8月20日。土曜日。曇り。
今朝6時52分。
孫娘が乗った飛行機が日本到着。
孫娘が知らせてきた。
『ついた』の一言。
昨夜・・・ 『離陸』
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夏休みの間。 孫娘は短期留学をしました。
昨日・8月19日。 孫娘は、日本でのクラブ活動と塾が始まるので、
留学期間終了の一週間前の昨日に帰国の途につきました。
思い返せば・・・
孫娘は、
2歳の時。父親の留学先のバークレーで、母親が弟を出産直前のため、
半月間ほどバークレーの『保育所』に入れられて、
初めての『留学』? 体験をしているのです。
そして、
今年の7月。友人3人とだけの、『大阪2泊の旅』を計画し、
初めての友人との、『自立の旅』を経験したのです。
そして
今回の、中学三年生の孫娘の留学・・・。
条件は、高校生以上。外国籍。であることでした。
中学3年の孫娘は、『入学試験』?で、高校生並みの英語の実力が認められて、
無事、入学・留学となりました。
授業は、朝8時~昼3時まで。毎日、英文法、文学解釈、等々、の勉強で、
日本における『国語』の授業なようなものだったそうです。
宿題をこなして、翌日の授業に向かう。
クラスメートは、最年少者は15歳の孫娘。最年長者は43歳のイランの男性。
女性は孫娘を含んで2人。他は男性だったそうです。
真夜中。
日本に向かって・・・ 『空の上』
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留学の意義は何だろう。
両親はなぜ? 子供を留学をさせるのだろう。
私の娘の場合は、
高校一年生の娘に、英語力をつけることはもちろんですが、
『自律』と『自立』の心を養ってもらいたく、送り出したのです。
そして、『多様性』を学んでほしかったのです。
『自律』とは、
他からの支配や助力を受けず、
自分の行動を、自分の立てた規律に従って、
正しく規制すること。
自分の気持ちをコントロールする力です。
『自立』とは、
他の助けや支配なしに、
自分の一人の力だけで物事を行うこと。
自分のことは、他の力に頼らないで、自分ですることです。
『留学』においても、他者に頼よらなければならないときが、必ず来ます。
誰に頼るか? いつ頼るか? どこまで頼るか? 等々。
すべては、自分の判断で決めるのです。
孫娘は、
留学の間中、
何事においても、一生懸命に自分を律し、一生懸命に自分で判断していたことでしょう。
授業終了後に、
メールで私に話しかけてくる孫娘は、
話し方も、落ち着き具合も、顔の様子すら(写真)、
日々変化を見せていきました。
成長していくのが見えました。
そして、
沢山の国の人達と、又 いろいろの年齢層の人達と、席を共にして、
話し合い、笑いあい、学びあって、
『多様性』の大切さを学んでくれたことでしょう。
今朝早朝・・・ 『昇る日本の太陽』
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孫娘は、この太陽をどんな気持ちで見たのでしょうか?
メールに送られてきた一言:『ついた』
ここで、
孫娘の無事を祈り続けたおばあちゃんの任務も終了しました。
又いつか再会した時に、
孫娘に『土産話』を聞くのを楽しみにいたしましょう。
私は、
昨日の飛行機離陸の時から、日本到着の時までは、
緊張感で睡眠不足でした。
今朝、無事到着後、やっと眠りについた次第です。
感謝!感謝!
そして。
今日は8月20日。年間第二十土曜日。
『聖ベルナルド修道院長教会博士 記念日』
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1090年。 フランスのディジョ近郊で生まれる。
信仰あつく教育される。
1111年。21歳。 シトー会に入会する。
まもなくクレルボーの修道院長選ばれ、
指導と模範によって修道士たちを完徳に進ませた。
教会の分裂が生じると、平和と一致を回復するために、
ヨーロッパ中を巡り歩いて努力した。
神学と霊的生活に関する多くの著書を残した。
1153年。63歳。 死去。
『今日の入祭唱』
『主に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。
神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む。』
詩編 37章30-31節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『あなたがたの父は天の父お一人だけだ。
あなたがたの教師はキリスト一人だけである。』
マタイによる福音書 23章9-10節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。
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「律法学者たちやファリサイ派の人々は、
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モーセの座に着いている。
だから、彼らが言うことは、
すべて行い、また守りなさい。
しかし、
彼らの行いは、見倣ってはならない。
言うだけで、実行しないからである。
彼らは背負いきれない重荷をまとめ、
人の肩に載せるが、
自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。
聖句の入った小箱を大きくしたり、
衣服の房を長くしたりする。
宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
また、広場で挨拶されたり、
『先生』と呼ばれたりすることを好む。
だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。
あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
また、地上の者を『父』と呼んではならない。
あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
『教師』と呼ばれてもいけない。
あなたがたの教師はキリスト一人だけである。
あなたがたのうちでいちばん偉い人は、
仕える者になりなさい。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』
マタイによる福音書 23章1-12節
今日のイエス様は、
『そのすることは、すべて人に見せるためである。』
と、エルサレムの指導者たちを非難します。
そして。
『仕える者が一番偉い人である。』
と、弟子たちや群衆たちに教えます。
イエス様は、
ファリサイ人や律法学者たちについて、厳しい判断をなさいます。
ファリサイ人や律法学者たちは、
よく律法を研究し、人にそれを教えます。
しかし、自分たちの知識や熱心さを人に見せ、尊敬されることを望むのです。
律法をあまり知らないで実行できない貧しい人達を軽蔑するのです。
更には、自分たちは、それを実行しないときがあるのです。
本当の先生は、神様お一人です。
神様だけが、私たちを導き、教え、『信仰』を与えてくださる御方です。
本当の教師は、キリスト様お一人だけです。
キリスト様は、人々が正しい生活を送るために、自ら『模範』を示された御方です。
私たちキリスト者は、
神様が良い方なので、私たちの御父となってくださいました。
まだまだ信仰が足りないので、
いつも本当の先生、本当の御父・神様から導いていただく必要があります。
いつも本当の教師、キリスト様から習う必要があります。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みも終わりが近づいてきました。学生さんたちは宿題をそろそろ始めるのでしょうか♡♡
すばらしく又楽しかった『夏休み日記』が書けますように。 お元気で!
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