マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

座禅・・・『一寸坐れば 一寸の仏』・・・瞑想  そして 『善とは、正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むことである。』

2020-07-20 16:25:41 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月 20日 。月曜日。晴れたり曇ったり。 


 坐禅・参禅が拓く世界。

             『一寸坐れば  一寸の仏』
 

          『一寸』とは、 線香一本が燃え尽きる時間です。
        『一寸の時間・・・座禅をするだけで、 人は仏になれるのです。』
                  沈黙と静寂の座禅の時間です。


      深い坐禅ができれば、 天地と同根、万物と一体、 という境地にも至るのです。


NHK:『心の時代』

     7月19日放送・・・    『岐阜県美濃加茂市、禅の修行道場、正眼僧堂』
     
             『禅の知恵に学ぶ(3)』            以前にも見ました。再放送。

        私は、日曜日5時からの 『心の時代』 が大好きです。
           毎回、 さまざまの学びをします。

       今回は、正眼僧堂住職『山川宗玄僧侶』の話を聞きました。


              坐禅と共に行われる参禅では、
        雲水たちが師家から与えられる公案(問題)に取り組みます。
 
 
             常識では解けない難問に挑むことは、
       『自己の究明』 であると同時に 『人生の探究』 ともなります。


            座禅により、 を整えることで、
               『今の瞬間に集中する』
             それは 『瞑想』 を招くのです。


『座禅』で・・・
自分の回りに起こる出来事に左右されない、
又、自分の中に起こる雑念にも左右されない、
 そんな心の状態ができていきます。
不安や悩み、悲しみや苦しみから離れて、
 身も心も解放されていくのです。


すがすがしく生きるために・・・
『座禅の精神』を日常に取り入れるのはいかがですか?
  朝と夜に『一寸の時』を確保するのです。
朝30分早く起きて・・・お茶 聖句を読む 散歩 等 静かな時を作る。
夜も30分確保して・・・心を素にして 一日を振り返る。
        

            今回の学びは、 『瞑想』 でした。
       私の場合は、 『毎朝の日程』の『効用』  の再確認になりました。
                          感謝!感謝!


そして。

今日は7月20日。年間第十六月曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしは主を愛する。 
    主は嘆き祈る声を聞き、 わたしに耳を傾けてくださる。
       生涯、わたした主を呼ぼう。』

         詩編 116章1&2節

そして。

『今日の第一朗読 ミカの預言』

    『聞け、主の言われることを。  聞け、山々よ、主の告発を。

      「わが民よ。  わたしはお前に何をしたというのか。
         何をもってお前を疲れさせたのか。
            わたしに答えよ。



        わたしはお前をエジプトの国から導き上り、
              奴隷の家から贖った。
 
         『モーセとイスラエルの民のエジプト脱出:紀元前1250年

             また、モーセとアロンとミリアムを
               お前の前に遣わした。」


     何をもって、 わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。
       焼き尽くす献げ物として、当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
     わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。


  人よ、何がであり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。』

              ミカ書 6章1-4&6-8節  


イスラエルの民のエジプト脱出の529年後。
  紀元前721年。  

          アッシリアの攻撃により、 北イスラエル・サマリア 陥落。


        その時。 北イスラエルの祭司たちは、 南ユダに避難ました。
        ところが。
    アッシリア軍は、更に、 南ユダ・エルサレムに向かっても、 攻撃を開始しようとします。
        
 そんな時・・・

     預言者ミカは、 そのエルサレムに向かって、 社会の不正を敏感に捕らえて、
              『預言』して、 叫ぶのです。

    神の民は、 を重ねながら、 悔い改めようとしない。
    民が重ねる『罪』が、 『災い』を招くのである。
    支配階級の暴虐 と 司祭たちの堕落のために、
         エルサレムの神殿も、 北サマリア同様に、 破壊される日が来る。
    呼びかけを聞こうとしない民に、神は 『嘆き』 を訴えておられる。


         『わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。
         何をもってお前を疲れさせたのか。 わたしに答えよ。』
         『私が望むことは・・・
     正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。』



      これを契機に・・・ 南ユダのヒゼキア王は、『宗教改革』 に乗り出すのです。



『今日の祈願』

  『聖なる父よ、 あなたをいつも敬い、 愛する心をお与えください。
   あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で、今までよりは『ゆっくりする時間』が持ててたのは、良かったのでしょうか。
今週が穏やかな日々でありますように。 お元気で!

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