4月6日。
満開・・・ 『ボケ』
静かに咲いて、ご主人様(東京旅行の私)の帰宅を待つ。
変わることなく、動じることなく、どっしりと。
勝利の女神・・・ 『西武戦』
『森のHR』 『西武 16-3 日本ハム』
女主人の帰宅を待つ、変わることなく、動じることなく、どっしりと、夫。
一人で観るより二人が楽しいと、夫さん。
スポーツ観戦で、変わらずに流れる熟年夫婦の夜の時間です。
今日は、観戦二本立て。
夜は負けでした、 『松本山雅FC 2-1 ヴィッセル神戸』
そして。
今日は4月6日。四旬節第四土曜日。
今日も、イエスは誰何か? と議論が続きます。
『今日の福音 人々の議論』
『そのとき、イエスの言葉を聞いて、
群衆の中には、
「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、
「この人はメシアだ」と言う者がいたが、
このように言う者もいた。
「メシアはガリラヤから出るだろうか。
メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」
こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。
下役たちは、
「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。
『イエスの集団とファリサイ派の集団』 両者の間には越えられない壁が残る。
ファリサイ派の人々は言った。
「お前たちまでも惑わされたのか。
議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。
だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。
よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」
ニコデモが言った。
「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、
判決を下してはならないことになっているではないか。」』
ヨハネ福音書 7章40-53節
旧約聖書では、
メシアがダビデの子孫として、ダビデの町・ベトレヘムで生まれる。と書いてあります。
イエス様は、
ベトレヘムで生まれましたが、ガリラやの町・ナザレトに住んでいました。
公生活を始められたのも、布教活動も、ガリラヤのいろいろの町で行いました。
ファリサイ派の人たちは、
公生活の活動範囲を見て、イエスは聖書と一致しない、イエスはメシアではない、と考えたのです。
ニコデモは、
以前に、イエスの話を聞いて、感心していました。
それで、『法に定める通り…本人の意見を聞かなければ、裁いてはいけない』と、講義をしました。
私たち・現代の人たちは、
どうしたら、『イエスは神から遣わされた、神の子、メシアである』と信じられるでしょうか?
信じるには、
ニコデモの勧め通りに、
①先入観を捨てること。②イエスの話をよく聞くこと=聖書を読むこと。ですね。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
戻る家があるから旅に出る。旅に出るから家の良さがわかる。両方が楽しいですね。 お元気で!
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