fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『あした、また学校で』工藤純子(講談社)

2019年11月05日 | 本の紹介
    高学年以上

 6年生の滝川一将は、同じクラスの咲良から、今朝弟の将人が先生に叱られていたと教えられた。大勢の前で、かわいそうだったとも。将人は、大縄飛び大会に参加することになったのだが、「できない子」が出る練習に出なかったからだという。だが、将人は、「ぼく、できるもんっ」と兄に言う。将人にとっては、大縄跳びは、他のものに比べて「できる」ほうだったのだ。だが、先生からは「できない」と思われていた。

 そのことがきっかけで学校に行けなくなった将人。一将や咲良は、先生が大勢の前で生徒を叱ることが納得できず、委員会でこの問題を取り上げる。だが、当事者ではない他の子からは、面倒くさいと思われるだけだった。
 だが、一人の先生が、「学校って、だれもためのものだと思う?」と気持ちをもらす。

 二人の母もまた事情を聞き、PTAの議題にするが、会長や他の母親には気持ちが通じない。

 学校はだれのものなのか? もちろん子ども達のためのものなはず。ではその学校で子どもが嫌な思いをするのは、おかしい。そうであってはならない。そのために努力されている先生はたくさんいることだろう。だが、それでも学校が楽しくないと感じる子どもは多い。

 私が小学校のとき、こんなふうに「学校はだれのものか?」という問いに出会ったら、どうだったろうか。
 一将や咲良のように、目の前の問題に目をそらさず立ち向かう子も、いると知ることができたら、きっと勇気をもらえただろう。私は優等生は優等生。そうでない子は(つまり私)は、それなりにすごす。そういう場が、学校だった。

 工藤さんは、視点を変えることで、どの子にも、それぞれの事情があり、学校への思いも違うことをきちんと書いている。母親や先生に対してもだ。

 この作品は、現代の子どもを描いていて、かつ普遍的な問題をきちんと捉えている。ここが、すごい。きっと話題になる作品だと思ったし、なるべき作品だ。

 

秋田の俳人・石井露月

2019年11月03日 | 俳句
 秋田市雄和町出身の俳人で、石井露月という人がいます。
 
 文学を志し上京し、坪内逍遙に会いますが、弟子入りを断られ(文学をやるには、才能と財力が必要と言われた)、その後正岡子規の世話で新聞社に入ります。そして子規をとりまく文学者達と交流を深めていきました。

 露月はその後、文学をあきらめ、医師の道へ進みます。そして故郷で医師をしながら、多くの人を助け、その傍ら俳句を広めたのです。
 
 子規の門下の中では、高浜虚子、佐藤紅禄、河東碧梧桐と共に、四天王と呼ばれました。
 故郷にもどってからも、彼らとの親交は途切れることなく、多くの手紙が残っています。これが、子規や虚子を研究する人達にとって、大変貴重な資料です。虚子、碧梧桐など、この家を訪れ、裏にある高尾山に登っています。近くには雄物川が流れていて、その川を舟で来たということです。

  二階の書斎は明治時代に建てられたそのまま残っている貴重な家。一階は診療室だったそうです。

  

  

  

 上の机に座り、書き物をしながら、ふと左上を見ると目に入るところに、子規の写真がありました。
 
 長く訪れたいと思っていたのですが、ここは予約をする必要があったため、ふらりと立ち寄るわけにもいかず、ずっと先延ばしをしていました。
 今回雄和図書館さんにも用事があったため、こうして訪問の機会を得ることができました。
 雄和図書館さんには、露月資料室があり、掛け軸や手紙など、予想をはるかに上回る資料が展示されていました。

 

  すばらしい文字。

 鬼灯を貰ひに来るや隣の子  露月
木葉ふるや掃へども水そそげども  

 露月は、子規臨終の知らせをもらっても、すぐには上京できませんでした。2句目は、その後訪れた子規の墓で詠んだ句です。
 子規はいろんな人に手紙を出していますが、露月は医者だったということもあり、最後の頃のやりとりは、その苦しさを吐露したものでした。