私のイスラエル巡礼も、今日で終わりです。
一日に平均3つの教会を回ったとして、10日間で、30程もの教会を訪問したことになります。
巡礼は、神様からの大きな大きな恵みでした。
巡礼の10日間の間に頂いた恵みを思う時・・・胸キュンと、涙がわいてきます。
巡礼の喜びは、あたかもマラソン大会完走後の喜びに似て、日毎に更に大きく、心に満たされいきます。
又。
長年読み続けてきた『聖書通読:聖書100週間』は、マラソン大会前の長い苦しいトレーニングに似た、『喜び』を味わうための準備でした。
巡礼は、努力の準備の日々の後に神から頂けた、『恵みと喜び』でした。 神に感謝!
巡礼最後の日・・・ 『夜明け』
朝5時過ぎ。
我ら巡礼者は、宿舎の修道会の静寂の庭で、それぞれに、黙想に潜心しました。
美しい夜明けに心を震わせ、巡礼の恵みに感謝しました。
夜もすっかり開けてきて・・・
朝6時過ぎ。
我ら巡礼団は、黙想を終え・・・
『最後の朝食』
『心のこもった朝食』
巡礼最後のバスに乗り込みました。
まずは・・・
いつものように。
枢機卿様の御挨拶。
『皆様、おはようございます。
今日も、全員、健康に恵まれ、すばらしい黙想ができますように、祈りましょう。』
主の祈り。 天使祝詞。 栄唱。
祈りと共に・・・ イエス様と共に・・・ 巡礼最後の一日です。
今日も、私の巡礼の最後にお付き合い下さい
最後にふさわしく・・・ 『最後の晩餐の間 教会』
入口ドア。 晩餐の様子が描かれています。
『過ぎ越しの子羊を屠るべき日が来た。
イエスは、ペテロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越しの食事ができるように準備しなさい」と言われた。
二人が、「どこに準備しましょうか」と言うと、イエスは言われた。
「都に入ると水がめを運んでいる男に出会う。その人は入る家までついていき、家の主人にこう言いなさい。」
『シオンの丘』
ペテロとヨハネが水がめの男を捜したであろう『町』を、2000年程後の今日、私も歩き、眺めます。
『先生が、「弟子たちと一緒に過越しの食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』
すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」
二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越しの食事の準備をした。』
ルカ福音書 22章7-13節
『最後の晩餐の間 教会』 のドアを開けると・・・
そこは・・・ 『最後の晩餐の間』
ペテロとヨハネが案内された、最後の晩餐のための『二階の広間』のあった所に立つ
『最後の晩餐の間 教会』 です。
祭壇の上の聖画・・・ 『晩餐のイエスと12人の弟子たち』
2人を除いて、弟子たち全員が手を掲げているのは、どういう意味でしょう?分かりません。
神父様の話。
『当時は・・・机を使うのではなく、地面に直接座って食事をしたはずです。』
手を挙げていることについての話はなし。
私は・・・
黙して、座っているのではなく・・・立ったまま手を合わせているイエス様を見ながら、
いろいろと、これから『最後の晩餐の間』で起こることについて、黙想しました。考えました。
『さて過越祭(最後の晩餐の夜)の前のことである。
イエスは、この世から父のもとへ移る自分の時が来たことを悟り、
世にいる弟子たちを愛して、このうえなく愛し抜かれた。』 ヨハネ福音書13-1
人は、人を愛して、このうえなく愛し抜く時に、どんな振る舞いをするのだろうか?
思いつくことといえば・・・『自分のすべてを与える』ということである。
『イエスの時』とは・・・イエスのこの世での終わり。 十字架上での『苦しみと死の時』です。
イエスの十字架上での犠牲によって・・・『人類の救い』が完成する時です。
で・・・
イエスは、『時』を悟り、『最後の晩餐』の席で、愛する弟子たちに、『遺言』を語り出すのです。
『遺言』その一・・・ 『あなたがたは互いに足を洗い合わなければならない。』
『弟子の足を洗うイエス』
『イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また
御自分が神のもとから来て、神の元へ帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。
「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」』 ヨハネ福音書 13章3ー20節
イエスは、弟子たちに・・・
『互いが考え方が違っていても、誰が上でも下でもない、許し合いなさい。仕え合いなさい。』とおっしゃりたかったのでしょうか?
更に。
晩餐での出来事。
『イエスは、断言された。 「あなたがたの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
『浸したパン切れをユダに与えるイエス』
『イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられたものが食事の席に着いていた。
その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、
イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。
それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
ユダがパン切れを受け取ると、サタンがユダの中に入った。
そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。
ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。
さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。」』
ヨハネ福音書 13章23-31節
イエスが『栄光を受けた』とは・・・
イエスが、神であること。メシアであること。 を現すことです。
イエスは、十字架上の死に至るまで神に従順で、神に栄光をお与えになります。
神も、イエスに、栄光をお与えになるのです。
勿論。ユダの裏切りを、最初からご存じだったイエス様です。
それでも、ユダに、浸したパンを与え、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい。」と言われたイエス様です。
どんな場合にも、人を人に裏切られるほどつらいことはないです。
それでも、
ユダに我が身をまかせたイエスの御心の真意は? それは神の御心です。
信仰を持つ人持たない人、善人も悪人も、自国の人だけでなく異国の人も、皆々、
神が造られ、神が愛される、神の子である。
それだけは確かなことだと確信させられる神の町・イスラエルです。
次に。
もう一つ。
『遺言』その二・・・ 『互いに愛し合いなさい。』
『最後の晩餐』 レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
『あなたがたに新しい掟を与える。 互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」』
ヨハネ福音書 13章34-36節
イエスは、はっきり言われました。
『わたしは主である。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
このことが分かり、その通りに実行するなら、幸いである。』
ヨハネ福音書 13章12-17節
キリストは、足を洗うという僕の仕事をし、互いに仕え合う模範を示しました。
イエス様は、『最後の食事の部屋』で黙想する私にも、はっきり語りかけました。
「互いに愛し合いなさい。人に仕えることによって、キリストに倣い、キリストに出会うのです。」 と。
『最後の晩餐の間』でのイエス様は、
愛する弟子たちとのお別れを悟っておられて、どんなにかお寂しいことだったでしょう。
愛する弟子たちと別れ難く、まだまだ大事な事柄をお話しなさいました。
私たち巡礼団にも、別れ難いイスラエルですが、お別れの時がきました。
修道会に戻って・・・ 『我が巡礼団の最後の晩餐』
『オリーブの香り高い、魚料理』 おいしい。
舌鼓を打ちながら・・・お話しに花が咲きます。
巡礼は、神が準備下さった、『幸い』でした。
メインは・・・ 『牛肉』
イスラエルワインもイスラエル料理も、 大好きです。
枢機卿様が繰り返された『御言葉』
『ここから、神の国に向かって巡礼してまいりましょう!』
イスラエル巡礼の終わりは、神の国への巡礼の始まりです。
デザート・・・『誕生日祝い。3周年祝い。30周年祝い。25周年祝い。26周年祝い。』
美しい女性の還暦の誕生日祝いお若い神父様の司祭3周年記念貫禄の神父様の司祭30周年記念
シスター様3人の誓願25周年記念シスター様お一人は誓願26周年記念
皆で、 めでたい!めでたい!めでたい!
めでたいめでたいで・・・
私のイスラエル巡礼ブログも終わりです。 ありがとうございました ごめんなさい、訪問日はずれたりしました
神に感謝! ブログを訪問下さいました皆様に感謝! 巡礼お仲間に感謝! 留守を守る夫にも感謝!
皆様!
御訪問に深く感謝申し上げます。
皆様は色々の信仰をお持ちのことと存じ上げます。私のキリスト教巡礼にお付き合い下さり感謝申し上げます。
又、日常に戻りまして・・・日々の感動を綴ってまいります。よろしくお願い申し上げます。 お元気で!