10月11日。火曜日。晴れ。
朝4時。
漆黒の空・・・ 『満月』
神々しく、畏れ多いほどに美しい。
何かに誘われるように・・・
外に出てみました。
そこには・・・
『漆黒の空に満月』
欠けることなく、真ん丸に、完成された月。
穏やかに、すべてを神に任せて、満ち足りた月。
今日は友人の大事な手術日です。
不安な心の友のために、
完全な姿の満月に向かって祈りました。
『恵み豊かな神よ、
私たちの生涯はあなたの手によって導かれています。
御子イエスは私たちの苦しみを負い、悲しみを担ってくださいました。
病の床にある兄弟のために祈ります。
キリストとともに十字架を負う友人を、
キリストの力によって強めてください。
あなたの恵みによって健康を回復し、
心からの感謝をささげることが出来ますように。』
カトリック『祈りの友』より
そして。
今日は10月11日。年間第二十八火曜日。
『今日の入祭唱』
『主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。
主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。』
詩編 27章1節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『神のことばは生きており、力を発揮し、
心の思いや考えを見分けることが出来る。』
ヘブライ人への手紙 4章12節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは話しておられたが、
ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、
その家に入って食事の席に着かれた。
ところがその人は、
イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、
不審に思った。
主は言われた。
「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、
杯や皿の外側はきれいにするが、
自分の内側は強欲と悪意に満ちている。
愚かな者たち、
外側を造られた神は、
内側もお造りになったではないか。
ただ、器の中にある物を人に施せ。
そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。」』
ルカによる福音書 11章37-41節
今日のイエス様は、
招待されたファリサイ派の人の食事の席で、
ファリサイ派の人々の不信仰を非難します。
イエス様は、
律法に定められたとおりに、食事の前に手を洗わなかったので、
ファリサイ派の人から、非難されました。
その時に、
ファリサイ派の方たちに話されました。
※律法の中心は、細かい規則を忠実に守ることではない。
※律法の一番大切なことは、律法を守るときの『心』なのである。
『規則』の厳守のみでは、『心』がおろそかになる。
※人は、人の前で恰好をつけることを大切にしがちである。
外側がきれいでも、内側に『愛』がなければ、
偽善に終わる可能性がある。
イエスの時代の人々は、
『人々への施し』は、『心をきれいにする』と考えていました。
『施し』は『自分を与えること』です。
『隣人愛』の見える形なのです。
私たちも、
外目をきれいにするだけでなく、
心の中もきれいにしたいものです。
『隣人愛』を実行しながら、神から清めていただきましょう。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
満月は、何も欠けることがないので、神聖な姿ですね。
今日も、私たちも欠けることがないように、穏やかな日でありますように。 お元気で!
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