2作品目はトリシャ・ブラウンの「オ・ズロゾニー/オ・コンポジテ」
満天の星空かプラネタリウムか・・・というバックに、つぶやくように読み上げる詩のような文句、時折「prrrrrr」いった擬音を挿入。舞台の中央では男性2人女性一人のダンサーが複雑な動きを見せている・・・。全体でモダン・アートとして見せるのが意図なのでしょう。いかにも、なモダン作品です。音楽はローリー・アンダーソン。
イレールの「アポロ」に感涙のわたくし、最後のクライマックス「さすらう若者の歌」に向けて、暫し休憩だわ~と思ってぼんやり眺めていたら、ん?ダンサーが単調な動きながらそれぞれに素晴らしい。
それもそのはず、オレリー・デュポンを中心に、スーパー・バレエ・レッスンで名教師振りを発揮しているマニュエル・ルグリ、そして永遠の若者、お正月映画「オーロラ」の主演でもおなじみの二コラ・ル・リッシュという人気実力ともにTOPクラスのエトワール3人組の競演ですから、休憩時間になりようがありませぬ。
イングリット・バーグマンを思わせるクラシカルな美貌ながらも モダン作品に独特の鋭い感覚を見せるオレリー。
15の力を10にコントロールして抑制された力の美を見せ付ける、端正でありながら王者のパワーのあるルグリ。
ルグリとある意味反対で、その恵まれた肢体を投げ出すようにギリギリまで大きく、破綻しそうなスレスレのところで伸びやかに踊る二コラ。
取り立てて振付そのものが面白かったり、舞踊作品としてすぐれているとは思わないのですが(失礼)、ダンサーの力で見せてしまった、と言う感じでしょうか。
わたくし自身も軽い興奮を覚えて、惜しまず拍手を送りましたが、Opera座の観客は大喜び。
ン?今日はイレールのためのソワレなんだから、ちょっとちょっとそのくらいにしておいていただけないかしら?!、と複雑な気分になるほど・・・。
満天の星空かプラネタリウムか・・・というバックに、つぶやくように読み上げる詩のような文句、時折「prrrrrr」いった擬音を挿入。舞台の中央では男性2人女性一人のダンサーが複雑な動きを見せている・・・。全体でモダン・アートとして見せるのが意図なのでしょう。いかにも、なモダン作品です。音楽はローリー・アンダーソン。
イレールの「アポロ」に感涙のわたくし、最後のクライマックス「さすらう若者の歌」に向けて、暫し休憩だわ~と思ってぼんやり眺めていたら、ん?ダンサーが単調な動きながらそれぞれに素晴らしい。
それもそのはず、オレリー・デュポンを中心に、スーパー・バレエ・レッスンで名教師振りを発揮しているマニュエル・ルグリ、そして永遠の若者、お正月映画「オーロラ」の主演でもおなじみの二コラ・ル・リッシュという人気実力ともにTOPクラスのエトワール3人組の競演ですから、休憩時間になりようがありませぬ。
イングリット・バーグマンを思わせるクラシカルな美貌ながらも モダン作品に独特の鋭い感覚を見せるオレリー。
15の力を10にコントロールして抑制された力の美を見せ付ける、端正でありながら王者のパワーのあるルグリ。
ルグリとある意味反対で、その恵まれた肢体を投げ出すようにギリギリまで大きく、破綻しそうなスレスレのところで伸びやかに踊る二コラ。
取り立てて振付そのものが面白かったり、舞踊作品としてすぐれているとは思わないのですが(失礼)、ダンサーの力で見せてしまった、と言う感じでしょうか。
わたくし自身も軽い興奮を覚えて、惜しまず拍手を送りましたが、Opera座の観客は大喜び。
ン?今日はイレールのためのソワレなんだから、ちょっとちょっとそのくらいにしておいていただけないかしら?!、と複雑な気分になるほど・・・。
(えーっと、実は昨日こちらに書き込みをしたのですが、いざ投稿、と思ったらどこかヘンなキーボードを叩いてしまったらしく、真っ白になってしまて・・・ややネガティヴ?なことを書いたから3人の大エトワールの不興の’気’をかったか?{プンスカ}と、びびりつつ もう一度トライします!)
私も3人の動きが気になりながらも、しっかりお休みタイムに活用してしまいましたわ~(あのプラネタリウム状態の舞台が休息に格好の環境を提供してくれました・・・)。見るのは二度目でしたから、多少は目が慣れてはいたものの退屈きわまりない作品で・・・この大エトワール3人を使って、これはないでしょーと今回も心の中で呟くことに・・・
確かに観客の熱狂ぶりは凄くて、私も驚きました。フランスのダンス・シーンは圧倒的にコンテンポラリーが優勢で、クラシックはいまや超マイノリティになりつつあるので、パリのお客にはバランシンは難しすぎるのかも?なーんて、皮肉を言いたくなってしまいましたもの 私。勿論素直に考えれば、あの喝采はただただ3人の非凡なダンサーたちに向けられたもの・・・でも、そうだとすると、この3人でなければ、一体どうなっていたことか(作品を上演する意義があるのか?)。どうにも、すっきりしませんわ・・・ (あ、やっぱりネガティヴになってしまった ごめんなさい。引き続きのmariaさまレポを楽しみにしておりますので~)
そうなんですよね{YES}!
バランシン、ブラウン、フォーサイス、と並び称されてはいますが、わたくし、振付家としては、バランシンの音楽性豊かな端正な構築美、フォーサイスのシャープでスピーディな身体性を伴った動きには遠く及ばないのでは・・・という印象を受けました。
トリシャ・ブラウン自体、自らのカンパニーをもって活動をされているかたではありますが、どちらかというと70年代のフルクサスや現代音楽家、美術家とのコラボでアートシーンでの舞踊作品、という側面で活躍された方のようですね。ダンサーとしてのクラシックの基礎に基づいた豊かなムーブメントの土壌から花開いたというものとは一線を画すもののように思われました。
パリ・オペは芸術監督のブリジット・ルフェーブルさんの意向もあり、かなりモダンに力が入っていますね。
先日のルグリ先生のレッスン、「Arepo」の回でも、ルフェーブルさんのインタビューがあり、いかにOpera座のダンサーがモダンを踊ることによって蓄積されたものが古典作品を今のものにするのに好影響を与えているか、ということを自信たっぷりにおっしゃっていましたし・・・。
確かに、モダンのカンパニーのダンサーが踊るのとはまた異なる光{キラリ}が作品に当たり、パリオペのモダンにはどこにもない洗練された魅力があるのですが・・・。
時としてダンサーの力量が作品の底の浅さ(?)を露呈してしまうことも、皮肉なことですがあるのかも、と思いました。