアレクサンドル・ソクーロフによる、『太陽』(2005)。
イッセー尾形が昭和天皇を演じているが、すっげ面白かった。
外国人だから描けたということか、
そういうのもあるかもしれないけれど、
なんかちょっと、悔しくないか。
そういうことを描けるほど日本は成熟していない―と捉えられることがさ。
それと佳子ちゃんがどうつながるのかって話だが、この際、つながらなくてもいい。
だからいいたいのは、
『皇室アルバム』じゃ満足出来ないひとっていうのも多いはずでね、
映画っていうのは基本的には「なんでもあり」なはずである、
少しでも皇室と我々の距離が縮まるような冒険をしてもいいのではないか、
もう21世紀なのだから、少しくらいの茶目っ気は許される、宮内庁だって多少のことではアアダコウダいってこないだろうと。
検閲のある国でもあるまいし。
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明日のコラムは・・・
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