アンティークを好きな友人が、今使っている食器も100年経ったら、アンティークになるのかなあ?とか話していたのを、思い出していた。
伝統も長く続くと、継承の意味合い、目的ももはっきりするのかもしれない。ちょっと続いてきた、行事など、続けるのか止めてしまうのか、判断が難しい。なんでかな?問題ばかりが起こる。問題も本筋なら、存続をかけての大論議になるのだろうが、枝葉のちょっとした方法であったり、ひどい場合は、人の言い方、話し方であったりすると、論議にならない。恥ずかしくて・・・・。怒られそうだけど・・・・・。
第三者として見ることはできない。第二者、いえいえ一者半くらいの立場にいるから。しかし、一日経って、問題を整理してみると、だいたい問題の問題点は見えてくる。
要は目的がどこにあるのか、見失っている。それ以前に、やるひつようを感じないで、やならなくてはならないところが問題なのかもしれない。最初から目的が無いのだから。
ただ、それでも、やり続けていくことで、伝統という付加価値がついていくのかも知れない。それにしても、これほど右往左往させられると、正直、うんざりする。
でもまあ。人間ウオッチングと思うといいのかも知れない。実は、自分もウオッチングされているのだろうけどね。
さて、うだうだ考えずに、走りにでも行って来よう。