どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

なじる教師たち

2013-01-11 09:19:31 | かたまった

そんな教師ばかりではないことも知ってはいるのだが・・・・

アメリカ生活7年間を経験して、感じること。(つまり、それ以前はあまり違和感はなかった)

日本の先生たちの感情的ななじり。「なじり」は指導ではない。ましてや、教育ではない。

生徒を人格的に対等だと認めていない姿勢が、現れていると感じる。指導と飼育を勘違いしているのではないか。

テニスで市営のコートを利用していると、中学や高校の部活と隣り合わせになることもある。

先生たちは、休日を返上したり、時間を生徒のために使っているのだろう。しかしながら、「俺が来てやってるのはなんのためだ」「いったいおまえはやる気があるのか」などど、まるであれではやくざのような、怒鳴り方で驚くばかりである。時間を生徒のために使えば、何を言ってもいいということには、ならない。

ましてや、体罰などはもっての他だ。簡単なことだ。自分が平手打ちをされたらやる気になるのか、自分が怒鳴られたらやる気が出るのかを考えてみればいい。答えは、否、ノーだ。

愛のむちの論理は、鞭をふる方の論理であって、ふられる方の論理ではない。

冷静に、静かに話してこそ、相手は聞き耳を持つ。

体罰や、罵声は、相手に対し、怒りや恐怖を植えつけるだけで、子供たちが内容を受け止められるとは思えない。

アメリカの先生は、怒鳴らない。生徒を対等な人間として扱う。

もちろん、家庭でも、それは必要だ。親の意見を押しつける前に、子供の意見を聞き、人間としての価値は対等であるという考えを持たなければならない。

家庭で親が子供に暴力をふるい、学校で先生が子供に暴力をふるう。やりこめられた子供たちは、もっと弱い子供たちをいじめ・・・

一体どうなっていくんだ。と・・・思う。

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ああ、交通費

2012-11-27 09:16:54 | かたまった

昨今の労働事情はまことにシビアなものがある。

最低賃金で生活するより、生活保護をもらった方が金額が大きいという話もある。

私の年代は、「仕事はありません」といわれる。「○○さん、事務の仕事はないよ。若い人が仕事がないんだから・・・・・」

つまり、若い人がないのだから、あなたがないのは当然として受け止めてください ということだ。

これは、ハローワークでの会話。

そんな私は、仕事をゲットした。某、公共の施設での3ヵ月間のアルバイトを経て(これは訳ありでね~)、しっかり今の仕事をゲットした。

海外での生活が活かせる、なかなか素敵な職場だ。やった~!!あるのよ!この歳でもさ とハローワークの方を見て言った。

そして、交通費は実費支給です が、我が職場の、加えて素敵なところ。

私は、通勤時間、きょろきょろと周りを見まわしながら、楽しく通っている。ところが、初めての給与明細を見て、愕然とする。

実費支給のはずが、まったくもって足りないのだ。あまり文句は言いたくないが、額があまりに大きいので、質問として聞いてみた。

どういった計算で、こうなるのでしょうか? 帰ってきた返事がすごい。定期6ヵ月分を6で除しました。

定期6ヵ月分の値段は14万4千円也! え?それを買えっていうの?

そんな値段は払えないから、私は1ヵ月分の定期を買っている。2万8千円になる。

差額はなんと、4千円也。

それでも、出ないよりはいいと考えた方がいいのだろうか・・・・。厳しいよ、4千円の差額はないでしょう。

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仙台空港に行った

2011-05-16 07:48:31 | かたまった

おととい、昨日と仙台空港に行った。

送迎だから、二日間になったというわけだ。震災から二か月がたち、私たちの生活はおおむねもとに戻った。

重い水汲みやらの後遺症で、接骨院に通うことになったりしたが、中断されていた学校も再開したし、テニスも始まった。

仙台空港は仙台市から南、岩沼市というところにあるのだが・・信号がまだ復旧していなかった。多摩警察署のパトカーがおいていあり、警察官の方が、信号のポイントすべてに立って、交通整理をしていた。

空港近辺の見慣れた食堂は、軒並休業。そのままの姿で放置されているようでもあった。ところどころに、壊れた車の山ができている。

改めて、眺めてみて・・・ここは、避難場所がない。眞っ平らな平地が続いている。それも海のそばに・・。唯一逃げられるところがあるとしたら、仙台空港のターミナルビルだろう。他に高い建物はない。

食堂でほっと食事をしていた人もあったかもしれない。そばを茹でていた人もいたはずだ。その人たちは無事に逃げられたのだろうか・・・。海からの距離を考えると相当に早い時期に、ありえない英断をしない限り、助かれなかったのではないか。

二か月たって、今、改めて震災のむごさを感じた。

 

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怒った顔をしていた・・・らしい

2010-07-24 03:26:34 | かたまった
熱中症の後遺症がちょっとあった。これは、なかなか大変なことだったのだと、後から後から思い知れされた。

昨日は授業に復帰。担当授業を終えてスタッフルームに帰るなり、事務の女性から、『まだ、調子が悪いんですね。いつもニコニコの先生なのに、今日は顔色が悪いですよ』と、言われた。実は彼女は、日本語の堪能な韓国人。堪能とはいっても、母語ではないので、表現が非常に直接的、つまりとても事実に基づいた、正直な人ということになる。彼女の言葉からすると、いつもにこにこしているのに、今日は険しい顔ですね ということになる。
そっか・・・・
思いあたる節がある。

漢字の授業だった。生徒たちが聞き役だけに回ると、どうしても授業が硬直したようになって、生徒たちの眠気を誘うようなので、授業形態をがらりと変えて、新しい取り組みを始めて二回目の授業。発表する生徒を見るために、私は通常の位置から外れて、生徒の隣に座っていた。すると、何気なくある生徒の飲み物が見えた。アルミの缶にふたができるようになった、見慣れないボトルだった。あれ?ちょっとビールの缶に似た、絵柄だなあ・・・。でも、そんなジュースがあるのだろう。。。くらいに思った。と、そのとき、生徒と目が合った。あ っという表情をその生徒がした。その表情をみたとき、私はその新しいボトルがビールのものであると確信した。

ちょっと裏切られたような、怒りとも悲しさともつかない感情があった。授業終了後、その生徒を残した。そして、つとめて冷静にではなく、ケッコウ感情を出して、怒りを伝えた。

私ももちろんそうだし、留学生もそうだが、やはり目的をはっきり持っていないと、簡単に安きに流れていく。努力を続けるということは、簡単ではない。ひとりひとりの生徒たちがどんな思いで、日本へきたのかを、どこかで確認する作業を、一緒にしていくべきなのだろう と考えていた。

子供ではない年齢、でも決して大人ではない。また、留学生は精神的にはとても、強いところを持っていて、時に驚くほどもろい。

それにしても、険しい顔は良くないなあと、反省。感情を出して怒ったあとは、にこにことしていないと・・もう、そろそろ熱中症の後遺症もなくなる頃だし。。。と考えている。
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先の見通しがあってこそ、今がある・・・。

2010-06-08 08:07:30 | かたまった
え? と絶句して・・・そして、納得したことがある。

医者との会話だった。
自分の話ではなかった。大切な人だったので、様態を聞きに出かけた。そういう意味では、そういう行動を私がとっても違和感をもたれない人
のことではある。

そろそろ検査をしてくださいませんか? との私の問いに、先生はふっと息を整えるようにして・・・
検査の必要はありません といわれた。
検査は、治療する目的があるから、確認することがあるから行います。治療法がなく、ただ進行をとめることしか方法がない、この病気に検査は必要ないでしょう? また症状が悪くなっていく ことだけを確認する意味がありますか?

検査もしてもらえない・・・・そのことに、とらわれてショックを受けている私だったが、後半に先生がおっしゃったことは理解できた。
静かにお礼を言い、その場を後にした。

今朝、ふっと以前のそんなやりとりを思い出した。
なぜだろう・・・・。
先に見通しのないこと・・・どうにもならないこと・・・そういうことがあるなら、それに対してする準備って? そんなことはありえない。

先に目的があるからこそ、今の準備があり、段取りがあり、努力もできる。

するならば、やはりゴールとなる目的は、それこそがモチベーションを持ち得る、ものでなくてはならない。
なあんだか、朝から暗い、どんよりとした一日を予想させる。

こんなことを考えていること、それ自体が全く私らしくない。
お天道様と肩をくみながら、歩きたい  そんな、姿勢でいたい。あくまでも。
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空気が読めない人

2010-05-26 04:29:27 | かたまった
空気が読めない ということばは、いつの間にか日本語として定着してしまった。

空気が読めるはずはないのだから、(物理的には)つまり、周りの気持ちを察することができない ということだろうか。
周りを意識せず、長いものにまかれない、個性的な人?
一般的にはいい意味で使われているとは思えないが・・・。

正直に告白するなら、私は実は自分を気配りの人だと思っている。あれこれと、特に人の気持ちなどの機微にはとりわけ、敏感に反応すると思っている。しかし、わが息子が言うには、お母さんはKY、つまり空気が読めない人だという。

なあに言ってんだ~くらいに思っていた。

ところが、どっこい、どうもそうだったみたいだ。
そうだったみたいとうのはつまり、人から以前こうでしたね?と、指摘されたというわけ。

人は実は渦中にあっては、何も言ってはくれない。ひとつの境地を得て、スタンスを変えたとき、考えを変えたとき、初めて、そうですか、よかったです。実はね・・・・・以前のことですが・・・となる。
とするなら、このスタンスチェンジがない限りは、だれも何もいってくれないから、自分が空気を感じていないということに気付きはしないということになる。

果実がころりと熟れた頃合いを見計らうように、人にも頃合いがあるような気がする。
果実の頃合いが周りの環境に左右されるように、私も周りの人たちから、頃合いを与えられたような気がしている。

やはり、出会いこそ 人生の醍醐味なのかもしれない。
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積読本が崩れ落ちそう

2010-02-23 05:24:46 | かたまった

そうでなくても、狭いユーティリティーの作業台 いえいえ私の机の上の片側においておいた、『読みたい本』が、崩れ落ちそうな状態になってしまった。

いわゆる積読であってとんでもない状態だ。USにいるときは、半身浴をしながら、どんどん読書を進め、一時間の貴重さを思ったものだったが・・・・・。

日本のお風呂は本当に気持ちがいいし、第一バスタイムも夜と決まっているから、半身浴もついつい、そこそこにはしょって、読書ではない他のことをしてしまうし、時間にも追われて中途半端になってしまう。加えて、便利になったネットで、中古の本をドシドシ買ってしまう。理性が効かないときなど、毎日本が届くという状態。

穴の空いたバケツに水を注ぐというより、コンクリートでがっちり固まった頭に、集中豪雨が落ちてきて。その勢いもあって、溜まるどころか、水がどんどん流れ出している状態だ。なんとかしなくては・・・・。

図書館からも本を借りているし、義姉のお友達からも本を借りている。

新聞の書評を読んで面白そうなものを、まずネットを使って図書館にあるかどうかを検索。あるんだ!!結構これがね。古い本はある。新しい本は、順番待ち。それでも、順番はめぐってくるから、すごいよ。300人待ちをしたこともある。ただ、借りにいかれなくて、やっと回ってきた順番をふいにしたのだけれど・・・。

つまりこうやって、色々なルートから、縁あって私の机の上に積読になっている本たち。そういう本って、きちんと並べられてはおらず、雑然と置かれている。つまり、落ち着く場所にいきつく前の状態だからだ。それを見るだけでも、なにやら心がチクリと痛くなる。

さあ、やりますよ。今日から、どんどん読んでいく。ドン読だ。春までには・・・なんとかしたい。

そうだ、読んだ本の感想をブログに書けばいい。なんともいえないプレッシャーがかかるじゃない。一週間に二冊(少ないけど・・)は、なんとかしたい。

念のために・・・私は本は斜めには読まない。あくまでも、縦に読む。友達から、斜めにどんどん読んでいくのよ・・・と言われたが、私はそういう読書はしない。斜めに読むくらいなら、読まない。従って、速度は遅いが・・・オリンピックじゃあるまいし、本を読むスピードを競うつもりは私にはないから・・・。まあ・・まあ・・読書は自分流ってことで・・・ね。

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接骨院体験 ②

2010-01-28 05:25:07 | かたまった

うそのように腕の痛みが取れた・・・接骨院。

その後、色々な変化が体に現れ始めた。左手の上腕部の痛みは、左手全体の痺れに変わった。腰の痛みは軽減したが、肩甲骨に違和感が出始める。

そこで、また接骨院に行って見た。前回は、うつぶせになることが出来ないくらい、腰が痛かったが、今回はうつぶせも大丈夫だった。腰、足も含めて全体を見てもらった。

すると・・・・先生は、面白いように私の生活を当てていく。

足、それもふくらはぎ近辺のマッサージが痛くて痛くて・・・ここは、胃なんですよ。胃ですか? 問題がありますか? そうですね。疲れてますね。  食べすぎですか? そうですね。痛みになって現れる前の状態ですよ。そうですか・・・確かに・・最近食べすぎて2キロ太りました。

体がストレスなどの問題を抱えているとき、体は自らリラックスしようとします。食べると、人間はリラックスします。だから、食欲がでることになります。食べてリラックスしようとするんです。胃の丈夫な人は、食べて太り、胃が弱い人は、胃が食べ物を受け付けなくなります。

へ~そうなんですか。確かに・・・私が一番間食するのは、パソコンで教材を作っているときだ。だいたい前倒してではなく、追い詰められているから、勢いよく、せんべいを食べながらになる・・・。あたってる。

肩甲骨、肩は、持ち上げる筋肉がひどく硬いので、重いものを肩にかけていませんか? すごい。私が通勤するときに持っているバッグはとても重い。本が何冊も入っているし、資料も全部持ち歩いている。いつも、体は傾いているに違いない。

次に薦められたのが、絹のソックス。足の裏から、毒素が出ているが、絹はそれを吸収してくれるという。帰りに、受付で、先生ご推薦の絹のソックスを買った。

その後、私の体には痛みムーブメントが起こっている。痛みがどんどん、あちこちに動いている感じがする。今度はこっち、あっちと全身を痛みが駆け巡っていく。長い間、バランスを崩していたらしいから、時間がかかるのかもしれない。

しかし、驚くことばかりだ。接骨院。曜日を決めて通おうと思っている。

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すごい人みっけ

2010-01-19 07:00:58 | かたまった

息子が聞いていた歌に、戦慄が走った。

初めて聴いたこの曲、この歌手 すごすぎ。初めて知ったけど、どちらかというと、息子世代より、私世代なのに・・。曲もはじめて聴いたし、名前も初めて聞いた。

http://www.youtube.com/watch?v=Fr4xGOF59m4&feature=PlayList&p=73FF047BDA7345A3&index=12

いわゆる、聞かせる歌手が、日本には少ない。居るのだろうけど・・・どちらかというと、メッセージ性やイベント性が強すぎて、歌唱力が重視されていないような気がする。集団で歌う女の子などは、いったい何を見せているのか・・・ダンス集団だと思えば納得できるが、あれは歌ではない・・・と、私は思っている。

他の国で、歌そのもので勝負できない、歌手はいないと思うのだけど・・・。他国の言語で歌を聞いた場合、その詩が持つメッセージ性は、なかなか伝わり難い。私も、最近やっと英語の曲の歌詞が聞き取れるようになってきたが・・・でも、まだ難しい。

そこで、いきなり歌唱力の問題となると、日本から外に出て行けるのは、あまり歌手を知らないけど、久保田利伸さんあたりになるのかな。

そういう私、歌の下手な歌手は歌手ではない と思っていても、最近は嵐しか聞いてなかったりする。そういう意味でも、久しぶりに、私に大きなインパクトを与えてくれた歌手ということになるかな。

まじでもっと聴きたいと思っています。

ちなみに、marinkoの再生リストが表示されておりますが、『古きよき時代』という、テーマで再生リストを作り個人的に楽しんでいました。どうぞ、よろしければお楽しみください。その他に、『ノスタルジー』『嵐』などの、カテゴリーを作って、楽しんでいました。そうそう、ピアノもありましたね。クラシック版です。

 

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また、1年を振り返る

2010-01-13 12:47:31 | かたまった

年末に1年を振り返ったと思ったのに・・・

自主サークルのテニスは、役員が運営を任され、会員はお金を払う。その、役員決め根回しの季節となった。一年前、私もやってみない?と、言われ いいよ~ で役員になった。役員になった方が、早く知人もできるし、いったいどんな組織なのかがよくわかる。それに、一回やると結構でかい顔しても、後ろからバケツを投げられことはないような・・・・・・。

テニス人口は、ミスターKの活躍もあって、増えているのだと思うのだが、私たちのサークルメンバーは減ってはいくが、なかなか増えてくれない。勧誘してこないと・・・という話の中で、私は勧誘も必要だけど、減っていく理由はなに?と、聞いてみた。穴のあいたバケツに水を汲んでもしょうがないような気がしていたから・・・・。一番多い辞める理由はね、仕事を始める。そして、介護。そうか・・・・それじゃ、しょうがないよね。

私たちの年代の主婦は、決してお気楽主婦ではない。家族のあり方に合わせて、自分のあり方を変えてきた。子育てが一段落したことろで、教育資金の必要額に合わせて、仕事を求める。極端な話、子供たちにテニスをさせるために、自分がやめたりする。お金のためだけではなく、時間的に日中にやるテニスには参加できなくなる。加えて、続けてきた仕事ではないから、一から始める仕事になったりする。決して条件がいい訳ではないが、それでも、みんな頑張っている。私もしかりだ。カリキュラムが変われば、辞めることだってあり得る。

変えないスタイルを全うしている人もいる。キャリアを積んでエキスパートになっている人たちだ。素敵だなあと思いながら・・・・ここの、テニスのメンバーとしては出会えない人たちだ。

子育て仲間の隣のパパが、『分かる人ががまんしよう』と、言ったあの時から、私はそうかそれでいいんだ そうするしかないんだ と思った。彼がそれを言った場面は、キャンプで、何かを食べる順番をめぐってのことだった。日本の古い形の中では。普通は、お父さんから・・となるはずで・・・それを彼は、分からない つまり 待てない 小さい子供から配ればいいと言った。その、考え方が、とても新鮮に私には感じられた。

分かるから 理解できるから 待てるんだ そういうことでしょう?

さて、テニスをめぐって、もう一度1年を考えて、念を継いでこんなことを考えている。いつもの、パターンだな。

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