うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

思考の沼 (追記あり)

2021年07月09日 | 日記

昨日、

弊社のドライバーが、泣きそうな顔で

唐突に聞いてきた。

 

おはようございます。

「ツバメってさ、巣を壊されたらどうするの?」

詳しく聞いてみれば、

よく立ち寄るコンビニの店主が、

店の軒先で子育て中のツバメの巣を撤去したのだそうだ。

「子育て中って?ヒナはどうなってるの?」

「店の脇の旗の上に並んでる。」

スマホで撮ってきた画像を見せてもらうと、4羽が並んでいた。

 

旗までは羽ばたけるのだろうから、いわゆる巣立ちのヒナだろう。

もう少しというところだから、きっと大丈夫だ。

「鳥の世界では、どんな状況下でも、

親鳥はヒナを見捨てないの。道路に落ちてたって、

親鳥は、そこでヒナに餌をやるんだから。

せめて、旗がクルクル動かないくらいの対処はさせてもらえるんじゃない?

そのクソ野郎に言って、旗をそーっと固定してあげて。

なんなら、私行こうか?そのクソ野郎のとこに。」

 

クソ野郎も、言い分はあるのだろう。

クソ野郎でも、思考を持った言葉の話せる、クソなのだから。

 

すみません。

のっけから、口汚くて、すみません。

 

私は、本当は人のことなんて言えた立場じゃない。

以前、実家でも同じことがあった。

私も、あのコンビニのクソ野郎と同等のクソ野郎の娘だ。

ベランダに作ったスズメの巣を、私の親はヒナもろとも捨てたのだから。

 

父は「蛇が昇ってきたから仕方ないんだ」と言った。

私は、怒るより先に、

「その巣は、どこ?」と聞き、実家を飛び出した。

ゴミ捨て場へ走って行き、ゴミ袋を漁って2羽のヒナを保護した。

ツンツルテンの小さなヒナだった。

私は、便利な道具をあれもこれも買い込んで必死に育てた。

迷惑な話だろうが、小さな箱に入れて、会社にまで持ち込んだ。

けれど、2羽とも3日で動かなくなった。

 

私は、あり得ないくらい、泣いた。

どうにもならないくらい、涙が止まらなかった。

悔しくもないし、実家の親への怒りも無かった。

ただただ、小さなヒナが愛おしくて泣いた。

 

親には、何も言わなかった。

親も何も言わなかった。絶句していたに近い。

だから、何も言う必要がないと思った。

実家から飛び出してゴミを漁る娘を見て、

3日間鳴くヒナを見て、4日目にヒナ箱を持っていないのを知って、

父は、もう充分、心を痛めていたからだ。

 

自分に難が降りかかると、

人の思考は一気にバランスを欠いてしまう時がある。

それが、あのコンビニのクソ野郎であり、実家の親だ。

誰にだって、そういう時はある。

私だって、他人事じゃない。

慌てれば慌てるだけ、ひっちゃかめっちゃかになるタチだし。

ただ、そういう時に、誰かが引き戻せれば、

現実は、何かが変わる。

どう変わるかは分からないが、凹んだ部分は誰かが何かを埋める。

この世は、きっと、そんな構造になっているんだ。

だったら私は、どうせなら、愛で埋めて欲しいと思う。

 

うんこさんは、自分で埋めたよね?

凹んだ腹を、自力で埋めたよね?

猛烈に食べて、凹んでたお腹を、ふっくらとさせたよね?

 

すごいよね、偉いよね。

 

うんこ「うんちゃんは、頑張って食べてんのぉ。」

 

うんこ「もう、無理くり食べてんだから。食べるのも稽古なんだから。」

相撲取りの思考!

 

追記

この記事も、

読み手によっては、まさに私のバランスを欠いた思考による内容だ。

だから私は、欠いた部分を埋めるために、書いているのかもしれない。

その上で、読んで頂ければ、幸いです。


久しぶりに、あやキャンペーン

2021年07月07日 | あやの事

今日は、七夕であり・・・

あやの日イブだ。

 

おはようございます。

あやとは、9年前の7/8に出会ったから、

7/8は私にとっては、あやの日なのだ。

七夕の夜に、天の川に落っこちてしまった織姫みたいに、

7/8の朝、川の縁にど根性でへばり付いていたのが、あやだ。

 

七夕というと、私は夜のイメージを持っているが、

あやは、月夜に頼りなく煌めく星ではなく、

影をも焼き尽くす直射日光のような猫だ。

我が家のギラギラ太陽だ。

メラメラでもいいし、ギンギンでもガンガンでもいいが、

とにかく、あやは、そんな猫だ。

 

私達が夕飯を食べ始めると、あやにとっては『遊び』の合図だ。

ご飯を食べているのだから、遊ぶわけがない。

しかし、あやにとって、我々の夕飯時間は、準備運動の時間なのだ。

慣らし運転を始める。

背後で、小ぶりの乳牛が荒ぶっているようかのようにドスドスと走り回る。

それは、我々を急かすためでもある慣らし運転なのだ。

そんな時、私もおじさんも、決してあやの方を見ない。

万が一、荒ぶるあやと目が合ってしまったら、厄介な事になる。

「あっ、気付いた?」という具合に、あやがスキップでやって来て、

「遊んで~遊んでよ~」と叫びながら背中を揺さぶり続けるからだ。

そんな時でも、我々はノーリアクションだ。

気付かないはずはない。

気付きたくなくても、気付かないはずなどないし、

だからといって、慣れるということもない。耐えるのだ。

我々は、ひたすら俯き加減で無言のまま粛々と、食事を続ける。

夕飯の団欒は、9年前の7/8を機に、あやに奪われたのだ。

 

しかし、あやという猫は、

遊びたい一心で、私の背中を揺さぶる時でさえ、決して爪を立てない。

立てもしない爪を切る時は、一切の抵抗をしない。

暴れん坊なようで、警察犬に負けぬ従順さも持っている。

「あや!」と呼べば、ピッと飛んでくる。

「ここ!」と指を指すポイントに、やっぱり警察犬ばりのお座りをする。

 

だから、食事中に走り回るあやだって、

本当は「あや!」と呼べは、ピッと来てお座りできるし、

背中を揺さぶられた時は、捕まえて抱っこすれば、じっと我慢をして抱かれる。

あやは、そういう猫だ。

だけど、私はそれはしない。

あやに我慢をさせたくないからと言えば美談だが、そうではなく、

あやの我慢は、1分しかもたないからだ。

それでは、警察犬ごっこという、一種の遊びになってしまう。

あやの思惑通りになるという訳だ。

 

そんな、1分しか我慢をしない、あやは、

病気になった猫には、一日中でも付き添う。

何日も何日も、時には死にゆくまで、

あやは穏やかな春の太陽のように、弱った猫を照らす。

あやとは、そういう猫だ。

我が家の太陽なのだ。

 

うんこの体調不良の時も、あやはずっと寄り添っていたっけな。

いつもなら、ここで「不意打ちパーンチ」して

高笑いしながら走り去るのに、この時ばかりはしない。

 

うめの闘病にも、あやはずっと付き添ったし、

よねの時も、きくの時もだ。

 

そのくせ・・・

元気なオスには

 

あや「こいつ、鬱陶しいーーーー!」

地獄の底を這うような声で、唸るんだもんな。

あやは、恐ろしい太陽なんだ。


勿体ないとは?

2021年07月05日 | 日記

昨日は、

おじさんと、ちょっといいランチを食べに行ってきた。

 

おはようございます。

我が家のおじさんは、そもそもフレンチの料理人なので、

フレンチ(イタリアンも含む)のお作法ってのも、よく知っているんだ。

だから、たくさん並べられたフォークやスプーンなどに

引け目を感じ、もはや卑屈になる私にとっては、

凄く有難い存在だ。

精神安定剤であり、胃薬だ。

 

しかし、テーブルの左側に置かれた白い石っころは、なんだ?

こんなの、見たことない!

私は、声を潜めて、おじさんに問いかけた。

「こ・・・こここ・・・これは何?」

「これは、箸置きですよ。

お箸も用意しますよっということでしょうね。

おかっぱちゃんは、お箸で食べますか?」

お箸で食べたい、私はそう思った。

でも、でも・・・・

「そんなのもったいないじゃん?」

と言った。

「何が勿体ないのですか?」

「ん?」

 

さて、私は何を勿体ないと思ったのだろうか?

 

慣れない場所で、支離滅裂になりながら、

フォークとナイスで料理をこねくり回す中、

おじさんのスマートな身のこなしに、しばらく見惚れていたのだった。

 

美味しかったかって?

知らん!

そんなもん、味わってる余裕など、なかったから。

 

さて、汗だくで家に帰ると、

安心の和菓子が待っていた。

そう、安心の和菓子だ。

結局、私は生粋の日本人なんだ。

私は、日本人としての誇りを持っている!

竹筒の水羊羹だ。

なんと、風流な和菓子であろうか。

 

つい2時間前、真顔でナイフを左手で握りしめた時、

それをおじさんが静かに持ち直したことなんて、

恥ではないんだ。

だって、私はお箸と和菓子の国の人だから~。

 

で、これは、どうやって食べるの?

ねえ、これ、どうするの?

この筒から、水羊羹をどう出すか?

私は、もちろん、お箸を突っ込んだ。お箸の国の人だから。

そして、せっかく固めて羊羹にした物を、

箸でこねくり回し、餡子状に戻して取り出した。

「これ、どうしても、こうなっちゃうやんね?」

とヘラヘラしながら、ふっとおじさんを見ると、

おじさんは、筒から、羊羹を羊羹のままツルっと出していた。

 

「おかっぱちゃん、そんな事しちゃって、勿体ないですよ。」

おじさんは、呆れたように、筒から半分出ている羊羹を私に手渡した。

「何が勿体ないって言うんだよ~」

私は、そうキレながらも、この時ばかりは、

明確に何が勿体ないのか分かってしまった。

 

ツルっと出された水羊羹は、美味しかった。

 

あら?

うんこさんも、上手に出してる~

うんちゃん?

せっかく、勿体ないから、もっと見せて~

 

うんこ「なにが、もったいないの、母さん?」

なんか、この状態を見なきゃ損な気がするんだ。


家の中の風流

2021年07月03日 | 日記

止まない。

全然、止まない。

いつになったら、止むんだろう?

 

おはようございます。

7月に入って、梅雨が本気を出してきた。

しかし、長雨は、久しぶりかもしれない。

去年って、こんな長雨の梅雨あったっけ?

あったんだっけ?

という感じだ。

要するに、ただ単に、去年の今頃のことなんて、

覚えていないというだけのことだ。

 

もっと、人生を確かめながら丁寧に生きていきたいとか

そういうことを考えると、ちょっとジメジメしてくるが、

こんな湿った休日こそ、こそですよ。

風流に触れたい!

 

そんな我が家には、

ちょっとした、風流な景色がある。

 

我が家のおじさんに、猫トイレの掃除を頼むと、

必ず見られる、風流だ。

 

猫トイレの風流

『玄関の枯山水』

規則的に流れる、穏やかな川のようだ!

 

『西の枯山水』

池のみなものようだ!

もはや、水中を優雅に泳ぐ、錦鯉の息吹をも感ずる!!

 

『北の枯山水』

あんなに穏やかなだった母のような川が、

激しく厳しい父のように力強くうねっている!

 

風流ですよね?

猫が一瞬でも足を踏み入れたら崩れてしまう儚い景色ですよね?

猫のトイレなんですがね・・・。

 

これも、我が家の風流?

では、君たち、お願いします

 

おぉぉ、絶景かな絶景かな


海の思い出

2021年07月01日 | 日記

今年も、前半が過ぎ去った訳か・・・

感慨を深めようと、前半を振り返ろうとしたって、

何も思い出せない訳だ!

 

おはようございます。

7月は、きくさんだ。

海辺のきく、似合うね。

 

海の思い出といえば、幼い頃の家族旅行を鮮明に覚えている。

家族旅行といっても、父が経営していた会社の

社員旅行に同行した、ついでの家族旅行だった。

業種柄、社員は全員、男性だった。

 

昼間は、若い男性社員達に、ドボーンっと海に沈められ、

夜は、大宴会場の隅っこで座っていた。

その宴会の時には、見慣れない綺麗なお姉さんが数人加わっていた。

いわゆる、コンパニオンだ。

「お嬢ちゃんは、ジュース飲む?」と優しく聞いてくれたお姉さんが、

昼間、笑いながら私を海に沈めた男性社員にスカートをめくられて、

「きゃー、もう」と悲鳴をあげている。

 

えげつなっと思い視線を逸らすと、

あっちこっちで、お姉さん達の悲鳴に似た声が響いていた。

私は俯いて、ひたすら膳に飾られたアワビを睨んでいた。

「これは、なんだろう?」

幼い子供からすれば、とても食べ物だと認識できず、

ただひたすらアワビを睨んでいたら、今度は男の怒号が響いた。

「このやろぉぉぉ」

 

はっとして顔を上げた頃には、

大宴会場は、男達の大乱闘場になっていた。

同じ浴衣を着た沢山の男達の殴り合いは、

まるで、テレビで見た盛大なお祭りみたいだった。

そのお祭りの中に、父さんの姿が見えた。

「あっ、お父さんだ!」

社長である父は、一応、仲裁として加わっていたのだろうが、

誰よりも、乱闘を楽しんでいるように見えた。

 

「お嬢ちゃん、見ちゃダメ。ねっ見ちゃダメよ。」

そう言って、コンパニオンのお姉さんが私を抱きしめてくれた。

お姉さんの柔らかい胸に顔を突っ伏した時、

すごく、いい匂いがしたのを覚えている。

「お母さんのお化粧品の匂いだ。」

それに気づいた時、私は母が心配になった。

母も喧嘩に巻き込まれているんじゃないかと思い、

お姉さんの胸の隙間から、母の姿を探していたら、

怒号の中に、母の声がした。

 

「これで、どや!」

その声の方を見てみると、

母は、もろ肌を脱いで胡坐をかいたまま、座布団に花札を叩きつけていて、

その左わきには、一升瓶が置かれていた。

「どんなもんじゃ!ひゃっひゃっひゃ~。」

どうやら、母さんは、花札で男達から勝利を勝ち取った模様だった。

幼い私は、

「大乱闘で、もっとも最強なのが、母カズコだ」と記憶したまま、

今も残っている。

 

そんな、海の思い出だ。

こんな親に育てられた、という思い出に近いが、

年老いた両親を見ていると、

あの記憶も、活き活きとした色鮮やかな思い出だ。

 

さて、我が家には、

ポンちゃんままから頂いた、三毛帽子でお礼です。

うんこ「はいはい、思う存分、嗅ぎなさい。」

 

うんこ「お前もか。好きに嗅ぎなさい。」

さすが、堂々としたもんだな。

 

それでは、

うんこ「ぽんちゃんままさん、うんちゃん、元気になったわよ」

ままん、ありがとうございます。

 

おまけに、たれ蔵もね。

たれ「今、ぼくは、未来への一歩を踏み出そうと頑張っています」

君は、被りもんすると、フリーズしちゃうんだよな~フフフフ。