4月12日。日曜日。主日。
昨日の真夜中。今朝の夜明け。
『イエスは死者の中から復活されました。』
『かねてから言われていたとおり、復活なさいました。』
神は、イエスを復活させて、主とし、キリストとされました。
今日こそ神が造られた日。
今日こそ主の御業の日。
今日を喜び祝い、喜び躍ろう。
おめでとう!おめでとう!
そして。
今日は。 『復活の主日・日中のミサ』
『今日の集会祈願』
『全能の神よ、
あなたは、御ひとり子によって死を打ち砕き、
『永遠の命の門』 を開いてくださいました。
主イエスの復活を記念し、
この神秘にあずかるわたしたちを、
あなたの霊によって新たにし、
『永遠の命』 に復活させてください。』
イエス様は、復活なさって後・・・
ご自分を、大事な人々に、順に、
『顕現』 なさいます。
まずは。 3人の女性(母マリアとその妹とマリア) に、現れました。
3人は、天使の言いつけとおりに、弟子たちに会いに行く途中でした。
次に。 使徒の長である使徒ペトロに、現れました。
同じ頃。 イエスの十字架の最期を見届けた後、エマオに帰る2人の弟子たち
に、現れました。
二人の 『エマオへの道』 を同行なさいました。
復活なさったイエスは、
人の目には見えなくても、共同体の中に共にいて、
いつも、どこでも、力強く、働いておられるのです。
『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。』
マタイ福音書 14-20
・・・と。
イエスは、生前に話されたことを実現なさるのです。
そこで。
イエス様の復活後。
数時間がたった後の出来事です。
『今日の福音 エマオへの道でのイエス様の顕現』
『この日、すなわち週の初めの日、
二人の弟子が、
エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
この一切の出来事について話し合っていた。
話し合い論じ合っていると、
イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
『エマオへの道』 ロバート・ズント作品
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
イエスは、
「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」 と言われた。
二人は暗い顔をして立ち止まった。
その一人のクレオパという人が答えた。
「エルサレムに滞在していながら、
この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
イエスが、 「どんなことですか」 と言われると、
二人は言った。
「ナザレのイエスのことです。
この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、
死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。
しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。
婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。
そして、天使たちが現れ、
『イエスは生きておられる』
と告げたと言うのです。
仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、
婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
そこで、イエスは言われた。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く、
預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、
御自分について書かれていることを説明された。
一行は目指す村に近づいたが、
イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
二人が、
「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」
と言って、無理に引き止めたので、
イエスは共に泊まるため家に入られた。
一緒に食事の席に着いたとき、
『エマオのキリスト』 レンブラント作品
イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、
パンを裂いてお渡しになった。
すると、 二人の目が開け、イエスだと分かったが、
その姿は見えなくなった。
二人は、
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか」 と語り合った。
そして、時を移さず出発して、
エルサレムに戻ってみると、
十一人とその仲間が集まって、
本当に主は復活して、
シモンに現れたと言っていた。
生前・・・『私を本当に愛しているか?』 と、3度、シモン・ペトロに尋ねたイエス。
二人も、
道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。』
ルカ福音書 24章13-35節
二人の弟子は、エルサレムから、自分の家に帰っていく途中でした。
二人は、イエスに希望をかけていました。
ところが、イエスの死を見て、もう希望はないと思ったのでしょうか?
イエスの死の後に、エルサレムを離れたのは、
この二人だけだったのでしょうか?
イエス様は、二人の信仰を、揺るぎない確かな信仰にするために、
ご一緒に歩いたのではないでしょうか?
イエス様は、旧約から始まって、メシアがなぜ苦しみがあるのか
等々、説明なさいました。
その後。 3人は、『食事』 を一緒にしました。
その時、『イエスだ!』 と 『信仰』 が確信できたのです。
『エマオの道』の出来事は、
今の時代の 『ミサ』 と同じではないでしょうか?
ミサで、旧約から始まって 『御言葉』 を聞き、
『イエスの体』 である 『パン』を頂く。
キリスト者は、聖体拝領において、イエスと一体になるのです。
イエスを確信するのです。
二人が、 ”イエス様だ!” と気づいたとき、 イエス様は消えました。
信じる者にとって、イエス様が見える必要はなく、
イエス様は共にいてくださることを、信じることができるのです。
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。』
ヘブライ人への手紙 11章1節
エマオに帰る二人は、希望をなくし、絶望していたのかもしれません。
私たちが、困っているとき、希望をなくしている時にこそ、
キリスト様は必ず一緒にいてくださるのです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『キリストが、わたしの過越の子羊としてはほふられた。
だから純粋で真実の過越祭を祝おうではありませんか。』 アレルヤ、アレルヤ。
コリントの信徒への手紙Ⅰ 5章7&8節
つまりは。
こういうことです。
強い信仰者となった使徒ペトロが語ります。
『今日の第一朗読 使徒ペトロの宣教』
『その日、ペトロは口を開きこう言った。
「あなたがたはこのことをご存じでしょう。
ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。
つまり、ナザレのイエスのことです。
神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。
イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、
悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、
それは、神が御一緒だったからです。
わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、
特にエルサレムでなさったことすべての証人です。
人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、
神はこのイエスを三日目に復活させ、
人々の前に現してくださいました。
『エマオの晩餐』
しかし、それは民全体に対してではなく、
前もって神に選ばれた証人、
つまり、イエスが死者の中から復活した後、
御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。
そしてイエスは、
御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、
民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。
また預言者も皆、イエスについて、
この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる。
と証ししています。」』
使徒言行録 10章34&37-43節
『神の救いの計画』 は、
イエスの十字架の奉献により、実現、成就しました。
そして、
『福音宣教』 が、
イエスの意志を継いで、聖霊の導きにより、
使徒たちによって、実現し、広まっていくのです。
今。
私たちは、 聖霊にの導きにより、『新しい時代』 に入ったのです。
イエスに倣って、 イエスの定めた『新しい掟』
『隣人愛』を果たしていくのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ撲滅 『キャンペーン』
『STAY HOME It's could save lives。』
『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。』
一致団結! 頑張りましょう! お元気で!
昨日の真夜中。今朝の夜明け。
『イエスは死者の中から復活されました。』
『かねてから言われていたとおり、復活なさいました。』
神は、イエスを復活させて、主とし、キリストとされました。
今日こそ神が造られた日。
今日こそ主の御業の日。
今日を喜び祝い、喜び躍ろう。
おめでとう!おめでとう!
そして。
今日は。 『復活の主日・日中のミサ』
『今日の集会祈願』
『全能の神よ、
あなたは、御ひとり子によって死を打ち砕き、
『永遠の命の門』 を開いてくださいました。
主イエスの復活を記念し、
この神秘にあずかるわたしたちを、
あなたの霊によって新たにし、
『永遠の命』 に復活させてください。』
イエス様は、復活なさって後・・・
ご自分を、大事な人々に、順に、
『顕現』 なさいます。
まずは。 3人の女性(母マリアとその妹とマリア) に、現れました。
3人は、天使の言いつけとおりに、弟子たちに会いに行く途中でした。
次に。 使徒の長である使徒ペトロに、現れました。
同じ頃。 イエスの十字架の最期を見届けた後、エマオに帰る2人の弟子たち
に、現れました。
二人の 『エマオへの道』 を同行なさいました。
復活なさったイエスは、
人の目には見えなくても、共同体の中に共にいて、
いつも、どこでも、力強く、働いておられるのです。
『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。』
マタイ福音書 14-20
・・・と。
イエスは、生前に話されたことを実現なさるのです。
そこで。
イエス様の復活後。
数時間がたった後の出来事です。
『今日の福音 エマオへの道でのイエス様の顕現』
『この日、すなわち週の初めの日、
二人の弟子が、
エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
この一切の出来事について話し合っていた。
話し合い論じ合っていると、
イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
『エマオへの道』 ロバート・ズント作品
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
イエスは、
「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」 と言われた。
二人は暗い顔をして立ち止まった。
その一人のクレオパという人が答えた。
「エルサレムに滞在していながら、
この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
イエスが、 「どんなことですか」 と言われると、
二人は言った。
「ナザレのイエスのことです。
この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、
死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。
しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。
婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。
そして、天使たちが現れ、
『イエスは生きておられる』
と告げたと言うのです。
仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、
婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
そこで、イエスは言われた。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く、
預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、
御自分について書かれていることを説明された。
一行は目指す村に近づいたが、
イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
二人が、
「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」
と言って、無理に引き止めたので、
イエスは共に泊まるため家に入られた。
一緒に食事の席に着いたとき、
『エマオのキリスト』 レンブラント作品
イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、
パンを裂いてお渡しになった。
すると、 二人の目が開け、イエスだと分かったが、
その姿は見えなくなった。
二人は、
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか」 と語り合った。
そして、時を移さず出発して、
エルサレムに戻ってみると、
十一人とその仲間が集まって、
本当に主は復活して、
シモンに現れたと言っていた。
生前・・・『私を本当に愛しているか?』 と、3度、シモン・ペトロに尋ねたイエス。
二人も、
道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。』
ルカ福音書 24章13-35節
二人の弟子は、エルサレムから、自分の家に帰っていく途中でした。
二人は、イエスに希望をかけていました。
ところが、イエスの死を見て、もう希望はないと思ったのでしょうか?
イエスの死の後に、エルサレムを離れたのは、
この二人だけだったのでしょうか?
イエス様は、二人の信仰を、揺るぎない確かな信仰にするために、
ご一緒に歩いたのではないでしょうか?
イエス様は、旧約から始まって、メシアがなぜ苦しみがあるのか
等々、説明なさいました。
その後。 3人は、『食事』 を一緒にしました。
その時、『イエスだ!』 と 『信仰』 が確信できたのです。
『エマオの道』の出来事は、
今の時代の 『ミサ』 と同じではないでしょうか?
ミサで、旧約から始まって 『御言葉』 を聞き、
『イエスの体』 である 『パン』を頂く。
キリスト者は、聖体拝領において、イエスと一体になるのです。
イエスを確信するのです。
二人が、 ”イエス様だ!” と気づいたとき、 イエス様は消えました。
信じる者にとって、イエス様が見える必要はなく、
イエス様は共にいてくださることを、信じることができるのです。
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。』
ヘブライ人への手紙 11章1節
エマオに帰る二人は、希望をなくし、絶望していたのかもしれません。
私たちが、困っているとき、希望をなくしている時にこそ、
キリスト様は必ず一緒にいてくださるのです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『キリストが、わたしの過越の子羊としてはほふられた。
だから純粋で真実の過越祭を祝おうではありませんか。』 アレルヤ、アレルヤ。
コリントの信徒への手紙Ⅰ 5章7&8節
つまりは。
こういうことです。
強い信仰者となった使徒ペトロが語ります。
『今日の第一朗読 使徒ペトロの宣教』
『その日、ペトロは口を開きこう言った。
「あなたがたはこのことをご存じでしょう。
ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。
つまり、ナザレのイエスのことです。
神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。
イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、
悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、
それは、神が御一緒だったからです。
わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、
特にエルサレムでなさったことすべての証人です。
人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、
神はこのイエスを三日目に復活させ、
人々の前に現してくださいました。
『エマオの晩餐』
しかし、それは民全体に対してではなく、
前もって神に選ばれた証人、
つまり、イエスが死者の中から復活した後、
御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。
そしてイエスは、
御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、
民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。
また預言者も皆、イエスについて、
この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる。
と証ししています。」』
使徒言行録 10章34&37-43節
『神の救いの計画』 は、
イエスの十字架の奉献により、実現、成就しました。
そして、
『福音宣教』 が、
イエスの意志を継いで、聖霊の導きにより、
使徒たちによって、実現し、広まっていくのです。
今。
私たちは、 聖霊にの導きにより、『新しい時代』 に入ったのです。
イエスに倣って、 イエスの定めた『新しい掟』
『隣人愛』を果たしていくのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ撲滅 『キャンペーン』
『STAY HOME It's could save lives。』
『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。』
一致団結! 頑張りましょう! お元気で!
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