~追悼、アラン・リックマン~
歳を取る毎にビッグバジェットに対する興味が薄れてきたが、『ダイハード』(88)だけは個人的に別格扱いというかね、
物語の隅々まで考え抜かれていて、
また、空間演出といえばいいのか、爆破シーンひとつとっても「この撮りかた以外、考えられない」というアングルで表現されており、21世紀の現在でもアクション描写における最高のテキストなんだと思う。
ブツブツと文句をいいながらテロリスト(じつは強盗)を倒していくマクレーンはもちろん素敵だが、この映画を面白くしているのは、やはり主犯のハンス・グルーバー(アラン・リックマン)のキャラクター性だろう。
(1)学歴、経済的コンプレックスがある
ナカトミ商事の社長室に開発計画中のミニュチュアが置かれていて、
それを見たハンスは「アレクサンダー大王はインドまで来て泣いたそうだ。もう征服する土地がないとね」といい、
タカギ社長に向かって「歴史的素養があるだろう?」と聞く。
タカギ社長が着るジョン・フィリップスのスーツを褒めたあと、「わたしも二着持っている」という。
嘘の要求「同胞テロリストたちの釈放」のなかで「アジアの曙」というテロリスト集団の名を挙げ、「なんだそれは?」という顔をする仲間に向かって「『TIME』誌に出てた」と返す。
ほかに「『Forbes』誌に載っていた」という台詞もあり、ともかく自分が「学のある人物」であることをアピールしたいのだろう。
ダサいが、こういう犯罪者、実際に居そうだものね。
(2)マクレーンには見破られたが、被害者を演じられる演技力も備わっている
・・・う~ん、見事。
~ここまで、わがブログの過去記事を再掲載~
…………………………………………
そんな、アラン・リックマンが死んだ。
このくらい「死にざま」が似合う俳優は、なかなか居ない。
じつはアラン・リックマンにとっては、『ダイハード』が本格的な映画俳優デビュー作。
初っ端でこのくらいのインパクトを残してしまうと、のちのキャリア構築が難しくなってしま・・・いそうではあるが、そうはならなかった。
英国出身のリックマンは、舞台から俳優人生をスタートさせた。
「舞台上がり」は、それだけでもう立派なブランドである。
ケネス・ブラナーのように、その演劇的パフォーマンスが鼻についてしまう俳優も居るが、リックマンのそれは映画にも適していた。
『ロビン・フッド』(91)の「少し抜けた」悪役を演じるいっぽうで、
『いつか晴れた日に』(95)のようなコスチュームプレイをこなして器用さを証明、
そして『ギャラクシー・クエスト』(98)に出演、キャリアで最高の演技を披露する。
演者が真面目であればあるほど笑える―パロディやコメディの基本であり、リックマンの真面目演技がひたすら面白かった。
じつは自分は、『ハリー・ポッター』シリーズ(2001~)の理解あるファンとはいえないので、リックマンが演じたセブルス・スネイプについては、ピンとこないというか、あまり感じ入ることはなかった。
そのほかの出演作は・・・
『ラブ・アクチュアリー』(2003)、『パフューム ある人殺しの物語』(2006)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)、『大統領の執事の涙』(2013)など。
2015年、『ヴェルサイユの宮廷庭師』の監督と脚本を担当。
本作が遺作となった。
また名優がひとり、死んじゃったなぁ・・・と思うより前に、
なによりも悲劇なのは、数年前に結婚したばかり、ということ。
リマ夫人とは若いころからの付き合いのようで、早い別れ、、、というわけではないのかもしれないけれど、
長~~~いこと交際したのちの結婚であるからして、その絆はとっても深いように感じる。
リマ夫人、哀しいだろうけれど、世界中から発信されているリックマン追悼のことばたちに触れてください。
鉄人マクレーンでさえも一目置いたであろうハンスが居たからこそ、『ダイハード』は傑作になった―旦那さんの勇姿は、すべての映画小僧の脳裏に焼きついているのです。
アラン・リックマン、2016年1月14日死去。
享年69歳。
合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(151)』
歳を取る毎にビッグバジェットに対する興味が薄れてきたが、『ダイハード』(88)だけは個人的に別格扱いというかね、
物語の隅々まで考え抜かれていて、
また、空間演出といえばいいのか、爆破シーンひとつとっても「この撮りかた以外、考えられない」というアングルで表現されており、21世紀の現在でもアクション描写における最高のテキストなんだと思う。
ブツブツと文句をいいながらテロリスト(じつは強盗)を倒していくマクレーンはもちろん素敵だが、この映画を面白くしているのは、やはり主犯のハンス・グルーバー(アラン・リックマン)のキャラクター性だろう。
(1)学歴、経済的コンプレックスがある
ナカトミ商事の社長室に開発計画中のミニュチュアが置かれていて、
それを見たハンスは「アレクサンダー大王はインドまで来て泣いたそうだ。もう征服する土地がないとね」といい、
タカギ社長に向かって「歴史的素養があるだろう?」と聞く。
タカギ社長が着るジョン・フィリップスのスーツを褒めたあと、「わたしも二着持っている」という。
嘘の要求「同胞テロリストたちの釈放」のなかで「アジアの曙」というテロリスト集団の名を挙げ、「なんだそれは?」という顔をする仲間に向かって「『TIME』誌に出てた」と返す。
ほかに「『Forbes』誌に載っていた」という台詞もあり、ともかく自分が「学のある人物」であることをアピールしたいのだろう。
ダサいが、こういう犯罪者、実際に居そうだものね。
(2)マクレーンには見破られたが、被害者を演じられる演技力も備わっている
・・・う~ん、見事。
~ここまで、わがブログの過去記事を再掲載~
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そんな、アラン・リックマンが死んだ。
このくらい「死にざま」が似合う俳優は、なかなか居ない。
じつはアラン・リックマンにとっては、『ダイハード』が本格的な映画俳優デビュー作。
初っ端でこのくらいのインパクトを残してしまうと、のちのキャリア構築が難しくなってしま・・・いそうではあるが、そうはならなかった。
英国出身のリックマンは、舞台から俳優人生をスタートさせた。
「舞台上がり」は、それだけでもう立派なブランドである。
ケネス・ブラナーのように、その演劇的パフォーマンスが鼻についてしまう俳優も居るが、リックマンのそれは映画にも適していた。
『ロビン・フッド』(91)の「少し抜けた」悪役を演じるいっぽうで、
『いつか晴れた日に』(95)のようなコスチュームプレイをこなして器用さを証明、
そして『ギャラクシー・クエスト』(98)に出演、キャリアで最高の演技を披露する。
演者が真面目であればあるほど笑える―パロディやコメディの基本であり、リックマンの真面目演技がひたすら面白かった。
じつは自分は、『ハリー・ポッター』シリーズ(2001~)の理解あるファンとはいえないので、リックマンが演じたセブルス・スネイプについては、ピンとこないというか、あまり感じ入ることはなかった。
そのほかの出演作は・・・
『ラブ・アクチュアリー』(2003)、『パフューム ある人殺しの物語』(2006)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)、『大統領の執事の涙』(2013)など。
2015年、『ヴェルサイユの宮廷庭師』の監督と脚本を担当。
本作が遺作となった。
また名優がひとり、死んじゃったなぁ・・・と思うより前に、
なによりも悲劇なのは、数年前に結婚したばかり、ということ。
リマ夫人とは若いころからの付き合いのようで、早い別れ、、、というわけではないのかもしれないけれど、
長~~~いこと交際したのちの結婚であるからして、その絆はとっても深いように感じる。
リマ夫人、哀しいだろうけれど、世界中から発信されているリックマン追悼のことばたちに触れてください。
鉄人マクレーンでさえも一目置いたであろうハンスが居たからこそ、『ダイハード』は傑作になった―旦那さんの勇姿は、すべての映画小僧の脳裏に焼きついているのです。
アラン・リックマン、2016年1月14日死去。
享年69歳。
合掌。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(151)』