7月24日は、
調味料の日です。
おはようございます。
我が家の調味料の日、というのが正確だ。
2年前の7月24日、
しお・こしょう・からし(現のん太)・シュガオ・ごまお・さんしょの6兄妹と
出会った日だ。
この兄妹を調味料6(シックス)と呼んでいた。
産まれたのは、前日23日の未明だったと思われる。
産まれたてホヤホヤ状態で、出会った訳だ。
これは、ホヤホヤのしおちゃんだ。
母猫は、羊水で濡れた我が子を舐めてやることも叶わなかったのだろう。
初めて触った時は、まだ体がぬめっていた。
我が家担当の3匹(しお・こしょう・からし)、
生後6日、ようやく被毛が整って来た。
そして、ちょうどこの頃、
たれ蔵は生後2か月だった。
うんこの脳天に、かぶり付けるようになった頃だった。
からしは、のん太に改名して、我が家のメンバーになり、
しおは、優しいお母さんとお兄ちゃんが出来た。
さんしょも、シュガオも、ごまおも、
それぞれの家族に恵まれ、今も楽しく暮らしている。
生後10日前後から、子猫は順次、瞼が開き始める。
こしょうは、開眼が一番早かった。
次にしお、からし(現のん太)は6匹の中で最も遅かった。
こしょうは、我が家担当の3匹の中では、
一番大きかったし、一番ミルクを沢山飲めたんだ。
でも、私は瞼が開いた頃から、こしょうに違和感を抱いていた。
「なにかが、おかしい」
そう、感じていた。
成長するにつれ、その違和感は増大した。
でも、まさか、生後23日で死んでしまうだなんてことは、
思いもしていなかった。
「こしょうは、うちの子になるだろう。
とても、里子に出せるような状態には育たない」
それは、早い段階で覚悟していた。
今だから言えるが、当時、私は苦しかった。怖かった。
しおやからしとは、どんどん様子が違っていくこしょうを育てるのは、
とても苦しくて怖かった。
そう、怖かった。
私は一体、何が怖かったんだろうか。
あんなに、小さなぷにぷにした赤ちゃんの
何を怖れていたんだろう。
これも、今だから言えるが、
こしょうが、どんな状態であっても、
今、この家に居たのならば、
それはそれで、きっと楽しかっただろうと思う。
人の心は、まるで、
幾重にも、メモ書きが重なって出来ているように思える。
1枚貼ったり、1枚剥がしたりしながら、生きているみたいだ。
こしょうが生きていたら、
怖いと書かれたメモ書きは、とっくに剥がされていただろうし、
新たに、貼られたメモ書きもあったろう。
そして、今、ここにこしょうが居なくても、
私の心には、怖いと書かれたメモ書きは剥がされている。
こしょうが動かなくなったあの時、剥がれて落ちた。
怖かったくせに、そのメモ書きが惜しくなって探してみても、
もう、どこにも無いんだ。
ただ、残っているメモ書きは、
「ぷにぷにの赤ちゃん」だけだった。
このメモ書きは、一生剥がれはしない。
そして、2年経ち、気付けば、
私の心には、新たなメモ書きが貼られていた。
私の愛する、可愛いこしょう、出会えて良かった。ありがとう。
ちなみに、
のん太は、赤ちゃんの頃からすでに、
1枚のメモ書きが心に貼られていた模様です。
のん太「のんの陣地らぞ。退け!」
呆れちゃう・・・・