ここ数年、かーちゃんの話は命日にしか記していないが、久し振りに、かーちゃんの夢を見たので。
といってもメインテーマは、自分自身の話なのだが。。。
かーちゃんが死んだあと、数週間を実家で過ごした。
休職中で、時間的余裕があったから。
その時点で独り暮らしが6年経過、ひとりの空間にすっかり慣れていた自分にとって、この数週間はひじょうに新鮮なものだった。
タイムスリップした感じというかね、
かーちゃん不在のため、家族との関係性に若干の変化は見られたが。
3週間が経ち、東京に戻ることになった。
18歳、とーちゃんかーちゃんに見送られながら館林駅を出るときのほうがドラマ性があるはずなのに、
24歳、とーちゃんねーちゃんに見送られながら「東京に帰る」ときのほうが、なんだかグッときてしまった。
3時間後、自分が「マカロニほうれん荘」と呼ぶ、おんぼろアパートに帰還。
数年間、ここでのびのびと、なんの不自由もなく暮らしてきた。
誰に干渉されることもなく、部屋のなかを全裸でちんぽしごきながら歩いたり。
帰省のたびに実感していったこと。
あぁ地元はいいな、カエルの鳴き声が心地いいな、星もキレイだし。
しかしそれは初日だけで、2日目になると、時間経過の「ゆるさ」についていけなくなっていく。
東京の、時間の流れは異様に早い。
それに慣れてしまった自分にとって、館林の「ゆったりとした、ときの流れ」が耐えられなくなってしまったのだ。
快適な、快適に過ぎる、東京の独り暮らし。
・・・の、はずなのに。
アパートのなかに、ひとりで居るのが怖くなった。
これか。
これが、真の孤独というものか。
たぶん、生まれて初めて、「きっちりとした」孤独感というものを抱いた瞬間だった。
少し前に流行したいいまわしでいえば、トラビスとシンクロしたってことか。
とてもじゃないが、ひとりで居られない。
21時くらいだったか、街に出た。
車が走っている。
チャリダーが疾走している。
歩行者が居る。
コンビニを覗くと、店員が働いている。
たぶん、誰とも知り合いじゃない。
じゃないにも関わらず、すごく安心した。
とりあえず、ひとりじゃないと思えた。
しばらく歩いて、有名なファッションヘルス『多摩クリスタル』に行った。
今年読んだ本で『震災風俗嬢』というのがあったが、まぁそれとこれとを一緒にしてはまずいかもしれない、それでもいってしまうと、職をなくしたばかりの男が風俗に行ってしまう「哀しき性」と、どこか同じにおいはしないだろうか。
プレイそのものは、どうでもよかった。
ただ誰かと会いたかった、話したかった、出来れば、肌をあわせたかったんだと思う。
そうして、アパートに戻った。
やっと、気持ちを落ち着かせることが出来た。
この経験をして以降である、大好きだった映画『タクシードライバー』(76)のことを、大大大っ好きで大っ嫌いになったのは。
『タクシードライバー』公開後、「どうして僕のことが分かったんですか。これは、僕自身だ」と、直接スコセッシに会いにきた男が居たという。
キチガイにちがいないが、愛すべきキチガイ、たぶん会ったらすぐに友達になれるだろう、そんな、自分と似たキチガイ。
そんな風に自己投影出来る映画に出会えた自分は幸福だし、そんな経験をさせてくれた「かーちゃんの死」は、だから、42年の自分の人生のなかで、最大のトピックでありつづけるだろう。
※買いましたよ!
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『アバタ―とレイプとベルトリッチ』
といってもメインテーマは、自分自身の話なのだが。。。
かーちゃんが死んだあと、数週間を実家で過ごした。
休職中で、時間的余裕があったから。
その時点で独り暮らしが6年経過、ひとりの空間にすっかり慣れていた自分にとって、この数週間はひじょうに新鮮なものだった。
タイムスリップした感じというかね、
かーちゃん不在のため、家族との関係性に若干の変化は見られたが。
3週間が経ち、東京に戻ることになった。
18歳、とーちゃんかーちゃんに見送られながら館林駅を出るときのほうがドラマ性があるはずなのに、
24歳、とーちゃんねーちゃんに見送られながら「東京に帰る」ときのほうが、なんだかグッときてしまった。
3時間後、自分が「マカロニほうれん荘」と呼ぶ、おんぼろアパートに帰還。
数年間、ここでのびのびと、なんの不自由もなく暮らしてきた。
誰に干渉されることもなく、部屋のなかを全裸でちんぽしごきながら歩いたり。
帰省のたびに実感していったこと。
あぁ地元はいいな、カエルの鳴き声が心地いいな、星もキレイだし。
しかしそれは初日だけで、2日目になると、時間経過の「ゆるさ」についていけなくなっていく。
東京の、時間の流れは異様に早い。
それに慣れてしまった自分にとって、館林の「ゆったりとした、ときの流れ」が耐えられなくなってしまったのだ。
快適な、快適に過ぎる、東京の独り暮らし。
・・・の、はずなのに。
アパートのなかに、ひとりで居るのが怖くなった。
これか。
これが、真の孤独というものか。
たぶん、生まれて初めて、「きっちりとした」孤独感というものを抱いた瞬間だった。
少し前に流行したいいまわしでいえば、トラビスとシンクロしたってことか。
とてもじゃないが、ひとりで居られない。
21時くらいだったか、街に出た。
車が走っている。
チャリダーが疾走している。
歩行者が居る。
コンビニを覗くと、店員が働いている。
たぶん、誰とも知り合いじゃない。
じゃないにも関わらず、すごく安心した。
とりあえず、ひとりじゃないと思えた。
しばらく歩いて、有名なファッションヘルス『多摩クリスタル』に行った。
今年読んだ本で『震災風俗嬢』というのがあったが、まぁそれとこれとを一緒にしてはまずいかもしれない、それでもいってしまうと、職をなくしたばかりの男が風俗に行ってしまう「哀しき性」と、どこか同じにおいはしないだろうか。
プレイそのものは、どうでもよかった。
ただ誰かと会いたかった、話したかった、出来れば、肌をあわせたかったんだと思う。
そうして、アパートに戻った。
やっと、気持ちを落ち着かせることが出来た。
この経験をして以降である、大好きだった映画『タクシードライバー』(76)のことを、大大大っ好きで大っ嫌いになったのは。
『タクシードライバー』公開後、「どうして僕のことが分かったんですか。これは、僕自身だ」と、直接スコセッシに会いにきた男が居たという。
キチガイにちがいないが、愛すべきキチガイ、たぶん会ったらすぐに友達になれるだろう、そんな、自分と似たキチガイ。
そんな風に自己投影出来る映画に出会えた自分は幸福だし、そんな経験をさせてくれた「かーちゃんの死」は、だから、42年の自分の人生のなかで、最大のトピックでありつづけるだろう。
※買いましたよ!
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明日のコラムは・・・
『アバタ―とレイプとベルトリッチ』