高野長英は1804年岩手県水沢で生まれ、17才で江戸に出てオランダ医学を学びました。さらに長崎に行き、シーボルトの鳴滝塾において、医学と蘭学を学びます。その後江戸にもどり開業しながら翻訳を続け、『夢物語』という本を書きます。これが幕府批判ととらえられ投獄されました。(蛮社の獄)1844年に脱獄(牢が火事により一時自由の身となるが3日でもどるという取り決めに従わなかった)
『夢物語』は、イギリスのモリソン号が日本人の漂流者を救ったにもかかわらず、異国船打ち払い令にのっとり攻撃をしたことを人道上から批判。また英国の状況を伝え、学ぶべきものがあるという主張をしたものです。蛮社の獄は大弾圧事件。渡辺崋山も捕らえられ自殺に追い込まれました。
脱獄後は、多くの友人(宇和島・薩摩藩主など)に守られ、逃亡生活を続けます。薬品で顔を焼き、人相を変え医療を続けもしました。1850年10月30日、百人町で最後をとげます。
立派な人です。驚きました。私なんぞ岩手から江戸まで出たというだけで、すごいなあと思います。新幹線も電車もないんですから。(←そこ?)その上長崎にまで行っているし、脱獄後の逃亡ルートも日本中です。いや、鎖国の時代において世界に目を向けていた日本人の一人だったのです。『八重の桜』も評判ですが、すごい精神力だと思います。やわじゃないですね。
この記念館、日曜日に出かけたのですが、他に人がいませんでした。暖房も入っていなくて、冷蔵庫のよう。(見ているうちに、ガーと入ってきたのですが)後日出かけた宮沢賢治記念館は、箱ものが立派で、なんだかなあと思いました。先人を紹介するという意味では、どちらが上ということもないのに、集客という意味では賢治が圧倒的なわけで、でも高野長英にも日の目をあてていただきたい。