Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(48)

2013-07-26 00:15:00 | コラム
れんたるびで「お」→「お」ーるないとじょうえい(オールナイト上映)

映画小僧は「先行上映」とか「オールナイト上映」とか、そういうものに弱い。
それを聞いただけで疼くというか、もうジッとしていられない。

オールナイト―なんかもう、甘美でさえある響き。あぁ素晴らしい。
興行主が贈る、映画小僧への最高のプレゼントなんじゃないか、、、なんて。

深夜に始まり、明け方に終わる。
ただそれだけのことなのに、特別な夜を過ごした気分にさせてくれる。
たとえ作品がつまらなかったとしても・・・まぁ限度はあるけれど、☆の数でいうと昼間に観たときは☆3つでも、オールナイトの一本として観れば、☆4つあげたくなったりもする。

感覚としては屋外上映に近い特別感というか、
自分はそのくらいオールナイト上映というありかたが好きで、しょっちゅう「体感」しに劇場に足を運んでいる。

自律神経失調症になってしまった友人から、
「そんな観かたを繰り返していたら、体内時計が狂っちゃうよ」
と注意を受けたが、たぶん自分は生まれたときから狂いまくっているのだろう、現在は不眠症体質だし、そこいらへんは気にしたことがない。


きのうもそうだったが・・・
映画のエピソードを記す際、必ずといっていいほど「田舎で過ごした少年期」と「上京してきたころ」の対比を描くことになる。

オールナイト上映もその例に漏れず、、、というか、いまでこそシネコンが建ってそれも可能になったが、場末の劇場がオールナイト上映など出来るはずもなく、
だから自分にとってオールナイト上映、イコール都会―みたいな幻想を抱いていた。

田舎に居るとそれが体感出来ないから、代わりに家でビデオを流し続け、そのまま朝を迎えたりもしていた。

幻想が、そーとー大きかったのだろう、自分は、上京して5日後にオールナイト上映を体感したのである。

刺激的だったなぁ。
おとなになった気分に浸ったなぁ。
そのときの映画は、クソのつくつまらなさだったけれど!


さて。
最も記憶に残るオールナイト上映は?

考えてみ・・・るまでもなく、3秒で決まった。

いまは亡き渋谷パンテオンで開催された、『デヴィッド・リンチNight』である。

『ロスト・ハイウェイ』(97…トップ画像)日本公開にあわせ、
『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間 』(92)と『ワイルド・アット・ハート』(90)の三本立てオールナイトが実現!!

萌えたし、燃えた。

映画学校時代の同級生3人と観に行く。

リンチで大劇場が埋まるか? と疑問に思ったが、驚くべきことに「ほぼ」満員だった。
おそらく『ツイン・ピークス』効果の「余波」が、日本にだけ残っていたのだろう。(実際、このドラマシリーズを最も熱狂的に受け入れたのは日本だったとされている)

リンチは実験色濃厚で難解な映画を創るアートキチガイであり、「好き」を自称するひとでも一晩で3本はしんどい・・・と思ったのかどうか、劇場では無料で『リアルゴールド』が配られ、なんかそういうプレゼントまで粋だと感じ、確実に100を超えるオールナイト経験があっても、瞬時にこの企画をベストワンに挙げることが出来る。

ん?

行ったことがない?

それはもったいない。
ほんとうにもったいない。

映画好きなら、ぜひ体感しましょう。


※『ロスト・ハイウェイ』日本版予告編




次回のしりとりは・・・
おーるないとじょうえ「い」→「い」ぶしぎん。

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明日のコラムは・・・

『夜の夢こそ、まこと―2日遅れの金魚忌』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(47)

2013-07-25 12:09:56 | コラム
どるふらんぐ「れん」→「れん」たるびでお(レンタルビデオ)

愛用の財布(トップ画像)に「現在」入っているもの。

そこそこの? 紙幣と小銭、銀行のカード、名刺、タスポ、ミスド/パステル/ヨドバシカメラのポイントカード、、、くらいだったりする。

8枚も有していた消費者金融のカードは弁護士によって破棄され、
学生のころ、あれだけ利用していたレンタルビデオ店のカードは1枚もない。

消費者金融には負けるが、一時期はレンタルビデオ店のカードを7枚くらい持っていた。

A店で目当てのソフトが見つからない、あるいはレンタル中だった場合、じゃあB店へ、そこもダメだったらC・D店へ・・・という具合に、「きょうはこれを借りるぞ!!」と決めたら諦められない性分だったのである。

それなのに、なぜ現在は1枚も持たない?

(1)劇場で浴びるほど映画を観ている
(2)スカパー! に加入している
(3)ソフトが安価になったため、繰り返し観たい作品は購入してしまう

などの理由による。


生まれ故郷の群馬県館林市にレンタルビデオ店が出来たのは、自分が中学1年だったころ。

ただ、実家にはビデオデッキがなかった。
そこで自分は毎週日曜日、町の電気屋さんを回ってカタログを集め、それを居間の目立つところに置き、とーちゃんにアプローチをかけた。かけ続けた。

「昔の映画を沢山観たいんだ。チャップリンとか時代劇とかを。父さんも一緒に観ようよ」なんていいながら。

狙っていたのは、ジョージ・ルーカスがCMをやっていた最新式(=パナソニック)のもの。
予算的にそれは無理だったが、東芝のビデオデッキが設置された晩はうれしくて眠れなかった。
「録画の練習」とかいっちゃって、CMなんかを録画してみたり。

その翌日、レンタルビデオ店の会員になった。
『TSUTAYA』であったが、まだ『蔦屋』と表記していたころの話である。

一泊650円、二泊三日で750円だったろうか、
現在の2倍以上もしたわけで、、、というか現在が安過ぎるような気もするが、ともかくこの価格では一度に借りられるのも3本が限度だろう、1週間レンタルというのも生まれていなかったし、
で、なにを借りたのかというと、観ていないものではなく、観たことのある映画ばかりを3本選んだのだった。

その内訳。

『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(85)
『ビバリーヒルズ・コップ』(84)
『ロッキー2』(79)

まだ偏愛的な映画小僧を自称する前だから、ベタ中のベタ、いかにも「おとこのこ」らしいセレクトだなぁ。

で、ものの見事にレンタル映画鑑賞にはまった。

小遣いのすべてをレンタル代に注ぎ込み、
小遣いだけでは足りず、アルバイトを始めた。

アルバイトは多いときで月に12万くらい稼いだが、そのほとんどを自らいうところの「映画の勉強」(=映画雑誌の購入、新作映画の劇場鑑賞、レンタル代)に充てた。

いちばん金を要したのは、やっぱり新作映画の劇場鑑賞?

否。

東京のように、街に映画館がぼこぼこ建っているわけではないからね、
大袈裟ではなくほんとうに、8~10万前後をレンタルに充てていたのである。

観まくって、観まくって、観まくって、そうして映画小僧が出来上がる。

上京後―。
ほとんどの新作映画に触れられる環境に感激し、暇さえあれば劇場に向かった。
だからしばらくはレンタルビデオ店に入ることをしなかったが、学校で映画史を学べば学ぶほど、過去の作品ともきちんと対峙しなければな・・・と思うようになる。

そうして、会員になった。
中~高校生のころから数年しか経っていないはずなのに、料金は半額くらいになっていた。1週間レンタルも生まれた。
だから外国映画5本、日本映画3本、AV2本という無茶な借りかたをして、ひぃひぃいいながらそれらを鑑賞し続ける毎日を送った。
19~23歳ころの話である。


いい時代だなぁ、と思う。

かつて過去の映画は、リバイバルかテレビ放映を待つほかなかったわけで。

選択肢が増えたいへんだよ!! という声も聞くけれど、だからそれは、贅沢な悩みというものだろう。


※では、そんな? 『ロッキー2』よりジョギングのシーンを。
最後のダッシュ、はぇぇ!!





あすのしりとりは・・・
れんたるびで「お」→「お」ーるないとじょうえい。

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ヒーロー願望はありますか

2013-07-24 00:30:00 | コラム
昔から・・・なのだろうけれど、毎日のように殺人事件が起きている。

広島の少女リンチ死もそうだし、山口の集落で起こった大量殺人もそう。三面記事は血の話でいっぱいだ。

前者だけなら「いまの若い子の感覚は、、、」と発することも出来るけれど、後者の異様な事件がそれをいわせない。
老いも若きも殺人者、通り魔も居るし逆恨みはあるし、肩ぶつかっただけで殺人に発展する場合もあるし、先日も強盗目的で歩行者を車で轢くなんていう事件もあったし、路上にロープを張られてバイクが転倒したり、DVにストーキング、いじめ・・・あぁ出るわ出るわ、いまこうしてムスコを可愛がりながら生きていられるのもラッキーなのかな、、、なんて思ったり。

度々記しているが、自分の身を守るためと「人助けをしてみたい願望」を叶える? ために、そこそこの注意を払って日常を生きている。

払い過ぎてぎこちない動きになり、周囲から危険人物扱いされたりしてね。

それはそれで、考えようによっては自分に危害は加えられないだろうから、問題をひとつクリアしているのかもしれない。

残るは、人助け。

困ってるひとは居ないかな~? なんて探して見つけるもんじゃない、もしそうしていたとしても、
探しているときは見つからず、あきらめて気を抜いたときにこそ、困っているひとは現れるもので。

ヒーローはたいへんだ。

だから「人助けをしてみたい願望」は、あるにはあるが、だからといってヒーローになりたいとは思わない。
感謝されつつ敵もどんどん生まれるわけで、そんな生活は生きた心地がしないだろう。


まもなくヒット作の続編『キックアス2』が上陸するが、きょうは「もしなれるとしたら、どんなヒーローがいいか」ということを考えてみた。

以下は映画史を回顧し、ひねり出した10人である。

あくまでも、広義の意味におけるヒーローね。


(1)「ある」男…『鉄男』(89)

トップ画像だが、この写真は敵役の「ヤツ」。

ごくふつうのサラリーマンが、鉄と同化していく。
痛みを伴う変身のようだが、本気を出せば国さえ壊滅させることが出来そう。

ヒーローなのかと問われたら、ちょっと返答に困るが。

(2)ペイトン/ダークマン…『ダークマン』(90)

どうせヒーローになるなら、このくらい個性的なほうがいい。

そうかサム・ライミは、ヒーロー物が得意だったのだ、、、と、イマサラながら気づく。

(3)アレックス/ロボコップ…『ロボコップ』(87)

完全なロボットでないところがいい。

本人は、もちろんつらいだろうけれど。

(4)ピーター・パーカー/スパイダーマン…『スパイダーマン』(2002)

アメリカン・コミック発に限定すれば、これがいちばんか。

MJのような魅力的なヒロインが居れば、能力以上のものを発揮出来るような気がする。

(5)トーマス/ネオ…『マトリックス』(99)

このリストのなかでは唯一、マスク的なものをしていない。

仮想空間の物語ゆえ「ふつうの人間」のような気もするが、弾丸よけてみたいし。

(6)ハリー/カブキマン…『カブキマン』(90)

Z級の映画を発表し続けるトロマ社による、脱力系ヒーロー映画。

格好悪さも一周すれば、格好良くなる・・・というわけでは「ない」ところが面白い。

ひたすら格好悪いし、割り箸を武器にするところも最悪だが、本人はじつに楽しそう(に見える)。

(7)ブルース・ウェイン/バットマン…『バットマン』(89)

地味で暗くて、過去のトラウマを引きずって・・・歴代バットマンのなかで、個人的にはマイケル・キートンが最もしっくりきている。

(8)伊達直人/タイガーマスク…『タイガーマスク』(2013)

実写版は、本年11月に公開。
主演はウエンツ瑛士くんだが、ちょっと大丈夫かな? という心配も。

(9)スタンリー…『マスク』(94)

CG過渡期に制作されたともいえる娯楽作。

べつに人助けするわけじゃないけれど、美女までゲット出来てハッピー。

(10)市川新市/ゼブラーマン…『ゼブラーマン』(2004)

頑張るオッサン、いいねぇ。

いちばん理想に近い形かもしれない。


※鉄男、パート2のほうで




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初体験 リッジモント・ハイ(48)

2013-07-23 04:00:00 | コラム
10年以上前の話である―。

ある映画の先行オールナイト上映を観るために、行列に並んでいたときのこと。
後ろのカップルが口喧嘩を始めたな、厄介だな面倒くさいな・・・と思っていたら、男のほうが彼女の頬を叩き、さらに膝あたりを蹴り始めた。

最初はジョークかと思っていたが、その打撃はなかなかに強い。
彼女のほうは、いまにでも泣き出しそうである。

こんなに「あけっぴろげ」にDVやるヤツも居るのかと呆れたが、あまりにもひどいので傍観者でいるわけにはいかないだろう、
止めるにはどうすべきか、最初から腕力を行使していいのか、それとも口で注意か。
しかし、こんな男に届くことばなんてあるのか。

・・・と、いろいろ考えていたら、暴力は収まった。

ふぅ、焦らせんなよ。

それから3分くらい経ったろうか、ごく自然な感じで後ろを確認してみると、ふたりは抱き合っていたのである。

チュー、までしている。

へ?

さっきのパンチや蹴りは、なんだったの!?

居るんだ、こういうことを繰り返すカップルが。

ある種のプレイか、あるいは「いつも、そういう男を好いてしまう女の図」か。

結局、行動しなくて正解だった―ってこと?

このときはそうだったのかもしれないけれど、べつのときは分からないよねぇ。


理想の喧嘩・・・なんてものがあるのか疑問だが、いいなぁと思ったのは、スコセッシ初期の佳作『アリスの恋』(74…トップ画像)。

しがないウェイトレスと「その客」による丁々発止の口喧嘩は、いつまでも観ていたくなるほど痛快で気持ちよかった。

口喧嘩ではなく議論だが、『十二人の怒れる男』(57)や『日本の夜と霧』(60)の、自分のイキザマを賭けたような「やりあい」も素晴らしい。

しかし、これらはもちろん、脚本家による考え抜かれた「台本あり」の口喧嘩である。
スコセッシは「アドリブ大歓迎」だったらしいが、それでも俳優は「これから口喧嘩のシーンが始まる」と意識して撮影に臨んでいる。

現実には、そうはいかない。
「あした、口喧嘩するぞ」と入念な準備をすることなどない・・・う~ん、場合によっては「ある」かもしれないが、それは稀なケースで。

日常生活における口喧嘩は、なんとなく始まり、ちょっとずつ火がついて、、、という流れだろう。
だから丁々発止とはいかないし、独特の間が生まれる。
その間に耐えられなくなったほうが、「ごめん」と謝ったり。


さて、自分が異性と初めて口喧嘩したときの話。

前回書いたとおり、少年時代は同性と口喧嘩さえ出来なかった。
女子ともなればナオサラで、そもそも、目を見て話せるようになったのも18歳以降だったのである。

だ、だせぇ。
チョーだせぇ。

そんなダサいヤツだから、どうしようもないことで口喧嘩をした。

19歳のころ―随分と淡白? な女子と付き合った。
すぐ別れてしまったけれど、ともかく男と女の仲にはなった。

淡白? な子だから、1日を過ごしたとしてもエッチは1回しか許してくれない。

対する自分は病的に濃厚であり、1回なんかじゃ満足出来っこない。

しかし何度頭を下げても土下座をしても「美味しい店、連れて行くから」といっても「勘弁して」と、つれない。

そこで自分は彼女が寝入ったあと、全裸になり、彼女をも「なんとか」全裸にし、アレヤコレヤ楽しみながら自慰をすることにした。

基本が早漏だから、3分もすれば果てる。
その果てる直前に、彼女が目を覚ましたのである。

「なに、これ!!」

「あぅ、あぅぅぅう」と、声にならない自分。

「サイテー!!」

ふだんなら「ごめんね、ごめんね」と必死に謝るところだが、果てるところまでいかなかったことから怒りを覚え、いい返すことにした。

「させてくれないからじゃん!」
「だから、疲れちゃうんだって!」
「だったら、寝てるだけでいいから!」
「なにそれ、あたしをダッチワイフと思ってるわけ?」
「そんなこと、あるか! ほんとうなら、ふたりで楽しみたいんだよ!」
「でも、あなたのクドさについていけないの!!」

午前4時である。
阿呆も極まった感があるが、このあと1時間くらい「きみはアッサリし過ぎている」「いやいや、あなたがクドいのよ」と、やりあった。

で、朝を迎えて―。

彼女は口喧嘩にさえ疲れてしまい、「いい、もう寝る」といって、暖かいのに「いろいろ着込んで」ベッドに入ってしまった。
「もう触らないで」という意味である。

なぜ付き合ってんだ? と思うかもしれないが、
回想してみると、自分、しょっちゅう「やろ、ねぇ、やろう。いいでしょう?」とお願いしていたような気がする。
たぶん、自分が悪いんだね。


ひとり残された自分は、というと・・・。

じつをいうと、口喧嘩をしている最中も、ずっと勃起していた。

仕方がないので、着込みに着込んで肥満体のようになった彼女の寝姿を見て、おとなしく? 自慰をしましたさ。

サイテーだが、彼女を好いていたことだけは分かってもらえるんじゃないだろうか、そんなにまでして自慰をしたのだから。


おわり。





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初体験 リッジモント・ハイ(47)

2013-07-22 00:15:00 | コラム
喧嘩は得意なほうではない。

身体を駆使するほうも、ことばでやりあうほうも。

まず身体。
そもそもが、いじめられっこだったわけである。

やり返せばいい―と、ひとはいうが、痛みを与えるのも受けるのもイヤだった。

そのくせ、映画『キャリー』(76)を観てヒロインに自己投影し、加害者を惨殺するという夢想に耽る。

臆病だったのだろう、
現在の中途半端なビジュアル―似非マッチョ―は、それの裏返しというわけだ。

似非とはいえマッチョになった結果、どうなったか。

無駄に自信がつき、一時期、ほんの一時期だけだが喧嘩上等みたいな感じになった。

で、いっぱい痛い思いをした。
痛い思いもさせた。

身体感覚で分かったのは、暴力はろくなもんじゃないってこと。

とくに映画の世界では、胸のすく暴力というものがあるが、現実世界では、なかなかそういう実感は得られない。

格好いいことをいうようだけれど、傷つくのは身体だけではないのだよね。

こころを、ざっくりやられる。

もちろん相手は同性である。

女子に手を上げたことはない。
上げた時点で、人間失格だろう。

中学生のころだったか・・・。
男女双方から馬鹿にされるクラスメイトが居て、彼はある日、美人だが素行がひじょうに悪い女子を思いっきりぶん殴った。

凍りつく教室。

しかし彼女は泣かず、かといってやり返すこともせず、ただただ彼を睨んでいた。

ほとんどのクラスメイトが、彼を非難するような目をしていた。

ただ自分は、このときばかりは、ちょっとだけ彼のことを見直した。
褒められたことではないが、彼の怒りは性差などものともしなかったのだ。

ときと場合によっては、女子を殴ることも「あり」なのか。
とも思ったが、そのあとが怖くて、自分は出来そうにもない。
というか、幸いなことに、殴りたくなるほどの女子に会ったことはないのである。


では、ことばの喧嘩はどうか。

身体と同様、少年時代は大の苦手だった。
なにからなにまで自信がなかったのである。

打ち負かす自信はおろか、打ち負かそうという発想さえ浮かばなかったのだ。

批判されたら、とりあえず「ごめんなさい」と謝る。
ちがうなぁと思っても、ヘラヘラ顔で否定も肯定もしない。

それが変わったのは、やっぱり上京してから。

映画好きではなく映画小僧を自称するようになり、
生意気にも女子と交際なんかして、
酒を呑む機会が増え、
そして、やっぱり似非ではあるものの、ライターを名乗るようになって、
口喧嘩というか、議論「みたいなもの」が、なんとなく好きになっていく。

前述したように得意ではないけれど、まぁ、好きは好きだよと。

あまりにも(少年時代と)変わったものだから、同級生たちから「東京で、なにがあった!?」なんて聞かれたけれど、環境と経験かなぁ、やっぱり。


というわけで。
今回の初体験テーマは、「女子との口喧嘩」。

(同性との)身体のやりあいは、随分前に取り上げている。
18歳のころ、働いていた新聞専売所「前の路上」で、同期があまりにもしつこく絡んでくるものだから腹が立ち、彼のボディに二発三発と喰らわせた・・・ら、彼は恐怖のあまり脱糞してしまった、、、という、どうにも気の抜けるエピソードである。

今回の相手は、女子。
しかし繰り返すが、女子に手を上げたことはない。
が、口喧嘩くらいはしたことがある。
何度か、ある。
そのいちばん最初を、思い出してみよう・・・。

トップ画像は、口喧嘩から殴り合いに発展した夫婦の物語『ローズ家の戦争』(89)だが、彼ら彼女らに比べれば、じつに小さい口喧嘩ではあるけれど、、、。


つづく。

※『アウトレイジ』より、口喧嘩というより恫喝のやりあい




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