9月4日。金曜日。曇り。29度。
早朝6時。
23度のさわやかな朝。
『中央公園花壇』

『神戸市民花壇コンクール 名誉花壇』
すっかり花が植え替えられていました。 秋の気配です。
そして。
『早朝の中央公園』

さわやかな風をゆったりと楽しむ年配の方三人。 素敵な秋の気配です。
比類のない今年の夏。
コロナ禍と、STAY HOMEと、猛暑と、
新しい体験の続いた今年の比類のない夏も終わりです。
ここで、 いさぎよく、
失うものを追いかけるのではなく、 『諦め』 と
早朝の秋風を楽しむ 『豊かさ』 を持ちたいものです。
その微笑みの下に、 『豊かな経験』 を隠し持つ、 素敵な年配者になりたいものですね。
そして。
今日は9月4日。年間第二十二金曜日。
『今日の入祭唱』
『どうか、御心に留めてください。
いにしえから御自分のものとし、あがなわれた民を。
いにしえよりの私の王よ、 この世に救いの御業を果たされる方よ。』
詩編 74章2&12節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 ファリサイ派の人々や律法学者たちは イエスに言った。
「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。
しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
そこで、イエスは言われた。
「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
その時には、彼らは断食することになる。」
そして、イエスはたとえを話された。
「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。

そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。

そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。

『古いものの方がよい』と言うのである。」』
ルカ福音書 5章33-39節
その日・・・
イエス様が、ファリサイ派の人々や律法学者たちに言った『言葉』です。
『「古いぶどう酒を飲めば、 だれも新しいものを欲しがらない。
古いものの方がよい」 と言うのである。』
ここで。
ちょっと余談です。
私の持っているワインの中で・・・ 『一番古いぶどう酒』

『ヴィンテージワイン 1971年49年物 フランスワイン』
『1971年:私たちの結婚年。& 49年前のブドウ収穫年。』
息子夫婦から。9年前。
私たち親への
『結婚40周年記念祝品』
です。
生産から49年もたった『古いワイン』です。
感謝!感謝!
すでに私のワインセラーの中でも9年間寝ていたのです
イエス様がおっしゃるとおり、
『古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。古いものの方がよい』 のです。
いつまでワインセラーに寝かせるのか? どこまで古くするのか?
To be, or not to be that is the question。
『飲み時』 を迷う私たち夫婦です。
『結婚50周年記念日』 に、50年物・半世紀物に熟成させて、飲みましょう! 来年です。
『NoWine NoLife』の私。 どんなお味か、とても楽しみです。
超古いワインだからおいしいさは間違いないでしょう♡♡
ここで。
申し訳ありませんでした。
聖書に戻ります。
イエス様がもたらした『キリスト教』は、
『新しいぶどう酒』:『新しい教え』 で、 『新約聖書』 を生み出しました。
『新約聖書は旧約聖書の中に隠されており、旧約聖書は新約聖書の中に現わされている。』
アウグスティヌスの『言葉』です。
ファリサイ派の人々や律法学者たちは、 『旧約聖書』を正典とする、 『ユダヤ教』の人たちです。
つまり。
ユダヤ教の人々が正典として大切にしている『旧約聖書』
キリスト教は、 旧約聖書を、
なによりも、万物のあがない主であるイエス・キリストの到来を準備する、
イエス・キリストの『前史』として、とらえてもいるのです。
ということで・・・
『断食』とは何か?
『断食』を何のためにするか?
『断食』は、
祈りや施しと並んで、
『神に対する謙遜・希望・愛を現わす最も重要な行為』であり、
全面的な依存と委託の態度で神に向かうときに、
『断食』 がなされるのです。
ファリサイ派の人々は、『国を救うメシア』 を待ち望んで、
その準備として 『断食』 を行っていました。
イエスが『救い主』であると、まだ気づきませんでした。
イエスは、
メシア・救い主のご自分がこの世に来たので、
メシアを待ち望むための『断食』の必要がない、
と言われるのです。
『私がこの世にいる間は、結婚式のような喜びの時であり、断食は必要ない』 と。
『しかし、私が十字架上の死の時を迎え、 花婿である私が取去られる時が来る。
その時こそ・・・
花婿の姿を奪われた者が、たえずイエスを探し求めながら『断食』を行うのである。』 と。
『聖書思想辞典』参照
イエス様の福音は、 『新しい精神』、『新しい考え方』、『新しいぶどう酒』 なのです。
旧約の福音は、 『古い精神』、『律法の精神』、『古いぶどう酒』 なのです。
ある人は、 『古い方が良い』、『古い味に馴染みがある』 と
新しいものには慣れない、 魅力を感じない、 と、
古いぶどう酒ばかり飲んで、新しいぶどう酒を欲しがりません。
『新しい考え』、『新しい精神』 を受け入れるためには、
私たちは、新たに、『改心』を必要とするのです。
私たちも、今、 『古い考え方』 を捨てて、
『救い主キリストの新しい考え方』 を入れるために、
心を新たに『改心』して、 『新しい袋 心』の準備を致しましょう。
『古いもの』でよいものはワインだけではないはず。
『今日の祈願』
『命の源である神よ、 わたしたちを強めてください。
人生の旅路を歩む力を受け、 あなたの国の希望に励まされますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日、明後日は、地方によっては、大型台風が来るようです。
くれぐれもお気を付け、穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!
早朝6時。
23度のさわやかな朝。
『中央公園花壇』

『神戸市民花壇コンクール 名誉花壇』
すっかり花が植え替えられていました。 秋の気配です。
そして。
『早朝の中央公園』

さわやかな風をゆったりと楽しむ年配の方三人。 素敵な秋の気配です。
比類のない今年の夏。
コロナ禍と、STAY HOMEと、猛暑と、
新しい体験の続いた今年の比類のない夏も終わりです。
ここで、 いさぎよく、
失うものを追いかけるのではなく、 『諦め』 と
早朝の秋風を楽しむ 『豊かさ』 を持ちたいものです。
その微笑みの下に、 『豊かな経験』 を隠し持つ、 素敵な年配者になりたいものですね。
そして。
今日は9月4日。年間第二十二金曜日。
『今日の入祭唱』
『どうか、御心に留めてください。
いにしえから御自分のものとし、あがなわれた民を。
いにしえよりの私の王よ、 この世に救いの御業を果たされる方よ。』
詩編 74章2&12節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 ファリサイ派の人々や律法学者たちは イエスに言った。
「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。
しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
そこで、イエスは言われた。
「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
その時には、彼らは断食することになる。」
そして、イエスはたとえを話された。
「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。

そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。

そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。

『古いものの方がよい』と言うのである。」』
ルカ福音書 5章33-39節
その日・・・
イエス様が、ファリサイ派の人々や律法学者たちに言った『言葉』です。
『「古いぶどう酒を飲めば、 だれも新しいものを欲しがらない。
古いものの方がよい」 と言うのである。』
ここで。
ちょっと余談です。
私の持っているワインの中で・・・ 『一番古いぶどう酒』

『ヴィンテージワイン 1971年49年物 フランスワイン』
『1971年:私たちの結婚年。& 49年前のブドウ収穫年。』
息子夫婦から。9年前。
私たち親への


生産から49年もたった『古いワイン』です。
感謝!感謝!
すでに私のワインセラーの中でも9年間寝ていたのです
イエス様がおっしゃるとおり、
『古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。古いものの方がよい』 のです。
いつまでワインセラーに寝かせるのか? どこまで古くするのか?
To be, or not to be that is the question。
『飲み時』 を迷う私たち夫婦です。
『結婚50周年記念日』 に、50年物・半世紀物に熟成させて、飲みましょう! 来年です。
『NoWine NoLife』の私。 どんなお味か、とても楽しみです。
超古いワインだからおいしいさは間違いないでしょう♡♡
ここで。
申し訳ありませんでした。
聖書に戻ります。
イエス様がもたらした『キリスト教』は、
『新しいぶどう酒』:『新しい教え』 で、 『新約聖書』 を生み出しました。

アウグスティヌスの『言葉』です。
ファリサイ派の人々や律法学者たちは、 『旧約聖書』を正典とする、 『ユダヤ教』の人たちです。

ユダヤ教の人々が正典として大切にしている『旧約聖書』
キリスト教は、 旧約聖書を、
なによりも、万物のあがない主であるイエス・キリストの到来を準備する、
イエス・キリストの『前史』として、とらえてもいるのです。
ということで・・・
『断食』とは何か?
『断食』を何のためにするか?
『断食』は、
祈りや施しと並んで、
『神に対する謙遜・希望・愛を現わす最も重要な行為』であり、
全面的な依存と委託の態度で神に向かうときに、
『断食』 がなされるのです。
ファリサイ派の人々は、『国を救うメシア』 を待ち望んで、
その準備として 『断食』 を行っていました。
イエスが『救い主』であると、まだ気づきませんでした。
イエスは、
メシア・救い主のご自分がこの世に来たので、
メシアを待ち望むための『断食』の必要がない、
と言われるのです。
『私がこの世にいる間は、結婚式のような喜びの時であり、断食は必要ない』 と。
『しかし、私が十字架上の死の時を迎え、 花婿である私が取去られる時が来る。
その時こそ・・・
花婿の姿を奪われた者が、たえずイエスを探し求めながら『断食』を行うのである。』 と。
『聖書思想辞典』参照
イエス様の福音は、 『新しい精神』、『新しい考え方』、『新しいぶどう酒』 なのです。
旧約の福音は、 『古い精神』、『律法の精神』、『古いぶどう酒』 なのです。
ある人は、 『古い方が良い』、『古い味に馴染みがある』 と
新しいものには慣れない、 魅力を感じない、 と、
古いぶどう酒ばかり飲んで、新しいぶどう酒を欲しがりません。
『新しい考え』、『新しい精神』 を受け入れるためには、
私たちは、新たに、『改心』を必要とするのです。
私たちも、今、 『古い考え方』 を捨てて、
『救い主キリストの新しい考え方』 を入れるために、
心を新たに『改心』して、 『新しい
『古いもの』でよいものはワインだけではないはず。
『今日の祈願』
『命の源である神よ、 わたしたちを強めてください。
人生の旅路を歩む力を受け、 あなたの国の希望に励まされますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日、明後日は、地方によっては、大型台風が来るようです。
くれぐれもお気を付け、穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!
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