今回、
ぶらんこを降りれば昏き池袋 開成
に対して、最高得点である10点が出ました。西山睦先生です。この点数に関しては、基準があって、10点はたしか、過去の大会最優秀句に匹敵する、というのではなかったでしょうか。この句に対して高柳先生7点、他の先生は8点でした。そして、最優秀句には、昨日書きましたように、他の句が選ばれました。
池袋という、私的迷い率の高い街、ビルに囲まれた街、でも新宿とは違って雑多な感じにする街。その隙間のような公園にあるブランコに乗っているうちに、あちことでネオンが灯り、降りたらもう黄昏だった。この黄昏感、もしかしたら日中でも感じられるかもしれません。
私もとても好きな句でした。
西山先生は、俳句は時空を超えることができる。また、少年から中年の姿までを入れることができると講評されていました。
ぶらんこって、地から50センチほど上を行ったり来たりする。一度天をめざしてはもどる。その繰り返しがこう考えると、非日常空間と日常空間の行き来のようにも思えます。
高柳先生は、この句に対して、下五で一転する。かつ子どもを遊ばせていた光が見える。が、「降りれば」が説明くさく、多様性がうまくいっていない。との評。
高柳先生はどの句にも、9点以上をつけることなく、「童子」の佐藤明彦編集長は逆に9点をかなりつけてらっしゃいました。この二人の俳句観が、特に聞いていてすばらしかったです。(もっとはっきり言えば、去年もそう感じたので、今回もお二人の話を聞きたくて行ったようなもの)
そして、私が近年、この俳句甲子園に惹かれている理由も、少しはっきりしました。普段は結社内で、どうしても最終的に主宰副主宰の選に頼ってしまって、このお二人と他の連衆との差が大きすぎるのです。1句に対してこのように多岐にわたって真剣に論議している。これがいい。俳句は平等だという高柳先生の最初の挨拶にも通じることです。
もっとも自分の頭がついていかない評というのも存在する。それも確かだなと。そこは謙虚に認めたいと思っています。そういうまだまだな自分の俳句観が、ほんの少しでも固まる気がする一日でした。
時間があったので第二会場も1試合だけ観戦しましたが、6点7点が多く、第一会場のレベルの高さを感じた次第です。
やっぱり9点、そして10点が出ると、テンションがあがります。