Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

隣人

2016-01-21 00:10:00 | コラム
団地族となって12年が経過、



そのうち隣室が「空室」でない期間が、正味2年しかなかった。

つまり10年間は、隣人の居ない状態。

寂しいのなんのって。

騒音などの観点から「隣人とのつきあいかた」で悩むひとは多いだろうけれど、隣人が居ないことを嘆くケースは稀なのではないか。

でもねやっぱり。
居たら居たでいろいろあるかもしれないが、居なきゃ居ないでいろいろあるものなのですよ。

第一、安さが魅力の公社団地において、空室がこれほどつづくっていうのは異常事態。
幽霊が居るとか、自分が不審者っぽいとか、そういう理由で希望者が居ないのではないか―とまで思ってしまうわけで。
(いやいや、幽霊が居たとしたら、自分の部屋だってそれは。元はといえば事故物件であり、しかし隣室はちがう)

AVを大音量で流していたかな。
ときどきデリヘルで、すっげ若い子を呼んでいたからかな。

とか、思いつくかぎりの原因を挙げてみたが、どれもピンとはこない。

そんな、ある日のこと―。
隣室の鍵が開く音がした。

業者かなにかの点検かな? と確認してみると、契約を済ませた30代前後のアンチャンが、部屋を確認しにきたのであった。

わぁ!!
隣人だ、隣人だ!!

きゃわいい女子じゃないのがアレだが、自分は初めて友達が出来たガキのように喜んだのである。


さて隣人によってこころがざわざわする映画といえば、やっぱり『隣人は静かに笑う』(99)だろう。




バッドエンドの映画10傑でも選出されることのあるサスペンスだが、
恐怖を煽る演出がじつ見事で、憂鬱な気分に襲われるにも関わらず、最後までハラハラしながら観てしまう快作だ。


現実世界では、どうだろうか。

上京して23年が経ち、住まいを3度変えている。

最初のアパートの隣人は、自分が新聞奨学生をやっていたためか忙しく、顔をあわせた記憶がない。

次のアパートでは、左隣がドカタのおっちゃんで、右隣がインドの留学生だった。
どっちも挨拶をする程度で、深く関わることがなかった。

そして、今度の隣人。
トラブルとかは御免だが、あまりにも隣人との関わりがなかったので、そういうものに対する「ちょっとした」憧れがあるのかもしれない。


以前、友人の引越しを手伝ったところ、作業の前に友人はこういってきた。

「―それが引越しの理由のひとつでもあるんだけど、隣人が変人なので、あんまり音を立てないようにしてほしい」

「なにそれ?」
「音に過敏なんだよ」
「分かった、音を立てなければいいのね」
「うん、顔も見たくないんだ」
「どんなひと?」
「深夜2時ごろまで電話していた俺も悪いんだけどさ、翌日、ドアポストに張り紙を貼られて」
「お前のドアに? なんて書いてあったの?」
「命の危険を伴う仕事だから、プライベートは静かに過ごしたい。音を立てるなクソヤロウ」
「・・・・・」

怖いなぁ。
でも、なんだろうね命の危険を伴う仕事って。

掃除屋?

なんてね。


まぁこの団地で、自分以上の不審者は居ないはずなので、大丈夫でしょう。


仲良くして、、、くださいね隣人さん笑

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(158)』
コメント (1)
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