その子どもは、答えを見つけた後、それで良いのか確認が欲しかったのです。
お母さんとのお勉強の際良くあることです。
問題の説明をするお母さん、さぁやってごらんなさい、と優しく接しています。けっして「そんなことじゃダメでしょ」などと言っていません。子どもも一問一問にこにこと楽しそうに取り組んでいます。お母さんとのアイコンタクトが和やかです。
数問目、お母さんが視線を逸らせました。子どもが選んだ答えが違っていたからです。子どもは慌てて他の答えを探します。お母さんのほほ笑みが戻ってきました。子どもは安心して印をつけました。
これは習慣になっています。
計算のできる学者犬に似ています。
学者犬は言葉が分かるのではありません。ましてや自分で計算ができるのでもありません。
パートナーの人間が計算をして答える犬に合図を送っているのです。
犬に例えるなんて大変失礼な話ですが、この子どもはパートナーを必要としているのです。自分が選んだ答えにうなづいてくれる人が欲しかったのです。
お母さんとの二人でするお勉強は良くできるはずです。
全く気が付いていませんが、
解答の大半は子どもが考えたものでなくお母さんが選んだものと言って良いかも知れません。
お母さんとのお勉強の際良くあることです。
問題の説明をするお母さん、さぁやってごらんなさい、と優しく接しています。けっして「そんなことじゃダメでしょ」などと言っていません。子どもも一問一問にこにこと楽しそうに取り組んでいます。お母さんとのアイコンタクトが和やかです。
数問目、お母さんが視線を逸らせました。子どもが選んだ答えが違っていたからです。子どもは慌てて他の答えを探します。お母さんのほほ笑みが戻ってきました。子どもは安心して印をつけました。
これは習慣になっています。
計算のできる学者犬に似ています。
学者犬は言葉が分かるのではありません。ましてや自分で計算ができるのでもありません。
パートナーの人間が計算をして答える犬に合図を送っているのです。
犬に例えるなんて大変失礼な話ですが、この子どもはパートナーを必要としているのです。自分が選んだ答えにうなづいてくれる人が欲しかったのです。
お母さんとの二人でするお勉強は良くできるはずです。
全く気が付いていませんが、
解答の大半は子どもが考えたものでなくお母さんが選んだものと言って良いかも知れません。