今日は、
孫娘と私の二人は近所の 『アントワープ聖母大聖堂』 訪問。 ママはお人の学術論文の聴講で大学。
『Onze-Lieve-Vrouw Kathedraal :聖母大聖堂』
『アントワープの町の守護聖人である聖母マリアに捧げられた大聖堂』
1352年建築開始。・・・約170年後・・・1521年完成。
大きな聖堂全体の撮影のためには・・市民広場の中程まで下がって
『Onze-Lieve-Vrouw』
直訳で 『私たちの-愛しい-女性』。 『聖母マリア』 を意味します。
大聖堂の守護聖人であり、アントワープ市の守護聖人でもある『聖母マリア』
1000年以上の歳月にわたり、アントワープのカトリック教徒の信仰の的でした。
主にレンガと白い天然石によって建てられた大聖堂。
ブラバント・ゴシック様式の好例。
典型的なゴシックの塔。大きなステンドグラス。優美に一体化した建物と彫刻。シンプルで見通しの良い教会内部。
空間的垂直的な広がりを強調する効果。 影と光の巧妙なハーモニー。
高さ123m。 7身廊と125の柱。 11の礼拝堂。
『Cathedral』
直訳で 『司教の座る椅子』。 司教座のある『大聖堂』を意味します。
ベルギーには8つの司教座があり その一つが アントワープです。
2005年に『世界文化遺産』に登録された
『鐘楼』
天を指差すような外観の大聖堂北の塔。
5世紀もの間・・・変わることなく、『アントワープの街並みのシンボル』 です。
教会の一部・・・ 鐘楼のある塔だけは、鐘楼として使われ、アントワープ市のものです。
豆知識
☆ 『鐘楼のある塔』 鐘楼として使われ、アントワープ市のものです。
Bruggeブルージュ や Gentゲントには 鐘楼として『独立した建物』があります。
BrusselブリュッセルやAntwerpenアントワープには、鐘楼として独立した建物はありません。
その理由の一つ。
アントワープが繁栄したのが、ブルージュやゲントよりも遅く
その頃には鐘楼を建てるのは流行遅れになっていたためです。
鐘楼は、警鐘付き見張りの塔として必要でしたので、アントワープの場合には 大聖堂の塔が使われました。
☆ 塔が七つの階層に分かれています。
キリスト教において重要な数は、「3」と 「7」と 「12」です。
「3」は 「三位一体」の数。
「7」は 人生における七つの秘蹟。 人間の身体のリズムが7日や7年を周期としていることと関係しています。
「12」は 「完全」「永久」を表す数。 キリストと12人の弟子:「1+12」は、キリスト教において重要な数です。
たとえば
EUの旗の 『12の星』 もここからきています。
ヨーロッパでは 以前は12進法。 「ダース」という単位です。
☆ 塔には、8つの警鐘 と 47個の鐘。
『Oridaオリダ』・・・遺る最古の鐘。 1316年に作成。 嵐・火事・非常時に鳴らされたものです。
『Drabbeドラッベ』・・・1465年に作成。 泥棒を知らせる時の鐘でした。
『ガブリエル』・・・今でも 毎時時を告げています。
☆ 615段の階段。 登っていくと 32km離れたところまで見ることが出来るそうです。
以上。 日本語版 『大聖堂ガイド』 より
皆様! いよいよ 大聖堂の中に入っていきましょう!
『聖堂 入り口』
細かい彫刻。 一つ一つに意味があるはずです。
入場料支払いのすぐ右側の壁に・・・
『キリストの十字架』
孫と私。
ろうそくの火をつけて、”今日の訪問が『神の祝福に満ちたもの』になりますように!”と祈り、
入場です。
『アントワープ聖母大聖堂内部 中央身廊』
神の国・『天国』へそのまま昇っていけるような・・・
静かで明るく心地よい。 しかも聖霊に満たされた空間である。
教会は 『天国の前表』 と実感します。
『主祭壇』
天井から釣り下がる 『巨大な十字架』 圧倒される迫力です。
孫と私。 前から3番目の椅子に座りました。
ゆっくりお祈りした後。 前を見たり・・上を見たり・・横を見たり・・キョロキョロと。
後ろを振り向くと・・・
『入り口上の天窓』
光の輪。 無限の光の『天国』のようです。
突然に。
孫娘。 「私・・・この席で、『大きな十字架』 の絵を描くの!」
下書きをして・・色をつけていく孫娘。
孫の横で・・・ドイツ語のガイドを聞く 『ドイツ人観光者』
大聖堂は、
教会本来の役割は『信者たちの祈りの場』であります。
が・・・席に座る人はほとんどいない。
年間数十万人もの人々をひきつける『芸術の宝庫』です。
聖画ファンにとっては一度は訪れたい聖地のような場所であります。
孫が絵を書く長い時間中 静かに一人『瞑想・祈りの紳士』
大聖堂は、『信者たちの祈りの場』としての、教会本来の役割を果たします。
11時頃。
突然に3人の司祭が現れました。
『御言葉の祭儀』 始まりました。
参列者の数は関係なく・・祭儀は執り行われていく。
3席目の私と孫が最前列者です。
祭儀に参加する私。
黙々と司祭の前の十字架を見上げながら絵を描き続ける孫を、チラチラと見守る司祭たち。
短い説教は英語でした。 『皆様の愛を、小さき人たちに配ってほしい。』 と。
司祭の祝別で祭儀の終了。 思いもかけない『神の恵み』でした。
「日ごとのミサは?」私の質問に「夕方6時から」と答。
巨大ともいえる大きな教会の中に身を置く時、
人もまばら。音もなく。
我が身の小ささは消えて、神の中へ溶け込むようなさわやかさ、軽さを味わいます。
汝の中に己の投入。 離脱の境地。
『十字架』を描き終えて・・・
孫と私。 少し見学。
震えるような感動の・・・ 『聖歌隊席』
1840年~1883年、40年以上の歳月が、製作にかかりました。 19世紀。オゴシック様式。
『聖歌隊席』は、
向かい合う 左席にも右席にも、『中央の塔』と『36の席』 があります。
『向かい合う2つの大聖堂』 を意味します。
『聖歌席』をデザインしたのは建築家・フランソワ・デュルレット(1816~1867)。 23歳でした。
デュルレットは、『聖歌席』以降20世紀初頭まで、大聖堂の装飾のために、生涯、指導的な役割をしました。
無数の装飾は、それぞれ有名な職人によって手がけられました。
特にすばらしいのは、『聖母マリアの生涯』 を表した、『36の浮き彫り』 です。
そして
大聖堂の身廊と翼廊との交差部で 天井を見上げると・・・
最も高く 43mの高さ。 『祝福の塔』
聖母大聖堂交差部天井画 『聖母被昇天』
ドーム状の天井を利用して・・・
『聖母の上昇』 地上から天上へと吸い上げられるような。 私たちも同様に招かれている・・。
コルネリウス・シュヒュット(ルーベンスより20歳若い)作。 1647年。直径580cm。
『聖書の御言葉』 を思い出しました。
『いかに幸いなことでしょう
あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。
あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。』 詩篇84章5&11節
続けて
美しい 『ステンドグラス』
1500年代半ば~1600年代のものが幾つか残されています。
イギリス スペイン フランス 等の王妃が描かれているものもある。
南側袖廊のステンドグラス
美しさと人々の信仰心に感動する私ですが、その内容や由来については知る由もありませんでした。
ここで。 申し訳ありませんが・・・
突然に。 又。
孫娘。 「私・・・この席で、もう一度、大好きな 『マリア様とキリスト』 の絵を描くの!」 と。
座って・・・更に1時間。
今日は、何かが孫の心を大きく動かしました。
2時間以上もの間、自らの希望で、自己忘却の無我の境地で、絵を描き続けた孫。
この教会だからこそ・・・ 静寂な聖霊に満たされた教会だからこそ・・・
孫は、認識せずして、厳粛で美しく完全の中に身を投じることができたのでしょう。
豊かな聖霊の呼びかけが、 孫娘にあったのでしょう!
2時間以上、二枚の絵を、黙々と、描き続けた孫娘です。
絵を描く孫娘を・・・ じ~と見つめる 『キリスト』
今日はここまでです。
大好きな 『マリア様とキリスト』 にお別れをして・・・
「明日は、ルーべンスの絵を見に来るね!」 と孫。
外に出ると・・・
入り口前に 『楽団』
ベルギーは『路上楽団演奏』が多い。
教会の前の公園の角。
『ワッフル屋』
「チョコレートをたっぷりね。 おまけよ。」 お姉さん。
皆さんと一緒に・・・
お腹ぺこぺこの孫。
教会は『神の家』。神の住む所です。 信仰の拠点です。
確かに、今日『大聖堂』を訪れた孫に、神は大きく話しかけました。
人の教育は、『神の計らいに協力すること』である。 実感した今日でした。
皆様! 素敵な夏休みをお過ごしください!
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