落葉踏む彼の日と同じ音たてて
嬰(こ)に見せる絵本の中も雪がふる
その中の後家の雛も納めけり
九月かなちやらんぽらんと雲流れ
老人にあきあきしたる枯蟷螂
人の世もとどのつまりは牡丹散る
賜りし余生に飽きて水中花
春待つや何年経つても老人で
春立つやなにくそと押す車椅子
寝疲れといふ疲れありスィートピー
一年もいや一日も夢や冬
薄氷に閉ざされし泡ゆき場なし
一片の塵もまじえず桜散る
これからが本番といふ暑さかな 大久保りん
この方のこれらの俳句が、教科書に載ったり、有名な句として後世に伝わるかと言えば、そんなことはないかもしれません。俳句をやるのはなんのため? この疑問は、句会のたびに、「楽しいから」「でも選んでもらえたら、やはり嬉しい」という思いとともに、抱いています。
私の句など、死んだとき、誰が読んでくれるものか・・?
それでも、まだまだ止めずに作っていきましょう。。
指導者として、他の方の句を選んだり、直したりするときも、実はこんなに厳しくせず、もっとただ楽しんでもらえるようにしようかなとも思うのです。でも・・・。自分の句が選ばれるかどうか? 褒められるかどうか? のところにいては、ダメです。この方のこの句と出会えてよかった! そうなっていただきたいと思うのです。
りんさんの句と出会えてよかった。りんさん、ありがとうございました。