自家製ではあるものの、毎日、仏壇に手を合わせることを欠かさない。
ただそれは、ある意味では「日課」になっており、そこに「こころ」があるかというと、ちょっと疑わしくなってくる。
墓参りにはまちがいなく「こころ」がこめられているが、
仏壇の水を替え、線香をつけ、手を合わせる行為は、(あくまでも自分にとって)それをやらないと1日が始まらない、、、みたいな日常と化しており、厳かな気持ちにはなりにくいのであった。
そんな自分が、かーちゃんの墓参りに行くのは帰省のとき「のみ」であり、だから2年に1度くらいである。
ちなみに黒澤や漱石の墓前には、年に1度は立っている。
我ながら親不孝よのぉ、、、と思う。
特別企画の最終回は、「葬式」あるいは「墓前と対峙する場面」のある映画10傑で展開してみた。
『夢』(90)の老人・笠智衆は、「葬式とは本来、めでたいことなのだ」みたいなことをいっていた。
キレイゴトではなく、理想をいえば、すべてのひとが、そんな風にして大往生を迎えられたらいいのになぁ!! と、自分のような産業廃棄物でも思うわけですよ。
(1)『生きる』(52)
中盤で主人公をこの世から消して、回想形式で謎を解いていく構造は見事というほかない。
しかし黒澤自身は、この映画のことを好いていなかったといわれている。
自分も20歳くらいのころまでは、黒澤作品のなかでいちばん嫌いな作品だったかもしれない。
主人公・渡邊勘治(志村喬)の、「あのー」「そのー」という喋りかたにイライラしてしまったから。
けれども歳を取るごとに勘治さんのことが気になるようになってきて、いまは大好きになった。
(2)『キャリー』(76)
キャリーは、安らかに眠れたのだろうか。
ひとりだけ生き残らせるという結末って、とっても残酷だと思う。
ビートたけしはいっているけれどね、「みんな死んじゃったら、結末が分からないじゃないか」って。
(3)『復讐するは我にあり』(79)
殺人者になった息子(緒形拳)の骨を、父親(三國連太郎)が怒りと悲しみを宿して海に放る。
これほど殺気に満ち満ちた散骨シーンを、ほかに見たことがない。
(4)『ロッキー4』(85)
試合中に死んでしまったアポロと、タオルを投入しなかったロッキー。
某プロレスラーの「殺し合いをしているんじゃない!」に影響を受けたものとしては、初見時、タオルを投入しなかったロッキーを許せなかった。
だからなぜ、お前がふつうに葬式に出てんだ!? と思ったものである。
(5)『七人の侍』(54)
「またしても、負け戦だったな…」
(6)『アマデウス』(84)
死んだら天才も凡人もクズもヘンタイも犯罪者もない・・・当たり前のことではあるものの、
モーツァルトの遺体が無造作に死体置き場に放られる? 場面に衝撃を受けた。
(7)『トト・ザ・ヒーロー』(91)
『復讐~』と同じく散骨を描いているが、こちらの散骨はリリカルといったらいいのか、宙に舞う骨に主人公のモノローグをかぶせるという、映画ならではの話術を用いたところがユニークだった。
(8)『ツイン・ピークス』(90~91…トップ画像)
映画ではないが、人物相関までをも表現した、じつに見事な葬式描写なので。
(9)『ゆきゆきて、神軍』(87)
奥崎さんは過激なオッサンではあるが、常に戦友のことを思い、墓参りすることを忘れない。
(10)『お葬式』(84)
もはや挙げるのが恥ずかしくなるほどのクラシックだが、あらためて観返してみると、やっぱり面白い。
着眼点の勝利だったんだなぁと思う。
それにしても。
地方では、この映画は『ベスト・キッド』(84)と同時上映だったんだよ。
無茶なことをしやがるなぁ、、、と、ただただ感心する。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『非MMAに救われたMMA』
ただそれは、ある意味では「日課」になっており、そこに「こころ」があるかというと、ちょっと疑わしくなってくる。
墓参りにはまちがいなく「こころ」がこめられているが、
仏壇の水を替え、線香をつけ、手を合わせる行為は、(あくまでも自分にとって)それをやらないと1日が始まらない、、、みたいな日常と化しており、厳かな気持ちにはなりにくいのであった。
そんな自分が、かーちゃんの墓参りに行くのは帰省のとき「のみ」であり、だから2年に1度くらいである。
ちなみに黒澤や漱石の墓前には、年に1度は立っている。
我ながら親不孝よのぉ、、、と思う。
特別企画の最終回は、「葬式」あるいは「墓前と対峙する場面」のある映画10傑で展開してみた。
『夢』(90)の老人・笠智衆は、「葬式とは本来、めでたいことなのだ」みたいなことをいっていた。
キレイゴトではなく、理想をいえば、すべてのひとが、そんな風にして大往生を迎えられたらいいのになぁ!! と、自分のような産業廃棄物でも思うわけですよ。
(1)『生きる』(52)
中盤で主人公をこの世から消して、回想形式で謎を解いていく構造は見事というほかない。
しかし黒澤自身は、この映画のことを好いていなかったといわれている。
自分も20歳くらいのころまでは、黒澤作品のなかでいちばん嫌いな作品だったかもしれない。
主人公・渡邊勘治(志村喬)の、「あのー」「そのー」という喋りかたにイライラしてしまったから。
けれども歳を取るごとに勘治さんのことが気になるようになってきて、いまは大好きになった。
(2)『キャリー』(76)
キャリーは、安らかに眠れたのだろうか。
ひとりだけ生き残らせるという結末って、とっても残酷だと思う。
ビートたけしはいっているけれどね、「みんな死んじゃったら、結末が分からないじゃないか」って。
(3)『復讐するは我にあり』(79)
殺人者になった息子(緒形拳)の骨を、父親(三國連太郎)が怒りと悲しみを宿して海に放る。
これほど殺気に満ち満ちた散骨シーンを、ほかに見たことがない。
(4)『ロッキー4』(85)
試合中に死んでしまったアポロと、タオルを投入しなかったロッキー。
某プロレスラーの「殺し合いをしているんじゃない!」に影響を受けたものとしては、初見時、タオルを投入しなかったロッキーを許せなかった。
だからなぜ、お前がふつうに葬式に出てんだ!? と思ったものである。
(5)『七人の侍』(54)
「またしても、負け戦だったな…」
(6)『アマデウス』(84)
死んだら天才も凡人もクズもヘンタイも犯罪者もない・・・当たり前のことではあるものの、
モーツァルトの遺体が無造作に死体置き場に放られる? 場面に衝撃を受けた。
(7)『トト・ザ・ヒーロー』(91)
『復讐~』と同じく散骨を描いているが、こちらの散骨はリリカルといったらいいのか、宙に舞う骨に主人公のモノローグをかぶせるという、映画ならではの話術を用いたところがユニークだった。
(8)『ツイン・ピークス』(90~91…トップ画像)
映画ではないが、人物相関までをも表現した、じつに見事な葬式描写なので。
(9)『ゆきゆきて、神軍』(87)
奥崎さんは過激なオッサンではあるが、常に戦友のことを思い、墓参りすることを忘れない。
(10)『お葬式』(84)
もはや挙げるのが恥ずかしくなるほどのクラシックだが、あらためて観返してみると、やっぱり面白い。
着眼点の勝利だったんだなぁと思う。
それにしても。
地方では、この映画は『ベスト・キッド』(84)と同時上映だったんだよ。
無茶なことをしやがるなぁ、、、と、ただただ感心する。
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明日のコラムは・・・
『非MMAに救われたMMA』