うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

人生は、テトリス?

2018年12月29日 | 日記

もうすぐ、今年も終わる。

そして、平成の時代も・・・

 

おはようございます。

5月からなの?

5月から変わるんかな?

ということで、

今年の締めくくりは、今年をおさらいするのではなく、

私の平成ヒストリーを振り返ってみたいと思う。

 

平成元年、私は16歳だった。

その頃、ゲームボーイという小型ゲーム機が発売され、

私は親にねだって、買ってもらった。

あれ以来、私はテトリスと共に生きたといっても過言ではない。

 

その数年後、私は都会へ嫁に行き、こっぴどい目に遭った。

いや、私も悪かった。

世間知らずの人見知りが、人の嫁になるほど、

大人になり切れていなかったからだ。

今考えれば、自業自得だった。

そんな私は、辛い時、近所のゲームセンターへ向かい、

大画面のテトリスに没頭するのが常だった。

目に涙をいっぱい浮かべて、テトリスを続けた。

辛くて泣いていた訳ではない。

テトリスがどんどん早く落ちてくるようになると、

瞬きが出来なくなるからだ。

私は、それほどに、テトリスの腕を上げていた。

 

その頃だったろうか。

携帯電話の普及が一気に高まり、私もガラケーを持つ事となる。

もちろん、ストラップはテトリスのブロックを模した物を付けた。

そのガラケーからは、悲しい電話を沢山掛けた。

「お義母さん、チロ、安楽死しました」(嫁ぎ先の犬)

「姉ちゃん、パンチョ、死んじゃった」(自分で初めて飼った子犬)

「おい、夫よ!知らん女が刃物持って来たけど、早く帰ってこい!」(元夫の愛人)

「やい、テメー!どんだけ借りてんだ、このやろー!」(元夫の借金)

ちょっと待てよ。途中から腹立ってきた。

自業自得は撤回するが、嬉しい知らせも掛けたっけ。

実家の母さんに思わず掛けた、1本の電話。

「母さん?私ね、猫を飼う事にしたんだよ。うちに見に来ない?」

 

そこから、私の人生は、テトリスではなく、

猫と共に生きることと相成った。

平成10年、うめという猫と出会う。

原因不明の下痢が元で、もう売り物にはならないと聞き、

パンチョを亡くした直後の私は、思わず「引き取りたいです」と言ってしまった。

しかしタダではなかった。

手数料として、4万円取られたよね。

なんの手数料か知らんが、4万円払ったよね。

 

その3年後、平成13年

よねがやってきた。

ぐったりしていて、死んでしまいそうな子猫だったが、

元気になってからは、黒い悪魔と呼ぶようになった。

壁を垂直に登る姿は、まるでゴキブリだった。

 

1年後、平成14年

小さな女の子が泣きながら、「誰か、この子を貰ってください」と叫ぶ手に、

子猫が抱かれていた。

私は、その猫を貰い受けて、きくと名付けた。

不器用な性格だが、うめに、たいそう可愛がられた。

 

その後、離婚してボロアパートに越した直後、

まるで、テトリスのブロックのごとく空から落ちてきた。

平成18年、うんこが空から降ってきた。

うんこの子猫時代の写真は一枚もないが、

それはそれは、可愛い赤ちゃんだった。

私は、うんこと名付けながらも「親方~」と呼んでいた。

そういう顔だったのだ。

 

これで、我が家の猫メンバーは揃ったと思ったが、

平成24年

稀に見る、お転婆がやってきた。

その名は、あやだ。

あやは、川の縁にしがみ付いていたという事実からも、

不屈のド根性を生まれ持って来たのだろう。

まいった。

もう無理!

もう、これ以上、猫は増やせん!

 

なのに、平成26年

こんなの拾っちゃった。

ぴかーんと真っ白なのに、顔はいつでもぼんやりな、おたまだ。

里子にと考えたが、なんやかんやで我が家に残留した。

 

そして、その後

我が家から、うめときくが、旅立った。

 

平成の時代、

私には、これ以外にも、様々な出会いと別れがあった。

出会いにぶつかり、別れて消えた。

それは、まるで、テトリスのようだった。

 

ここへお越しくださる皆様、

今年も、誠にありがとうございました。

次は、来年にお会い致しましょう。