〈隠岐3日目〉-7月30日
船で島前へ。といっても、西ノ島だけです。まずは後醍醐天皇が流されて、御所として住んでいたというところへ。鳥居を潜り100段の石段をのぼったところに、どうがんばっても二部屋くらいしか作れなかったのではという程度のスペースがありました。罪人として流されたといっても天皇なわけなので、島民には大切にしてもらったそうですが、やはり体のいい牢獄です。後醍醐天皇は二年で脱出したのですが、後鳥羽上皇は島で生涯を閉じたということです。(後鳥羽上皇ゆかりのものは、知夫里島が多いのですが、今回は行くことができませんでした)
御所跡のある高台から見えた海と島影。御所があったのはこの後ろの奥まったところです。
国賀海岸
なんとも気持ちのいい風でした。仔牛、仔馬、かわいいでしょう? (仔牛や仔馬は春の季語ですが)
島後は、半径30キロ、周囲100キロということで、琵琶湖にすっぽりとおさまってしまう小さな島です。普通の観光だったらば一日であちこち行くでしょうし、(ろうそく島とか、トカゲ岩とかビューポイントは他にもあるようです)せっかく来たんだから知夫里島も中ノ島も、あそこもここも、となるでしょうが、句会があるので、このくらいでも充分すぎるほどです。
西ノ島へ入るときに見える三郎岩
飛魚が飛んでいるのも、たくさん見ました。飛魚は「あご」ともいいます。そういえば前日の昼食のそばは「あご出し」でした。飛魚も夏の季語。
夕食後句会。3日目の句会は疲れが出たのか、「ロマンチックすぎる」「予定調和」と厳しい句評が飛魚の如くに飛び交いました。その後、翌日は早く発つ方もいるので、懇親会。懇親会が始まったのが何時だったか覚えてませんが、当然日にちが変わってもまだ盛り上がっていました。島の民謡「しげさ節」から海の歌いろいろ、「ふるさと」、「この道」などを合唱、新島からいらしたMさんの貴重な(としかここでは言いようのない)唄の数々も。