10月30日。金曜日。曇り。
中学一年生の孫娘
今日は特別授業です。
『修養会』
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『瞑想 Meditation』
昨日の学校からの連絡です。
「中学一年生と二年生と高校一年生は、9時の登校にしてください。
何も持って来なくていいです。 3学年は『修養会』とします。
他の学年はいつも通りに登校して授業をします。」
今朝。
孫娘は、遅い登校時間に大喜びで、何も知らぬまま出かけたそうです。
各教室で、今日の『特別授業』:『修養会』の説明がありました。
『修養会』は、1時までの4時間を、沈黙で過ごします。
その間に各自がすることは・・・
①落着く ②気がつく ③分析する ④共感する
ゆっくりとした時間を静かに過ごしながら、
頭の中に浮かんでくることを考えてください。
その内容を分析して、今の自分と共感してみてください。
瞑想の場所は、教室でも、教会聖堂でも、校内のどこでも結構です。
自分の沈黙・瞑想にふさわしい場所を探してください。
『教皇様の地球環境へのメッセージ』を写している教室にも寄ってみてください。
『修養』とは・・・
知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること。
精神を修養すること。
『瞑想』とは・・・
参加者のレベルに応じて
向き合うべき課題と習得するポイントが異なります。
ゆっくりと徐々に自分に馴染む必要があります。
ステップを踏んでゆっくりと心に向き合います。
①落着く ②気がつく ③分析する ④共感
瞑想は何の為に行うのかというと、
『自分と友達になる』為に行います。
すなわち自分に馴染むことです。
自分の心がどういう状態なのか?
自分の体がどう状況なのか?
そして自分の言動や行動がどうなっているのか?
自分の体がどう状況なのか?
そして自分の言動や行動がどうなっているのか?
素直に見つめる力を養っていきます。
その為にはまず心を落ち着つけたり、
物事に気がついたりすることが必要になります。
広辞苑より
孫娘が選んだ場所は・・・ 『芝生のグランドに寝っ転がる』
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空を見上げると・・・真っ青な空が見え、鳥が4匹飛んでいたそうです。
まず、小さな鳥と同様に・・・”自分の存在は小さいな~”
と思ったそうです。
しばらくすると・・・
①心がゆったりと『落ち着いて』きて・・・
②自分が何を考えようかと『気がついた』そうです。
考える『テーマ』が決まってから・・・
聖堂に行って、教皇様のビデオを見て、『十字架の道行き』(学校では『巡礼』と呼ぶ)をすませて、
芝生のグランドに戻り、『瞑想』を続けると、
③『テーマ』の『分析』ができ、
④『自分と友達になる』ように自分自身と『共感』が生まれたそうです。
孫娘の『テーマ』や『分析内容』などは内緒にしておきましょう。
月曜日に、『テーマ』や『分析内容』と『共感』のレポートを提出するそうです。
月曜日に、『テーマ』や『分析内容』と『共感』のレポートを提出するそうです。
私の経験。
大学時代の休みになると
教会が山中や渓谷などで開催する
『黙想会』:『修練会』に出席したものです。
一泊、二泊、一週間の泊まり、等で、
『沈黙の時間』を過ごしたものでした。
今日の4時間の『修練会』に参加した孫娘達は、中学一年生です。
日常の授業のように、今日の『特別授業』の話をする孫娘です。
心の修練は中学一年生でも可能だということですね。
14歳の能力を過小評価していたことを恥じる私です。
今日の私は、 孫娘の学校の『授業』から教えられました。
日常を、バタバタと考えることなく過ごすだけではなく、
ゆったりとした時間、 自分や神と対峙する時間、を持ち
『自分と友達になる』ことを忘れないようにしなくてはなりません。
感謝!感謝!
そして。
今日は10月30日。年間第三十金曜日。
『今日の入祭唱』
『神よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
わたしは御顔を仰いで満ち足り、 喜び祝い、
右の手から永遠の喜びをいただきます。』
わたしは御顔を仰いで満ち足り、 喜び祝い、
右の手から永遠の喜びをいただきます。』
詩編 16章11節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『安息日のことだった。
イエスは 食事のために ファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
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人々はイエスの様子をうかがっていた。
そのとき、 イエスの前に 水腫を患っている人 がいた。
そこで、 イエスは 律法の専門家たちやファリサイ派の人々に 言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
彼らは黙っていた。
すると、 イエスは病人の手を取り、
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病気をいやしてお帰しになった。
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病気をいやしてお帰しになった。
そして、言われた。
「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
彼らは、これに対して答えることができなかった。』
ルカ福音書 14章1-6節
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又 『エジプトから救われた日』 を 『感謝する日』でした。
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律法を守ることが大切な日、と考えていたようです。
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イエスは、安息日も、人を癒して、人を救っていました。
イエスは、ファリサイ派の人たちに、呼びかけました。
安息日の食事の席で
病人を癒しながら・・・
安息日の考え方を、 考え直すことを勧めました。
ところが。
ファリサイ派の人々は、イエスの呼びかけには、応えません。
考え方を変えるつもりはありません。
むしろ、イエスは 『逆らいのしるし』 であると考えたのです。
常に。
人々は、安息日の、イエスの『愛の業』を賛美する人々がいました。
一方、それを、悪く解釈する人もいたのです。
私たちは、
『ミサ』の時に、皆様と一緒に、
『神の子羊の食卓』についているのです。
主の食卓で、キリストは、私たちの幸せと不幸を共にし、
私たちの力と癒しになってくださっておられます。
ミサにあずかり・・・キリストの癒やしと力をもらって、
いつの時も、困っている人の癒やしと力になりたいものですね。
『今日の祈願』
『いつくしみ深い父よ、あなたの民の力となってください。
主の食卓で養われたわたしたちが、
古い人を脱ぎ捨て、新しい命に生きることができますように。』
主の食卓で養われたわたしたちが、
古い人を脱ぎ捨て、新しい命に生きることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も一週間お疲れ様でした。
ゆっくりと穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!
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