甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十
という有名な句がありますが、「とびとび」とか「ひとならび」というよりこんな感じで生えています。酢味噌和えでいただきましたが、味という味があるわけではなく、私は春の野草では、蓬(よもぎ)や蕗の薹の方が好き。
ちょっと苦みのあるほうが好きということなのかもしれません。セロリも好きだし。
これはうちの畑のあやめの芽。甘草の芽に似ていますよね。野草は茸ほどではないけれど、間違えたらおなかをこわすので、知っている人と歩いて教えてもらうのがいいかもです。以前、田芹とすぐそばに生えていた毒芹を教えていただいたことがあるのですが、そっくりであれはまだひとりで摘める自信がありません。
田芹摘む指あることのありがたく あぶみ
ただ甘草を調べると、この野草ではなく最初に漢方で使われる「カンゾウ」が出てきます。漢字も同じ。少しばかり驚きました。こちらは葉が合歓のようで、花は藤のよう。上の写真のほうは、「野甘草・藪甘草」というのが正しいみたい。初夏になるとオレンジ色の百合のような花が咲くはず。でも私の散歩道では、実は花はあまり見ません。これだけ芽が出ているのに、どうしてだろう。うーん、まさか素十の句は、漢方のほう? とビクビクして検索したところこういうサイトを見つけました。野甘草、キスゲは、「忘れ草」という名前も! 万葉の頃から歌に詠まれているのですね。甘草の花、忘れ草がオレンジ色の花をさして夏の季語、甘草の芽として春の季語というわけでした。キスゲ……ニッコウキスゲだ。
話が飛びますが、漢方の甘草のほうでは、山梨、塩山に「甘草屋敷」というのがあるようで、こっちもそそられます。
といろいろ書きましたが、俳句をやるということはこうして学ぶことなのだと、つくづく思うわけです。