田舎から、大都会へ―という展開の映画を3つ挙げるとするならば・・・
『真夜中のカーボーイ』(69)、『魔女の宅急便』(89)、『ニューシネマ・パラダイス』(89)だろうか。
「カウボーイ」を「カーボーイ」と“やっちゃった”誤りは映画通のあいだでは有名な話だが、現在よりも「おおらかな時代」だったということかもしれない、本気で怒るものはおらず、誤訳というか誤表記は「そのままにしておく」という結論に落ち着いた。
夢と希望の象徴「カウボーイスタイル」が男娼の小道具と化していく―この絶望的な展開に衝撃を受けた高校生の自分は、映画というものが暗い感動を生み出すのに適した表現であることを知った。
都会で大成していくサクセスストーリーも多いが、記憶に残るのはやはり、都会に打ちのめされる主人公をじっくり捉えていくもの。
これは自分の嗜好によるものかね。
『魔女の宅急便』は、自分にとって特別な作品。(ちなみにトップ画像は、主人公キキのコスプレをやる女子である)
ジブリのなかで最も愛する小品だが、なんといっても上京前日に観たというのが効いている。
境遇的に自分と重なる? からと、この日に観ると決めていたのだった。
ただ宮崎爺は、この映画を「独り暮らしを始めるおんなのこ」に向けて撮っている。
Perfumeでいうと『ワンルーム・ディスコ』にあたるが、キッタネー男子がお気に入りだったとしても許してくれるだろうか。
この作品の白眉は、デッキブラシで空を飛べるようになったキキが、それでも結局、黒猫ジジと会話出来る能力を失ったままでいるというエンディングである。
なにかの成長と引き換えに、なにかを失う―世の中はそういうものなんだということを、爺はさりげなく描いている。
さすがだなって思った。
『ニューシネマ・パラダイス』は、目の見えなくなった映写技師アルフレードが、青年トトに「ここには戻ってくるな」といって送り出すシーンが印象的。
高校生のころに映写技師のアルバイトをやっていた自分は、支配人の新名さんと自分をドラマの主人公に重ね、新名さんからはそういうことをいわれなかったけれど、そんな想いで東京に向かったのである。
さて自分の話に戻り・・・。
いわゆるホームシックには罹らなかった。
罹っている余裕がなかったというか、上京した翌日には仕事を始めていたからだろう。
何度も記してきたことだが、自分は新聞奨学生だった。
専門学校が始まる前に担当区域の配達順路などを覚える必要があり、そりゃあそんな忙しいなかにあっても自慰だけは続けていたが、故郷を思う時間を取れなかったのである。
可憐な魔女見習いによる宅急便屋さんと、キッタネー自慰男子による新聞配達屋さんと。
彼女の武器はホウキで、こっちは大型の自転車。
彼女の相棒は黒猫ジジで、こっちは前カゴに(UFOキャッチャーで取った)『一休さん』のヒロイン、サヨちゃんのぬいぐるみを括りつけていた。
おぉ。
イメージは随分とちがうが、やっていることは同じだったのかもしれない。
そうか、そういうわけで、この映画が大好きなんだな。
納得・・・って、ごめんキキ、ジジ、トンボ、ジブリ、久石さん、そして宮崎爺。
おわり。
※あ~ちゃんの、最後のウィンク!!
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『おっぱいが、いっぱい?』
『真夜中のカーボーイ』(69)、『魔女の宅急便』(89)、『ニューシネマ・パラダイス』(89)だろうか。
「カウボーイ」を「カーボーイ」と“やっちゃった”誤りは映画通のあいだでは有名な話だが、現在よりも「おおらかな時代」だったということかもしれない、本気で怒るものはおらず、誤訳というか誤表記は「そのままにしておく」という結論に落ち着いた。
夢と希望の象徴「カウボーイスタイル」が男娼の小道具と化していく―この絶望的な展開に衝撃を受けた高校生の自分は、映画というものが暗い感動を生み出すのに適した表現であることを知った。
都会で大成していくサクセスストーリーも多いが、記憶に残るのはやはり、都会に打ちのめされる主人公をじっくり捉えていくもの。
これは自分の嗜好によるものかね。
『魔女の宅急便』は、自分にとって特別な作品。(ちなみにトップ画像は、主人公キキのコスプレをやる女子である)
ジブリのなかで最も愛する小品だが、なんといっても上京前日に観たというのが効いている。
境遇的に自分と重なる? からと、この日に観ると決めていたのだった。
ただ宮崎爺は、この映画を「独り暮らしを始めるおんなのこ」に向けて撮っている。
Perfumeでいうと『ワンルーム・ディスコ』にあたるが、キッタネー男子がお気に入りだったとしても許してくれるだろうか。
この作品の白眉は、デッキブラシで空を飛べるようになったキキが、それでも結局、黒猫ジジと会話出来る能力を失ったままでいるというエンディングである。
なにかの成長と引き換えに、なにかを失う―世の中はそういうものなんだということを、爺はさりげなく描いている。
さすがだなって思った。
『ニューシネマ・パラダイス』は、目の見えなくなった映写技師アルフレードが、青年トトに「ここには戻ってくるな」といって送り出すシーンが印象的。
高校生のころに映写技師のアルバイトをやっていた自分は、支配人の新名さんと自分をドラマの主人公に重ね、新名さんからはそういうことをいわれなかったけれど、そんな想いで東京に向かったのである。
さて自分の話に戻り・・・。
いわゆるホームシックには罹らなかった。
罹っている余裕がなかったというか、上京した翌日には仕事を始めていたからだろう。
何度も記してきたことだが、自分は新聞奨学生だった。
専門学校が始まる前に担当区域の配達順路などを覚える必要があり、そりゃあそんな忙しいなかにあっても自慰だけは続けていたが、故郷を思う時間を取れなかったのである。
可憐な魔女見習いによる宅急便屋さんと、キッタネー自慰男子による新聞配達屋さんと。
彼女の武器はホウキで、こっちは大型の自転車。
彼女の相棒は黒猫ジジで、こっちは前カゴに(UFOキャッチャーで取った)『一休さん』のヒロイン、サヨちゃんのぬいぐるみを括りつけていた。
おぉ。
イメージは随分とちがうが、やっていることは同じだったのかもしれない。
そうか、そういうわけで、この映画が大好きなんだな。
納得・・・って、ごめんキキ、ジジ、トンボ、ジブリ、久石さん、そして宮崎爺。
おわり。
※あ~ちゃんの、最後のウィンク!!
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明日のコラムは・・・
『おっぱいが、いっぱい?』