うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

今年最後の更新です。

2021年12月30日 | 真面目な日記

令和3年が、

もうすぐ終わる。

 

おはようございます。

2021年ではなく、あえて令和3年と表記した。

なぜなら、どうしても忘れがちになるからね。

何度、確認しても、

「あれ?今年は令和3年だっけ?2年じゃない?」ってなっていたもん。

そして、これを書いている今も、

間違えている気がしてならない。

今年って令和2年じゃない?

ええい!

もう、こう書こう!!

「大体、令和2~4年辺り」だ。

余裕をもって、2~4年だ。

 

そんなわけで、

大体令和2~4年辺りは、もうすぐ終わる訳だが、

皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

 

1年間、今年は濃い年だった。

今年は、本当に苦しい年だったはずなのだけれど、

10月、うんこが逝ったことで、その前のいろんなことが

全てすっ飛んだ。

色々あったんだけど、すっ飛んだ。

今年は、うんこが極楽へ行った年、もうそれしか覚えていない。

まるで、うんこが全部、持って行ってくれちゃったみたいだ。

 

私は、今もまだ、じわじわと痩せ続けている。

喪失感を埋められずにいる。

そのくせ、案外笑っている事の方が多い。

家に猫がいると、どうしても笑っちゃうことが多くなる。

 

喪失感が過るのは、ほんの僅かな時間だ。

そしてそんな時、不思議と脳裏に浮かぶのは、『ボク』のことだ。

私が見捨てた、犬のボクだ。

幼い私に初めてできた、親友だった。

私は、心を開く術を知らない子供だった。

そんな私の心に唯一寄り添ってくれた親友のボクを、

ある日、親の意向で捨てた。

野良犬になってしまったボクが、保健所に捕まって殺されたと知ったのは、

何年か後のことだった。

いつものように酔っぱらった親の口から聞かされた。

まるで、他人事みたいに軽い口調で話す親は、吐き気がするほど汚らわしかった。

同時に、自分のことも汚らわしいと思えた。

あの時、私はボクを助けようとはしなかったからだ。

「ボクは置いて行く」と言った親に、私は一言も逆らわなかった。

だから私も、この汚らわしい人達とおんなじなんだと知った。

 

あのことがあったから、

あんなことをしてしまったから、私はうんこを育てた。

うめもよねもきくも皆そうだ。

一度でも触ってしまった子は、絶対に助ける。

そう覚悟するようになったのは、ボクのことがあったからだ。

 

ボクのおかげで、私はうんこを亡くして泣いているんだ。

ボクのおかげで、私は15年間も、うんこと笑って生きて来られたんだ。

今我が家にいる猫達と出会えたのも、ボクのおかげだ。

 

ボクは、あの当時、まだ若いオス犬だった。

 

見捨てた友に、私は生かされている。

皮肉なことだが、本当に、そうなんだ。

私は、決して忘れない。

 

皮肉なことだが、

どんな時でも、そこそこ笑って生きていけちゃうんだ。

ボクのおかげなんだ。

 

皆様、今年もありがとうございました。