6月10日。金曜日。晴れ。
今日は、
金曜日
聖書100週間・聖書通読会です。
『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
今日は、
先週の、ほぼ一年ぶりの、『対面クラス』の後、
又 『オンラインクラス』です。
『対面クラス』の日常が、コロナ禍によって破壊されたはずが、
コロナ禍も約三年間が過ぎると、
『オンラインクラス』が日常になってきました。
『日常性』に大きな変化が起こる。
今までの『日常』が壊れる。
新しい『日常』ができていく。
時代は、普遍ではなく、成長していくのです。
コロナ禍や戦争などによって、簡単に『日常』に変化が生まれます。
それでも、
今日も仲間と、『オンラインクラス』をありがたく続けながら、
新しい『日常』の姿を模索するのです。 ありがたいことです。
今日の通読範囲は、『使徒言行録 1章~8章』です。
使徒言行録は、
※イエス様の御昇天後に、生まれたばかりの『教会』に対する
『聖霊』の指導と加護を述べます。
使徒言行録が『聖霊の福音書』と称されるゆえんです。
※ルカによる福音書と同じ著者・ルカによって書かれました。
※西暦80~90頃に書かれました。
その頃の『教会』は、ローマまで広まっていました。
※ルカによる福音書に続く内容で、
キリスト者の共同体ができ始めたころのいくつかの出来事を聖書全体と関連づけて、
『神の救いの計画』が聖霊の導きによって、徐々に実現し、広まり、
聖霊による『新しい時代』に入ったことを述べます。
時代は、普遍でなく、成長していくのです。
『聖霊降臨』
エル・グレコ作品
『一同が一つになって集まっていると、
『一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いてくる来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。
すると、
一同は聖霊に満たされて、霊が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話し出した。』
使徒言行録 2章1-2節
聖霊は、
共同体一人一人に働きかけ、
力を与え、共同体を一致させ、成長させます。
聖霊の暴風のような強い力に動かされて、
弟子たちと共同体は、今迄の狭い枠を打ち壊し、
開かれた新しい『神の国の共同体』に、成長していくのです。
私たちも、
※『聖霊の降臨』を願い、
怠ることなく、目を覚まして、祈り続けたいものです。
当時の信徒たちは、
イエスの教えに従って表裏のない一つの心で付き合い、
財産までも共有して助け合い、神を完全に信頼して生活をしました。
※当時の信徒たちの『心』を『模範』として、
聖霊に力をいただきながら、生活をしていきたいものです。
今日も、
仲間と共に、聖霊に満たされて、
全聖書を通して語られる『神の言葉』を、
正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
感謝!感謝!
そして。
今日は6月10日。年間第十金曜日。
『今日の入祭唱』
『神よ、神にわずかに劣るものとして人を造り、
なお、栄光と威光を冠としていだかせ、
神によって造られたものをすべて治めるように、
その足元に置かれました。』
詩編 8章6-7節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『あなたがたは命の言葉をしっかり保ち、
世にあって星のように輝きなさい。』
フィリッピの信徒への手紙 2章16&15節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「あなたがたも聞いているとおり、
『姦淫するな』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、
既に心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるなら、
えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、
全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、
切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、
全身が地獄に落ちない方がましである。
『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、
その女に姦通の罪を犯させることになる。
離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」』
マタイによる福音書 5章27ー32節
今日のイエス様は、
『清い目で女性を見なさい。』 又 『夫婦のきずなは神聖である。』
と、弟子たちに教えます。
旧約時代。
モーゼは、エジプトから救われた民を導くために、
生活のプログラムとして『十戒』を与えました。
皆が良心に従って、『愛神愛隣』の生活、をしなさいと勧めました。
新約時代。
イエス様は、モーセの『十戒』を廃止するためでなく、
『十戒』を完成するために来ました
イエス様は、『新しい生活』のプログラムを与えました。
民に、外面的でなく、内面的なことを重視する、『高い理想』を求めました。
イエス様は、『山上の説教』マタイによる福音書5-7章 を与えました。
※私たちの信仰生活の価値は、
行いだけでなく、その人の心によって計るのです。
※あるもの、目や手や、信仰生活の邪魔になるなら、
それが大切なものであっても、
惜しまないで捨てる覚悟が求められるのです。
※私たち生活には誘惑があります。
惜しまないで捨てる気持ちにならないのです。
※イエスの『高い理想』に近づくことに価値があるのです。
それは『救い』に近づく道なのです。
私たちも、
聖霊の導きを信じて、『高い理想』に従って生活したいものです。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『自粛の生活』が『日常』となった日々でも、
楽しく有意義な週末でありますように。 お元気で!
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