末っ子の私は、よく心配かけるから・・・・を理由に大事なことを隠された。これは全く私の立場の視点からだが、結果、私が知ったときには、私がどんな努力をしてもことが改善されたりすることはない結果を受け入れるしかないことが、多かった。祖母が亡くなったり、母が危篤の時(その時は黄泉の国を彷徨った後生還してくれた)も、しかりだった。知る権利は人権の基本だと思うのだが・・・・。
一緒に心配することが、そんなにその人にとって過酷なことだろうか。結果のみを受け入れよというほうが、余程過酷なのに・・・・。
ブログを書くようになって、音信が途絶えがちだった友人などと、きちんと繋がりが持てるようになった気がする。一緒に心配できることが、嬉しい。