2007年2月14日、水曜日オペラ座のソワレ。
この日が、名エトワールにして現職のメートル・ド・バレエ、ローラン・イレールのオペラ座での最後の公演。
「バランシン/ブラウン/フォーサイス」というモダン作品のMIXプログラムの期間でしたので、最初のバランシンの「アポロ」のタイトル・ロールでその神々しい姿を見せたイレール。
彼のために、この日だけ特別に次の演目が最後に用意されました。
モーリス・ベジャール振付、音楽(作詞も)グスタフ・マーラー「さすらう若者の歌(Le Chant du compagnon errant)」
原曲では、他の男性のもとに嫁いだ恋人を思う若者の絶望、自然の美しさに触れ、生きる喜びを再び見出す様、その喜びも彼女のことを思うと激しい胸の苦痛に変わり、悲しみと安らかな忘却のうちにコーダ、というのがその内容なのですが、ベジャールの振付では男性二人のデュオにより、失恋から来る若者の悩みにとどまらない、青春の光と影を現して、圧巻。
マーラーの曲の持つ民謡風のメロディー、ドイツ・ロマン派の純粋な若者像、ドイツ特有の若いうちに遍歴を重ねて人生経験を積ませる風習から来る青春の旅の変遷などのイメージモチーフを活かしつつ、更なる普遍性を持たせて胸を焦がす若さの喜びと苦しみを、光と影の2人を配すことで効果的に表現した名作。
残念ながら、この作品に相応しいとベジャールが認めるダンサーがそう多くないので、上演されることは稀なよう・・・。
2005年のルグリ・ガラの日本公演でこの2人での上演を見ることが出来たのは奇跡に近いことかもしれません(あの時も名演でした!)
明るい水色のレオタードのイレール、ダークレッドのルグリが舞台に姿を現すと、それまで期待と最後の作品か、と緊張するざわつく心がスッと静まって、舞台に引き込まれます。
2人の若者の青春の葛藤、人生を謳歌する若さの輝き、友情と対立、挫折と絶望、そして光と影の存在の影が光の手を引いて闇に消える・・・といった、一連の流れが、お互いを知り尽くしたベテラン・エトワール2人の絶妙なムーブメントの中でこれ以上ないほど、文学的にそして音楽的に表現されていきます。
オペラ座付きのバリトン、ウィアード・ウィソルトの歌唱、ヴェロ・パーンの指揮で演奏されるマーラーの美しい歌曲の世界が、2人の舞踏を通じて更なる深まりを見せる様を、只只見守るのみ・・・。
しかし、どうして、この43歳のエトワールがこんなにも、心ふるえる若者を演じることが出来るのでしょう。遥か遠くの何かを希求しつつも混沌の中から抜け出せずに悶える心、友との大らかな交歓と激しいライバル心の火花散るぶつかり合い、この世に未練を残しつつ、手を引かれ、奈落に消えてゆくその表情の切なさ・・・。
最後の最後まで、本当に見事な舞台でした。
深い作品理解を極め、それを表現できる肉体を未だ持ちながら、それでも引退してしまう・・・。
こんな見事な舞台を見せられては、ファンは未練を断ち切れません。
・・・・が、それが、キャリアの絶頂であえて身を引くのが、エトワールの美学なのだと言われれば仕方ありませんが・・・・。
日本公演の時には、イレールがルグリに手を引かれて舞台奥に一歩一歩消え行きつつも、客席を見ながらハッとした表情(現世への未練?残した想い?)を見せ、暗転した後、客席が水を打ったようにひと時静まり返り、それから嵐のような拍手になったのですが、ここParisではラテン系のお国柄のせいか、ライトが落ちたその瞬間から拍手の渦。
・・・うーん、わたくしとしてはちょっと余韻を味あわせていただきたかったところなのですが
さすがフランス人。仕方ありませんね。
この日が、名エトワールにして現職のメートル・ド・バレエ、ローラン・イレールのオペラ座での最後の公演。
「バランシン/ブラウン/フォーサイス」というモダン作品のMIXプログラムの期間でしたので、最初のバランシンの「アポロ」のタイトル・ロールでその神々しい姿を見せたイレール。
彼のために、この日だけ特別に次の演目が最後に用意されました。
モーリス・ベジャール振付、音楽(作詞も)グスタフ・マーラー「さすらう若者の歌(Le Chant du compagnon errant)」
原曲では、他の男性のもとに嫁いだ恋人を思う若者の絶望、自然の美しさに触れ、生きる喜びを再び見出す様、その喜びも彼女のことを思うと激しい胸の苦痛に変わり、悲しみと安らかな忘却のうちにコーダ、というのがその内容なのですが、ベジャールの振付では男性二人のデュオにより、失恋から来る若者の悩みにとどまらない、青春の光と影を現して、圧巻。
マーラーの曲の持つ民謡風のメロディー、ドイツ・ロマン派の純粋な若者像、ドイツ特有の若いうちに遍歴を重ねて人生経験を積ませる風習から来る青春の旅の変遷などのイメージモチーフを活かしつつ、更なる普遍性を持たせて胸を焦がす若さの喜びと苦しみを、光と影の2人を配すことで効果的に表現した名作。
残念ながら、この作品に相応しいとベジャールが認めるダンサーがそう多くないので、上演されることは稀なよう・・・。
2005年のルグリ・ガラの日本公演でこの2人での上演を見ることが出来たのは奇跡に近いことかもしれません(あの時も名演でした!)
明るい水色のレオタードのイレール、ダークレッドのルグリが舞台に姿を現すと、それまで期待と最後の作品か、と緊張するざわつく心がスッと静まって、舞台に引き込まれます。
2人の若者の青春の葛藤、人生を謳歌する若さの輝き、友情と対立、挫折と絶望、そして光と影の存在の影が光の手を引いて闇に消える・・・といった、一連の流れが、お互いを知り尽くしたベテラン・エトワール2人の絶妙なムーブメントの中でこれ以上ないほど、文学的にそして音楽的に表現されていきます。
オペラ座付きのバリトン、ウィアード・ウィソルトの歌唱、ヴェロ・パーンの指揮で演奏されるマーラーの美しい歌曲の世界が、2人の舞踏を通じて更なる深まりを見せる様を、只只見守るのみ・・・。
しかし、どうして、この43歳のエトワールがこんなにも、心ふるえる若者を演じることが出来るのでしょう。遥か遠くの何かを希求しつつも混沌の中から抜け出せずに悶える心、友との大らかな交歓と激しいライバル心の火花散るぶつかり合い、この世に未練を残しつつ、手を引かれ、奈落に消えてゆくその表情の切なさ・・・。
最後の最後まで、本当に見事な舞台でした。
深い作品理解を極め、それを表現できる肉体を未だ持ちながら、それでも引退してしまう・・・。
こんな見事な舞台を見せられては、ファンは未練を断ち切れません。
・・・・が、それが、キャリアの絶頂であえて身を引くのが、エトワールの美学なのだと言われれば仕方ありませんが・・・・。
日本公演の時には、イレールがルグリに手を引かれて舞台奥に一歩一歩消え行きつつも、客席を見ながらハッとした表情(現世への未練?残した想い?)を見せ、暗転した後、客席が水を打ったようにひと時静まり返り、それから嵐のような拍手になったのですが、ここParisではラテン系のお国柄のせいか、ライトが落ちたその瞬間から拍手の渦。
・・・うーん、わたくしとしてはちょっと余韻を味あわせていただきたかったところなのですが
さすがフランス人。仕方ありませんね。