不意にグサッと心に矢が刺さる事がある。
自分でも驚くほど、本当に不意に。
言葉は音となり、世に放たれる。
それが時には、矢となり誰かの心を射抜いてしまう。
何気ない言葉が、世に放たれた瞬間、
その言葉は、誰のモノでもなくなり、自由に漂うのだ。
射抜かれた私は、その的を持っていただけの事。
どこを射抜かれたかが解るまでは、黙っていて、
時間が取れる時になったら、
晴れていれば、太陽の光にかざしてみよう。
雨が降っていれば、雨粒に打たれてみよう。
風が強ければ、抗わず揺れてみるのもいい。
そして、足元の草を見てみよう。
さえずる鳥や、飛ぶ虫を見てみよう。
ここに、生きる誠の道が示されている。
私が射抜かれたのは、
取るに足らぬ凝り固まった、拘りなのだと解った途端、
その矢は、溶けて無くなった。
おはようございます。
オセンチックなおかっぱです。
なぜかというと・・・
ここで以前書いた、片羽根に怪我を負ったスズメは、
今も生きていて、その姿に、心が動くんです。
僅かに羽ばたき、塀に登り、
低い屋根につたって行き、
木へとつたって行き、
そうやって、生き続けているようです。
ここ2・3日、ぱったり姿を見せなくなったのですが、
つたいながら、棲み処を変えて、
生き続けているのかもしれない。
そう思わせるほどに、
片羽根のスズメは、生き抜く強さを放っていたのです。
つまらん拘りに、傷が付いたぐらいで、
ちょっぴり凹んだ私なんて、屁だ、ほんと屁だ。
そんな屁のような私だが、
5月にコタツ布団を軽い気持ちで、ちょっと置いておいたら、
あやの棲み処になってしまった。
いやいや、これは押入れに入れるべき物なのだが、
こんな顔で寛ぐ、ネコを退かせない私。
ネコのご飯が沢山入った段ボールが届いたので、
軽い気持ちで、玄関先にちょっと置いておいたら、
ネコ達の、大のお気に入りスポットになってしまった。
うんこ「かーさん ここ サイコーだね」
う・・・うん、そうだね・・・。
退かせない私。
頑張って行こうと、漠然と思う、おかっぱなのでした。