一日中・・・考え続けた。 瞑想したり。
考えて・・。 答えを求めて・・。
一日中・・・うなり続けた。 ”う~ん!” ”う~ん!” ”どういうこと?”
夫が用意してくれた・・・ 『花金』
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「奥様! 一休みしたらいかがですか?」 と。
イタリア・キャンティー・DOCG & 夫作成ピザ
サンジョヴェーゼ100%が、酔わします。疲れた頭を癒します。
おいしい! 
幸せ!
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いったい何を考えていたの?
ですよね!
神が人に与えた
『最高のプレゼント』=『自由』 について、考えたのです。
今日は2月13日。年間第四金曜日。
3日間、『創世記』 の 『御言葉』 が続きました。
一昨日の 『旧約聖書・創世記』:
『主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹きいれ、生きる者となさった。
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え出でさせ、
また園の中央には、
命と木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、
善悪の木からは、決して食べてはならない。 食べると必ず死んでしまう。」』
創世記 2章7~17節
続いて。
昨日の 『旧約聖書・創世記』:
『人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。』
創世記 2章22&24節
そして。
今日の 『旧約聖書・創世記』:
『蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。
それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、
その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた。
女は実を取って食べ、 一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。』
創世記 3章4~6節
以上。3日間の『創世記』を読んで・・・
私の感想 というか 私の疑問がいくつか生まれました。
① 『神は御自分にかたどって人を創造された。』 創世記1章27節
では・・・『神の似姿』 とは何か?
罪のない完全。 自由(自分の意思で『真実』を選ぶ自由)。 永遠の命。 の存在ですね。
② 『善悪の木からは、決して食べてはならない。 食べると必ず死んでしまう。」』 同 2章7~17節
では・・・『死』 とは何か?
罪(神の禁止を自分の意思で破ること) が支払うべき代価。 神と人間の分断状態です。
③ 『蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。」』 同 3章4節
では・・・『蛇』 とは何か?
人の罪(神を差し置いて、自らが善悪の最終的な判断者になること)への傾き。 自己弁護。 自己責任転嫁。の象徴でしょうか!
④ 『女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。』 同 3章6節
では・・・『善悪の木の実を食べる』 とは何か?
『死』を身にまとうこと。 不完全。 『限られた命』を生きる者となる。 神と分断状態に入ること。
以上は、『今日の旧約聖書の言葉』」三日分より、私が考えた
『最高のプレゼント』=『自由』 についての一部です。
皆様は、いかがお考えになりますか?
人は、神から与えられた自由を使って・・・『死』 を選びました。
第一回目のチャレンジ。 『自由』 の行使の結果でした。
そして。
今日は『聖書通読会・聖書100週間』です。
通読範囲は、 『ヨハネ福音書』 1~6章です。
今日は、次なる、
二回目のチャレンジ!
『最高のプレゼント』=『自由』 の行使についてです。
まずは復習です。
人間は、最初、創世記のエデンの園で、「永遠の命」 を手に入れていました。
しかし、
自由な自分の意思で、 「善悪を知る木」 から取って食べ、 「永遠の命」 を失いました。
『主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある。」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出した。』 創世記 3章22&23節
そして、楽園追放の後、
人間は、「限られた命」 の中で・・・
再び、失った 「永遠の命」 を手に入れようとしてきました。
神の『律法』 に忠実に・・・と。 努力しました。
しかし、それは不可能なことでした。
「限られた命」 と 「永遠の命」 は、次元の違うもので、手に入れるのは不可能でした。
そんな時・・・。
助っ人・イエスキリストの登場です!
イエスが、神から派遣され、人々を救うために、この世に誕生しました。
神・イエスは、十字架上での死と復活の後に、
『神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。』 (ヨハネ福音書6章29節) と。
人に、以下のように、 挑戦を挑みます。、
以下。
① 『神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである』。 ヨハネ福音書 6章33節
② 『イエスは彼らに言われた。「わたしが命のパンである。」』 同 6章35節
③ 『 「わたしは天から降ってきた生きたパンである。
このパンを食べるならは、人は永遠に生きる。」 』 同 6章51節
④ 『「わたしの肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」』
同 6章54節
人間は、
創世記において、「命の木」 ではなく 「善悪を知る木」 を選び、 自らに「死」をもたらした。
が・・・
イエスは、
自ら、『十字架上の死』 から 『復活する』 ことによって、
人間が、罪の結果として、神から科せられた 「死」 をうち破り、
「永遠の命」 が、再び、与えられる 『道』 を開いたのです。
私を信じるか? 否か? と。
イエスは
私たちに、もう一度、
「命の木」を選ぶのか・・・? 「善悪を知る木」を選ぶのか・・・?
私達・人間に、問いを突きつけます。
自由意志による、 『選択の機会』 を、再び、与えたのです。
二回目の、チャレンジの機会です。
『神の言葉』 を信じるのか? 信じないのか? と。
神が人に与えた
『最高のプレゼント』=『自由』 を どちらの選択で、行使するのか?
二回目のチャレンジ! どうしましょうか?
以上。 聖書の語る 『神のアルファとオメガ。初めてと終わり。』
今日の発表の一部でした。
お粗末様でございました。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
明日は土曜日。 頭も心もリラックスで、良い週末をお過ごしください!