うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

なんか、取り留めなく長い記事

2018年12月18日 | うんこの事

まずは、動くゴキブリのその後を

ご報告いたします。

実家に見せにいったところ、

「きもちわるっ」の一言で一掃されました。

 

おはようございます。

昨日の夕方、弊社に来た宅配業者の女性が、

「あの窓から、きれいな虹が見えますよ」と

素敵な笑顔で教えてくれた。

「えっ?どこ?ん?どこ?あっち?そっち?」と

私は窓を覗きながら、あちこち虹を探しても見つけられない。

内心、これって、心が綺麗な人にしか見えないのか?

そういう神の采配なのか?と思いながら、

だったらさぁっと思い立ち、見つけられないのに、

「あぁ、ほんとだ。きれい」とセリフを棒読みするように嘘を付いた。

 

この宅配業者の女性は、弊社周辺を担当しているのだろう。

いつも息を切らせながらも、笑顔で荷物を運んできてくれる。

化粧っけも無く、顔は日焼けしていて、

作業服から覗く手は、少し荒れていた。

けれど、窓から虹を見上げる、その人が、とても美しくて、

私は、再び虹を探すことを忘れて、その人に見惚れていた。

 

虹は見つけられないが、この星には

美しいものは、まだまだ、たくさんある訳だ。

猫という生き物も、美しい。

どんな猫でも、オスのカンガルーみたいなあやでも、

ツチノコみたいなうんこだって、美しい。

いや、オスのカンガルーも美しいし、

ツチノコだって、見たことはないが、きっと美しいのだろう。

ただ、ツチノコを見つけたら、

見惚れる暇なく死に物狂いで捕まえます。

 

そんな我が家の猫達は平和に見えるが、うんこはどうだろう?

よねが病気になって以来、うんこは私の側へは来なくなった。

我が家では、優先順位がはっきりしている。

これは昔からだ。

病んでいる猫や小さな子猫は、どうしても優先される。

すると、主張の強い子は、「私もかまって」と鳴くからいい。

もともと主張をしない子は、あまり気にしないようで、それも助かる。

うんこは、そのどちらでもない。

主張を我慢する猫だ。

 

最近のうんこは、ねずみさんへの執着が強い。

いつでもどこでも、ねずみさんを肌身離さず持っている。

おじさんが帰宅するまでは、おじさんのベッドの上で、

ねずみさんと一緒に寝て待っているように見えて、

私は、そんな様子のうんこに、

「うんこは、おじさんと居ればいいもんな」と遠くから声を掛ける。

実際、おじさんが帰ってくると、

嬉しそうに出迎えているから、私はこれでいいと思っていた。

 

私は、おじさんには常々、

「よねに手が掛かるから、うんこのことは頼むね」と伝えているから、

おじさんも、うんこの事を以前以上に構うようにしている。

しかし、一昨日あたりから、

うんこは、撫ぜようとするおじさんに、唸るようになってしまった。

私は、その様子を見て、はっとした。

うんこは、自分のやる場のない気持ちに戸惑っている。

 

 

だから、昨日、私はうんこに謝った。

「うんこ、ごめんな。淋しかったんだな。」

うんこにとって、私は母さんだ。

その代わりは、誰にも出来ない。

そう思わせたのは、私だ。

 

うんこが小さな頃、私は、ねずみのぬいぐるみをあげた。

あの頃のうんこは、ヤンチャ過ぎて他の猫にも嫌われて孤立していた。

それでも、私は猫達を置いて、外で長時間働いていて、

その間、うんこはいつも、ねずみのぬいぐるみと一緒に

私をずっと待っていた。

帰ってきたって、うんこだけを構ってやる訳にもいかず、

そんな時、うんこは遠くから私を見ていた。

ねずみさんを咥えたまま、じっと我慢をしていたんだ。

 

また、やってんじゃん、私。

うんこ、ごめんな。

 

スットコドッコイな母さんだな。

 

もっと、一緒にいような。